似たもの兄妹の齟齬

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似たもの兄妹の齟齬

計画に狂いが生じたのは舞踏会前日の昼下り。 「暗殺計画中止」の合図――廃屋の窓辺に赤の✕印――が出ているとの報告が、潜入していたアルヘンソの兵士から上がってきた。それとほぼ時を同じくして、フェルディーナ卿が別荘に来たという手紙がチャールズさんから届いた。 ――不在を偽ることも難しく、皇太子妃殿下は数日前から気分転換のためアルヘンソ邸で静養中とお伝えしました。舞踏会までに皇太子妃殿下に会いに行くと言われておりましたので取り急ぎご連絡を―― 「うっわ、最悪」 クラリッサがおれの手から便箋を奪ってうんざりした顔をする。その短い手紙はクラリッサの手からタミア様の元へと渡った。 「一回失敗した上に襲撃がもみ消されたから警戒してるんでしょうね。実行犯が消されたのは分かってるだろうし、前回の現場確認でもしたかったのかしら」 タミア様の執務室にはアルヘンソ姉妹とクラリッサとおれ、それから手紙を届けてくれたソフィアさんがいる。ソフィアさんもアルヘンソ家とは長い付き合いらしく、遠慮する様子もなくソファに座って出されたラナ茶を飲んでいる。 「フェルディーナ卿は西部騎士団の制服で来られてましたよ。単騎で」 「正式なルートで直轄領に入ろうと思ったら身分を明らかにする必要があるからそうしたんでしょう。西部騎士団の制服で皇太子妃の実兄を名乗れば通さないわけにいかないわ」 「自分が疑われてるとは思わないんでしょうか? 別荘にリアーナ様がいることを確認して実行するつもりだったのなら、わたしには理解不能ですよ。しかも皇家を相当舐めてますね。魔法具(アーティファクト)の気配をプンプンさせてましたから」 ソフィアさんが魔力感知できることを隠さないということは、どうやらアルヘンソ姉妹も彼女の正体を知っているのだろう。 だが、ソフィアさんはおれの腰にあるのが魔法剣だと気づいていない。鞘に魔力抑制魔術が付与してあるらしく上級魔術師でなければ魔法剣と分からないとクラリッサが言っていたから、ソフィアさんは中級以下ということになる。 それにしても、オリヴァー・フェルディーナが魔法具を所持しているというのは厄介だ。前回は魔法具も魔術師もなく無知な若者を集めて暗殺計画を実行したが失敗。その失敗に学び魔法具を持参したのなら――。 「フェルディーナ卿が直接リアーナ様を手にかけようとしている可能性もありますね」 おれがそう言うとタミア様は嘲笑を浮かべたが、その笑みはフェルディーナ卿に向けられたものだろう。 「皇帝陛下は皇宮にも結界を張らないくらいの魔術嫌いだから皇家の別荘に魔術師がいるとは思わなかったんでしょうね。実際、チャーリーとソフィアが来る前は魔術師はいなかったし」 「わたしも帝国最北部から南国に飛ばされるなんて思ってませんでした」 ハァ、とソフィアさんは珍しくため息をつく。 「どうして貴族は家族同士で傷つけ合うんですか? 辛い思いをするのはいつも女性。リアーナ様のバカ兄貴に鳥のフンでもかけてやろうと思ったんですがチャーリーに止められました」 「ソフィアもこの八年でずいぶん勇ましくなったものね」 「失ってから後悔しても遅いですから。だから、リアーナ様がバカ兄貴に会うならわたしをスサンナさんの代わりに侍女にしてもらおうと思って来たんです。向こうは魔法具を隠し持ってるんだから」 そうね、とタミア様は思案顔になった。 「うちにも魔術師はいるけど二人とも男だし、たしかにソフィアなら適任ね。リアーナ様は北部出身のリア・ドルチェ男爵令嬢として出席したいようだし、ソフィアは帝国最北地に住んでいたのだから色々教えて差し上げて」 帝国最北地にあるのは世界樹焼失跡地。ということは、ソフィアさんは跡地に関わる魔術師だったのだろう。世界樹関連事項はほぼ帝国機密とされているから口に出せない秘密をたくさん抱えていそうだが、そのソフィアさんがリアーナ様のそばにいてくれるなら心強い。 「タミア様、フェルディーナ卿から面会要請があったらどこで二人を会わせるつもりですか?」 「状況次第ね。彼がどんな魔法具を持ってくるか」 アルヘンソ家は来訪者に対して普段から魔力検査を実施している。魔力検知器は装身具への防御・防汚魔術にも反応するため、簡単な身体検査で武器を所持していなければすぐ通される。武器を持ちこむ場合はその種類によって対応が変わるらしいが、初対面の魔術師や魔剣士、または魔法武具所持者は「特別室」行きらしい。別に尋問や拷問が行われるわけではなく、強力な魔術結界及び物理結界が張られた絢爛豪華な応接間だ。 「持ってる魔法具が武器だったら特別室ですか?」 おれが問うと「そうね」とタミア様はうなずく。 「特別室でリアーナ様を襲ってくれたら問答無用で殺せるんだけど」 「ダメだ!」 声を張り上げたあとで我に返り、慌てて扉を振り返った。 「外には聞こえないから安心して。防音結界が張ってあるの」 タミア様がテーブルに置かれたマナ石の文鎮を指さして言う。どうやらそれが結界魔法具のようだ。 「外の音はこっちに聞こえるのよ」 とソニア様が説明を付け加えたとき、コンコンとノックの音がした。顔を見せたのは辺境伯家の執事ノートス。広大な辺境伯家の敷地にはいくつか建物があり、辺境伯閣下の個人邸を管理しているのがこの銀髪、口ひげ、モノクルの執事だ。 ちなみに、おれとリアーナ様がここに来る前から辺境伯閣下は不在だった。舞踏会にも顔を見せる気はないらしい。どこに行かれているのかタミア様に聞いたら、「聞きたい?」と笑顔で返されたので首を振った。 「ノートス、何かあったの?」 タミア様は椅子に座ったまま執事に問いかける。 「フェルディーナ公爵家のオリヴァー様から、リアーナ皇太子妃殿下にお目通りしたいとの申し入れが閣下宛てにございました。本日の面会をご希望のようですが、無理でしたら明日の舞踏会前にでもとのことです」 「リアーナ様には伝えた?」 「いえ、タミア様からお伝えいただければと思い先にこちらに参りました」 皇太子妃がリア・ドルチェとして滞在していることはノートスさんにも伝えてあるが、お忍びで静養に来ていると言うだけにして襲撃の件もオリヴァーの疑惑も話してはいない。が、こちらから話していないだけでノートスさんが知らないかどうかは別の話だ。彼を見ているとすべて知っていながら知らないフリをしているのではと思うことがある。 「わかったわ、ノートス。リアーナ様にはわたしからお伝えする。ところで、フェルディーナ卿ご本人がいらしたの?」 「使いの者が門の前で返事を待っております」 「だったら、明日の舞踏会が始まる一時間前なら都合がつくかもしれないと伝えて。それから、ノートス。明日は少し騒がしくなるけど我慢してちょうだい」 「かしこまりました。舞踏会が賑やかなのは何よりです」 ニコッと目尻にシワを寄せ、執事は音もなく部屋から出て行った。彼がいなくなったあと、「なぜ舞踏会直前に?」とおれはタミア様に問いただす。 アルヘンソ邸にはすでに招待客が何組か滞在しているが、大多数は辺境伯家が営む近場の高級宿に部屋が用意されている。舞踏会一時間前といえば宿からの客が続々と屋敷を訪れる頃で、アルヘンソの兵士たちがその対応に最も追われる時間帯なのは間違いない。ソフィアさんがいるとはいえリアーナ様への警護は相対的に手薄になるはずだし、フェルディーナ卿に仲間がいるとしたら客に紛れて侵入する可能性もある。 「オリヴァー卿の部屋を盗聴するよう宿の者に伝えてあるのよ」 「盗聴? 魔法具でですか?」 タミア様の手回しの良さに脱帽する。 「そうよ。仲間が出入りする可能性もあるから、来訪者があれば録音するように言ってあるわ。何事もなければ明日の朝に録音したものをここに届けさせる手はずなの。それを確認して対応を練ってから会わせた方がいいでしょう?」 「たしかに慌てて会う必要はありませんね」 「でも、フェルディーナ卿が余計なことを周囲に話さないように言いくるめておかないといけないわ。リアーナ様は皇家直轄領の別荘にいることになってるから」 そう言うと、タミア様は執務机の引出しから便箋を取り出してスラスラとフェルディーナ卿宛ての手紙を書き始めた。内容は警備上の都合から皇太子妃が当家に滞在していることは口外しないでほしいというものだ。 リアーナ様が直轄領に静養に来ているという話はアルヘンソ辺境伯領内に広く伝わっている。静養中に三度に渡って辺境伯邸を訪問したことも噂になり、招待客の中には舞踏会に皇太子妃が現れるのではと期待する声もあるようだった。 アルヘンソ姉妹は招待客から問われるたびに「体調が良ければお越しいただけるかもしれませんね」と曖昧な返事で濁しているらしいのだが、フェルディーナ卿の口から「辺境伯家に皇太子妃がいる」と漏れては、招待客だけでなく真実を知らされていないアルヘンソ邸の兵士や使用人たちにまで動揺が走る。 すっかり計画は狂ってしまい、おれは頭を整理するため当初の計画を思い返した。 クラリッサが襲撃現場を押さえ、すぐアルヘンソ邸に連絡。何も知らないフェルディーナ卿の到着を待って「特別室」に連行。すでに会場入りしていたらリアーナ様の名前で「特別室」に呼び出しその場で拘束。リアーナ様には兄が招待されていることは知らせず、フェルディーナ卿の身柄が確保できてからリア・ドルチェ男爵令嬢として目立たないよう会場入り。 身分を偽るのはリアーナ様の希望だった。久しぶりに大勢と接する場。「楽しみです」と口にしつつもかなり緊張されているのは間違いない。 「タミア様、リアーナ様がリア・ドルチェを名乗ることはフェルディーナ卿に伝えますか?」 「身分偽装について彼に話してしまえば、舞踏会でリアーナ様が離婚を公表するというのが偽情報だとバレてしまうわ。反オーラ派を使った暗殺計画は中止になったけど当初の予定通り伏せておきましょう」 タミア様はそう言ってペンを置き、封蝋を小匙の上に乗せると「お願い」とソフィアさんに声をかけた。ソフィアさんは苦笑しつつ人差し指の先に小さな火を灯して蝋を溶かす。フェルディーナ卿への手紙は、アルヘンソ家の紋章が施されたタミア様の指輪で封がされた。 「ソフィア。さっきカレンを見かけたんだけど、フェルディーナ卿の宿までお使いを頼めないかしら?」 ソフィアさんは「わかりました」と窓を開けて口笛でピィーュと鳥の鳴きマネをする。初めて聞く名前とソフィアさんの奇怪な行動におれが首をかしげていると、バサバサッと羽音がして窓辺に淡褐色の羽をしたノスリが舞い降りてきた。 ノスリはおれに警戒の眼差しを向け、「こいつは?」と言うようにソフィアさんを見上げる。タミア様が自分のネックレスを外して鳥の首にかけた。 「カレン、『アガパンサス』という宿屋に行って、支配人にこの手紙をフェルディーナ卿に届けるよう伝えて。宿の者にネックレスを見せれば裏から入れるわ」 ノスリはバサッと羽を広げて絨毯に降り立ち、おれの目の前でパッと女性の姿に変身した。淡い茶色の髪を後ろでひとつに結った、地味なチュニックにスカート姿の女性。ランド殿が言っていた紫蘭騎士団の獣人かと思ったが、その顔に見覚えはなかった。 「タミア様、アガパンサスって高級宿ですよ。わたし、物乞いにしか見えなくないですか?」 人間になったノスリはおれのことを無視してタミア様の手から手紙を受けとる。 「服はソニアから借りて。報酬はあなたが欲しがってたラナ酒。それから乾燥ラナ三袋でどうかしら?」 「うちはしがない治癒院なので、輸送代もタミア様持ちなら」 「もちろん」とタミア様は笑みをこぼす。 「カレンさんは獣人の治癒師なんですか?」 おれの問いには、カレン本人から「治癒師は旦那。旦那は人間なの」という答えが冷ややかな視線とともに返って来る。どうやら嫌われているらしいが、何か気に障ることでもしただろうか。 「カレン、フェルディーナ卿の使いがじきにアガパンサスに着くだろうから二人の会話も聞いてきてくれる? 支配人にそう言えばすべて取り計らってくれるわ」 「もちろんその分の報酬は別ですよね?」 「ラランカラの球根五つ」 「うーん、まあ、それでいいです」 やりとりを見る限りカレンはアルヘンソ家に雇われているわけではなさそうだった。彼女はソニア様と一緒に部屋を出るとき、こっちを振り返ってキッと鋭い視線をおれに向ける。 「ソフィアさんには手を出さないでよ」 その捨て台詞にタミア様とクラリッサは堪えきれないようにクスクスと笑い出し、ソフィアさんは申し訳なさそうに「ごめんなさい」と上目遣いで謝る。 「おれ、何か彼女に嫌われるようなことしました?」 「違うんです。カレンはちょっと勘違いしてて」 「勘違い?」 「彼女は空から色んなものが見えるので、デ・マン卿は女性のまわりをうろうろして鼻の下を伸ばしてる浮気男だ、って」 いやいや。鼻の下を伸ばすどころかおれほど自分の欲望に抗って生きている男はいないはずだ。それに恋人もいないのに浮気のしようがない。 タミア様がクスリと笑った。 「たぶんリア様とトビアス卿が恋人同士だとでも思ったんでしょう。二人がどういう身分かなんて知らないのだから」 「彼女はどこの所属なんですか?」 おれが聞くと「一般人です」とソフィアさんから返ってきた。 「カレンはわたしが別荘に赴任する前からの知り合いで、治癒師の旦那さんを手伝いながら薬草の買い付けもかねてたまに会いに来てくれるんです」 皇家直轄領の別荘管理人という任は、おいそれと人に話して許されるものではないはず。ソフィアさんの言葉がすべて嘘だとは思わないけれど、すべて話していないのも明らかだ。 「ランド殿はカレンさんとは知り合いなんですか?」 「獣人同士とはいえ簡単に正体を明かしたりしないわ。カレンはたまたま義兄が変身するところを見てしまったようだけど、義兄には言ってない。カレンは義兄には素性を明かしたくないみたいだし」 「なぜです?」 「だって無許可で皇家直轄領に出入りしてるのよ? 見つかったら捕まるでしょう?」 獣人は人間と等しく扱われることが帝国法に明記してある。皇家直轄領への無断立ち入りは処罰の対象。 「では、わたしたちも行きましょうか。トビアス卿」 「どこにですか?」 「リアーナ様のところに決まってるでしょう? 公爵令息のお兄さまが会いたいと言うのだからお伝えしないわけにいきません」 突然の兄の来訪。リアーナ様はその兄が自分を殺そうと画策しているなど想像もせずに喜ぶのだろう。 「ソフィアも一緒に来て。侍女になる件はリアーナ様にも説明しておかないと」 執務室を出て三人でリアーナ様のところへ向かうと、彼女はスサンナ相手にダンスの練習をしていた。 リアーナ様が舞踏会でダンスを披露されたのは皇太子殿下との結婚式の一度きり。あのときおれはまだリアーナ様の護衛騎士に任命されておらず、会場の警備中にチラッと目にしただけだ。 「リア様はずいぶん体力がついてきたようですね。わたしより元気なくらい」 「そんなことは」と答えるリアーナ様は少し息があがっているようだが、血色がいいから問題なさそうだ。 以前は少しの力でもポキッと折れてしまいそうで心配ばかりしていたが、最近はちょっとした表情や仕草に別の感情が喚起される。そして、その度にランド殿に言われた「離婚が成立するまでは手を出すなよ」という言葉が頭を過る。 おれはふと気になって自分の鼻の下に手をやった。自分では分からないが、カレンの言うように鼻の下が伸びているかもしれない。 リアーナ様は冷たいラナ茶でひと息つくと、「どうしてソフィアさんがここへ?」とタミア様に問いかけた。 「ソフィアさんにリア様の侍女をしてもらおうと思っているのです」 「侍女ですか?」 「ええ。男爵令嬢のリアとして出席するからには皇太子妃のように厳重な警護はできません。ですので、ソフィアさんが侍女になりすまして警護を。男性のトビアス卿では入れない場所もありますから」 リアーナ様がソフィアさんを見てわずかに首をひねる。ソフィアさんは表情で「任せてください!」と訴えていたけれど、リアーナ様は彼女が魔術師だと知らないのだから訝るのも当然だ。 「それは皇太子殿下からのご指示ですか?」 「いえ、別荘管理人のチャールズさんから提案があり、わたしとトビアス卿とで話し合って決めました」 リアーナ様を納得させるためなのかタミア様は平然と嘘を織り交ぜる。 「そうですか。お二人がお決めになったのならお任せします。ソフィアさんも納得されているのですよね?」 「もちろんです!」 ソフィアさんの返事にリアーナ様はクスッと口元をほころばせたが、本題はこれからだ。「リアーナ様」とタミア様が改まった声を出した。 「フェルディーナ卿から明日の舞踏会前にリアーナ様とお会いしたいと申し入れがありました」 「お兄様からですか?」 驚いて目を見開いたリアーナ様は、そのあとスーッと消え入るようにうつむいた。 「タミア様が兄を舞踏会に招待されたのですか?」 「その通りですが、リアーナ様に黙っていたのはちょっとした悪戯心ですのでご容赦下さい。実は、フェルディーナ卿にもリアーナ様が当家にいらっしゃることはお伝えしていなかったのですが、今日別荘を訪ねていかれたらしく、せっかくの悪戯が台無しになってしまいました」 タミア様はあえて冗談めかしているが、リアーナ様は浮かない顔。そういえば、台無しになったといえば偽リアーナ様用に仕立てたドレスも無駄になってしまった。 「リアーナ様が当家に滞在していることは公にしていませんから、フェルディーナ卿も口外しないでほしいと手紙でお伝えしました」 そうですか、とリアーナ様はしばらくうつむいたまま考えを巡らせているようだった。そして、フゥと息を吐いたあと、顔をあげてニコッと微笑む。おれは彼女のこんな顔を以前も見たことがあった。アンナが死んだあの日、すべての罪を認めただけでなく他人の罪まで被る覚悟をした顔だ。 「もしかしたら兄はわたしの犯した罪を知ってしまったのかもしれません。麻薬に溺れたわたしがのうのうと舞踏会に出席するなど、フェルディーナ家の跡継ぎとしては許せないのでしょう。無関係のアルヘンソ辺境伯家にご迷惑をかけてしまうことを心配されているのかも」 「それは違います!」 おれは思わず強い口調で否定したが、リアーナ様は微笑を返してくる。 「デ・マン卿、落ち着いてください」 かしこまった呼び方が拒絶されたように感じて胸が痛んだ。 「もちろんわたしの考え過ぎかもしれませんが、ローナンド家の醜聞はいまや帝国中に広まっていると聞きます。わたしがローナンド公爵令嬢と懇意にしていたことを兄は知っていますから、辺境地に静養に向かったと聞けばおのずと麻薬と結びつけるはず。それに、やはりわたしは環境に甘え過ぎていました。罪を償うこともせず至れり尽くせりの生活。この度の舞踏会、出席は取りやめようと思います」 「そんな……」 泣きそうな声を漏らしたのは部屋の隅に控えていたスサンナだった。リアーナ様を一番近くで支え、彼女の回復をもっとも喜んでいたのはこの侍女。タミア様も表情をこわばらせている。 「リアーナ様、前も言いましたがわたしたちはリアーナ様の味方です。存分に甘えて下さればいいのです。舞踏会に出席するかどうか、もう一晩お考えになって下さい。せっかくトビアス卿と揃いのドレスも用意したのですから」 あ、と声を漏らしてリアーナ様がおれを見た。が、視線が絡むと彼女はパッと顔をそらしてしまう。 「タミア様。でしたらお言葉に甘えてひとつお願いをしてもよろしいでしょうか」 「ええ、もちろんです」 「では、わたしを兄の宿に連れて行ってください。招待客なのですから宿泊先は把握されているのでしょう?」 「それはできかねます。皇太子妃殿下をむやみに街に連れ出すことはできません」 タミア様はピシャリと撥ねつけたけれどリアーナ様も怯まなかった。 「アルヘンソ辺境伯家の領主代理であるタミア様が、フェルディーナ公爵家の跡継ぎである兄のために用意した宿です。兄が辺境伯邸にいないのなら、比較的距離の近い高級宿でしょう。アルヘンソ家の兵士が明日に備えて警備を強化しているのではありませんか? だとしたら危険なことなどひとつもありません」 リアーナ様の口調も表情も、皇宮で目にしていた皇太子妃のものだった。 あの事件以来ぼんやりと頼りない目をし、傷つくのを恐れて考えることを拒否していたリアーナ様。ようやく回復したというのになぜまた傷つくために辛い現実と向き合わねばならないのか。あんなクソ兄貴のせいで。 「デ・マン卿。わたしの警護はあなたに一任されているはずです。わたしを兄のところに連れて行きなさい」 「できません」 「護衛騎士が皇族の命令を拒むのですか?」 「リアーナ様は少し前に襲われたばかりではありませんか。護衛隊長として危険な場所に皇太子妃殿下をお連れするわけにはいきません」 そうですか、とリアーナ様は突き放すように口にした。 「デ・マン卿、あの夜わたしの馬車を襲ったのは兄なのでしょう? でなければ兄の宿が危険な場所であるはずがありませんもの」 「それは……」 タミア様もソフィアさんも、リアーナ様の変わりように驚きを隠せないでいる。穏やかで、でもどこか諦めたように冷静な顔をした皇太子妃。 しかし、おれはリアーナ様のことを一体どれだけ知っているというのだろう。麻薬(ラナ・ローク)に初めて手を付けたのは皇宮に入る前、おれが護衛騎士となったときにはすでに麻薬を常用していたと聞いた。麻薬に染まらない、本来の彼女を知っているのは――彼女の兄、オリヴァー・フェルディーナ。 「確証はありませんが」 おれが口を開くとタミア様の視線が黙れと訴えかけてくる。だが口を噤む気はなかった。 「わたしは先日の襲撃はフェルディーナ卿によるものと考えております。彼が反オーラ派の会合に出入りしているという情報があり、襲撃はその会合に参加している者が行ったことは確認済みです」 「反オーラ……? お兄様がですか?」 「襲撃の際に捕まえた者が、妖精はオーラ主義者だから襲ったのだと言っておりました。ですが、その者は反オーラ主義者を名乗るにしては事情に疎く、年若い平民であったことから利用されただけと思われます」 「お兄様がわたしを殺すために利用したということですね。そのせいで若い平民が犠牲になってしまった」 犠牲というには彼らの犯した罪は大きい。皇族を殺そうとしたのは間違いないのだから。 「リアーナ様のご実家であるフェルディーナ公爵家は皇帝派。次期公爵と目される方が貴族派の一派である反オーラなど、にわかには信じられないかもしれませんが」 いえ、とリアーナ様はおれの言葉を遮った。 「兄は昔から皇家のやり方に不満を抱いておりました。特に魔術に関することで」 「魔術ですか?」とソフィアさんが反応する。リアーナ様は「ええ」と微笑んで話を続けた。 「兄の魔力測定の数値は魔術師として認められる最低値でしたが、公爵家の跡継ぎである兄は数値を誤魔化して申告しました。魔術師となれば家門から籍を抜き魔塔に入らねばなりませんし、そのような事情から貴族の後継者が数値を誤魔化すことはよくあることだそうです。そもそも魔力値は計測環境で変動があるものだとも聞いています」 たしかにそういう誤魔化しはチラホラと耳にする。大幅に数値を誤魔化したら、騎士見習いの入門試験の際に魔力検知で引っかかって強制的に魔塔に連れて行かれたという話も聞いた。 そんな危ういことをアルヘンソ家は堂々とやってのける。貴族が女剣士を治癒師と偽って雇うなど完全に違法だが、皇太子殿下がそれを知りながら目を瞑っているのは、アルヘンソ家のためではなく国境防衛のためだ。 「父も兄の魔力のことは知っています。フェルディーナ公爵家は騎士の家門ですし、一男一女の公爵家では兄が家門を継ぐことが明白でしたから、その選択は当たり前のことでした。ですが、残念なことに兄には剣術の才がなかったのです。同年代の方に剣術で後れをとり始めた頃、帝国で魔剣士が認められたら魔力のある自分の方が他の騎士見習いよりも強いはずだ、と兄は口にするようになりました」 「それはありません」と、ソフィアさんが間髪入れず否定した。 「魔術師と違って魔剣士は本能的かつ感覚的に魔力を使うので、とりたてて何かを教わる必要はありません。魔剣士は魔力量が如実に強さに反映されます。フェルディーナ卿はご自身の魔力を使ってその強さだったということです」 「その事実を当時の兄は知りようがありませんでしたし、知ったとしても何も変わらなかったと思います。その後、兄の興味は魔法武具に移りました。ですが、魔法武具の取り扱いは厳しく管理されている上に製造販売は許可された平民に限ると定められています。今度はそのことで皇家のやり方に文句を言いはじめました」 魔法具の製造販売は長いあいだ魔塔が一手に引き受けていたが、平民優遇施策を進めていた現皇帝陛下がその権利を平民に認めた。貴族派の大部分はこの施策に反発し、貴族による魔法具製造許可を求めている。 少しずつだがフェルディーナ卿が皇室に反発する理由が見えてきた。魔剣士になれないのも魔法武具が手に入らないのも、それを作れないのも皇家のせい。 「リアーナ様、もしかしたらフェルディーナ卿は魔法武具の購入を公爵閣下に反対されたのではありませんか? 魔法武具の購入は違法ではありませんが、魔術を嫌われる皇帝陛下に忖度して魔術や魔力と名の付くものを避ける傾向が貴族全般にあります。特にフェルディーナ公爵家は皇帝派ですから」 魔法剣を腰に差しているおれが何をと我ながら苦笑が漏れる。リアーナ様は少し考えて首を振った。 「わかりません。ですが、兄が皇家の施策を批判したり貴族派のような発言をするのはわたしの前だけでした。表立って父と対立するつもりはないのだと思います。反オーラ派の集まりに行っていたとしても、きっと信条や信念があってのことではありません。そういう人ですから」 思った以上に冷ややかな口調にタミア様もソフィアさんも押し黙っていた。 「リアーナ様、フェルディーナ卿と一体何をお話されるつもりなのですか?」 「なぜわたしを殺そうとなさるのか兄の口から聞きたいのです。その上で離婚成立後のことについて話し合います。兄はわたしが公爵家に戻ることを望まれないでしょうし、わたしも望んでいませんから」 そう言ったリアーナ様の顔は少し寂しそうだった。 「リアーナ様、公爵閣下を抜きにしての話し合いには意味がないのではありませんか? それに、フェルディーナ卿は魔法具を所持しているようです」 「魔法具などアルヘンソ邸にも溢れているではありませんか。今を逃せばおそらく兄とまともに話す機会はありません。お願いしますデ・マン卿。一緒に兄のところに行ってください」 リアーナ様はソファから立ち上がり、護衛騎士のおれに向かって深く頭を下げる。おれは最後の足掻きを口にした。 「明日ここで会うのではダメなのですか?」 「兄の本音を聞きたいのです。ここでは無理です」 渋々「わかりました」と答えたとき、コツと音がして窓の向こうにノスリが見えた。 外出の準備をするためにリアーナ様がスサンナと一緒に部屋を出て行くと、窓から入って来たカレンが物陰で人間に戻る。彼女が身に着けているのはアルヘンソ家でよく見かける侍女のお仕着せだ。 「で、どうだったの? カレン」 「使いの男はすぐ帰ったわ。盗聴は結界が張られててできなかったの。だから音声録音もできないって。そういう結界魔法具を持ち込む客も少なくないみたいね。客が金持ちばかりだから」 なるほどね、と顎に手をやるタミア様は多少は予想していたようだ。 「ソフィアが感知した魔法具の気配がその結界魔法具だったならいいけど、部屋に魔法武具みたいなものは置かれてなかった? わざわざ窓がたくさんある部屋にしたんだからのぞいて来たでしょ?」 「奥の部屋までは見えないし、目についたのは剣が二本。制服と一緒に置かれてたから騎士団で使ってるやつじゃない? ずいぶん豪華な部屋だったけど、支配人の話だと侍従もついてないみたいよ。あの使いも宿屋が頼まれて手配しただけなんだって」 「騎士団の任務中ならともかく、他領地の舞踏会に侍従の一人もいないのは計画があったからでしょうね。公爵家の人間について回られたら厄介だから。父親にも内緒で来たのかもしれないわ」 「これ以上首を突っ込みたくはないからその計画が何かは聞かないけど、わたしはあの男が憐れで仕方ないわ」 カレンの言葉に「どうして?」とソフィアさんが不満げに問いかける。 「だって、アルヘンソ姉妹に目をつけられた上にすでに鳥籠の中なのよ。どんなふうにいたぶられるのか想像してゾッとしたわ。しかも仲間もいなくて一人ぼっち」 客観的に見ればカレンの言う通りだ。さっきまで焦っているように見えたタミア様も、カレンの言葉で落ち着いたようだった。 一方、おれはまだ安心しきれていない。焦りは消えたものの妙な不安感が胸につきまとっていた。それは、フェルディーナ卿に関する情報が増えるたび、そこにリアーナ様と似た暗さを感じるからだ。 上手く言えないが、二人とも手に入らないものの大きさに絶望しているような気がする。
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