今夜も皇太子妃は護衛騎士を悩ませる

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今夜も皇太子妃は護衛騎士を悩ませる

舞踏会は滞りなく進み、リアーナ様は黒髪のリア・ドルチェ男爵令嬢として会場の雰囲気を楽しんでいた。 おれと衣装デザインを合わせたから髪色も同じ黒を選んだらしい。普段は淡い髪色に合わせて淡い色合いの服を着ていることが多いが、今夜は鮮やかな青のレースをふんだんに使った真夏の妖精のようなドレス。 「わが妹ながら美しさに見惚れます」 「顔立ちはフェルディーナ卿とよく似ていますが、髪色だけでずいぶん印象が変わるものですね」 「わたしよりトビアス卿の方が兄妹に見えますよ。そういう設定にしても良かったのでは?」 おれとフェルディーナ卿はグラス片手に会場の隅で話していた。 そこかしこから降り注いでくるのはアルヘンソ家の監視の目。タミア様には昨夜現場でしたのと同じ説明をしたのだが、当然信じてもらえるはずはなかった。 「やはりアルヘンソ姉妹はわたしを警戒してるようですね。監視というより脅しです。隠す気がないようでいっそ清々しい」 苦笑を浮かべるフェルディーナ卿。彼はおれのカフスボタンに盗聴魔法具が仕込まれていることを知らない。 「トビアス卿、わたしがアルヘンソ兵団の訓練を見学したいとお願いしたらタミア様は許可して下さると思いますか?」 「どうでしょう。参加してはどうかと誘われてボコボコにされるかもしれません。わたしは治癒師の足元にも及びませんし」 「彼女は魔剣士でしょう? 魔力も治癒師どころではないはず。……あ、この詐称をネタに見学を持ちかけるという手がありました」 「アルヘンソ姉妹相手に恐喝など考えない方がいいですよ」 コツコツと近づいてきた足音はタミア様とソニア様。二人とも変わった服を着ていると思ったら、一枚の長い布からなるトッツィ男爵領の伝統衣装サリーだ。さっきまで普通のドレスを着ていたのにわざわざ着替えたらしい。 「舞踏会でサリーとは珍しいですね。もしよろしければダンスにお誘いしたいのですが」 フェルディーナ卿は悪びれることなく姉妹に愛想笑いを向ける。 「サリーで踊るのは慣れないからわたしは遠慮するわ。ソニア、あなたなら平気でしょう。踊ってさしあげたら?」 フェルディーナ卿はソニア様に手を差し出し、ソニア様が彼の手をとる。そのままフロアに出ていくかと思いきや、ソニア様は「ふうん」と興味深そうにフェルディーナ卿の手のひらを擦った。 「ソニア様?」 フェルディーナ卿は困惑している。 「努力を怠ってるわけじゃないのね。その努力が報われないのは気の毒だけど」 「どういった意味でしょうか」 「わたし、努力家は嫌いじゃないのよ。手のひらのマメは嘘つかないから。ねえ、フェルディーナ卿。ワルツではなく二人で剣舞を踊るのはいかがかしら?」 「ケンブ?」 フェルディーナ卿がチラとおれに視線を向けた。状況がまだ理解できていないらしい。 「ソニア様のダンスの腕前は知りませんが、剣の腕前はわたしが保証します。彼女は訓練にも参加されていますし、アルヘンソ家の兵士に興味がおありでしたら誘いに応じてみてもよろしいかと」 フェルディーナ卿は一瞬怯んだようだったが、すぐ笑顔に戻り「ぜひ」とソニア様の手の甲に口づけた。 「エスコートはわたしがいたします」 ソニア様はフロアとは真逆の、広間の出口へとフェルディーナ卿を引っ張っていく。アルヘンソの警備兵が何人か会場を抜けて二人を追いかけた。その中には偽リアーナ様用ドレスを着たクラリッサの姿もあった。 「タミア様、集団で暴行するようなことはありませんよね」 「たかがフェルディーナ卿相手にそんなことはしません。デ・マン卿が相手でしたら分かりませんが」 「それは酷い」 「一対一であなたを打ち負かすのは難しいという意味よ。あなたに勝てる騎士はうちにはいないから」 「ランド殿がおられます」 タミア様はおれの左手を掴んでグイと持ち上げ、カフスボタン(盗聴魔法具)を外して後ろにいた侍従に「管理庫へ」と渡す。 「義兄はアルヘンソ領にさほど興味がないの。皇太子殿下のためにうちの養子になったに過ぎないから。彼は主君がアルヘンソ家を継げと言えば継ぎ、アルヘンソ家を出ろと言われれば出るでしょう。彼をあてにするわけにはいかないわ。父も私と同じ考えのはずよ」 「タミア様が辺境伯家を継げばよろしいのではありませんか? 辺境伯閣下もここの人たちも、みなタミア様を信頼されているようです」 彼女の力量と皇太子殿下の従姉という立場があれば、女性とはいえ爵位継承も問題なく認められるだろう。 「そうね」 形だけでも否定すると思っていたら、タミア様は含みのある笑みで肯定した。 「とはいえ、アルヘンソ辺境伯家を継ぐのは大変なの。帝都と違って辺境地には魔獣がいるのだから。トビアス卿は辺境地の人々が帝都民のことをなんて言ってるか知ってる?」 「平和ボケ、ですよね」 「あなたもそうは思わない?」 実際に魔獣討伐を見たわけではないが、アルヘンソ家の兵士たちの体に刻まれた傷痕をみれば対魔獣戦がいかに過酷かは容易に想像できる。それとは別に、もうひとつ気になっていることがあった。 「あの〝島〟もアルヘンソにとって脅威なのですか?」 「それは、トビアス卿がアルヘンソ家の兵士になれば教えてあげるわ。あなたさえよければわたしからユーリック殿下に話をつける」 「それは……」 おれは逆さ樹が逆さに刻印された短剣の柄に触れた。紫蘭騎士団から外れる覚悟はすでにできているが、リアーナ様を守るためには皇太子殿下から離れるわけにいかない。それに、無理に離れようとすれば最悪の場合待っているのは死だ。 「心配いらないわ」 おれの考えなどお見通しだと言うようにタミア様はニコッと笑う。 「リアーナ様との円満離婚を印象付けるには彼女にアルヘンソ家に留まってもらうのが一番。だけど、自分の部下である紫蘭騎士団員を別れた妻の護衛につけるわけにいかない。だから、トビアス卿は紫蘭の紋章ではなく獅子と月桂樹の紋章をつけた方がいいのよ」 タミア様の話も一理ある。だが、 「それならリアーナ様のご実家であるフェルディーナ家の護衛とした方が自然ではありませんか? フェルディーナ卿に相談すればなんとかなりそうですが」 「体裁はその方がいいかもしれないけど、フェルディーナ家が絡むのはリスクが高すぎる。わたしはフェルディーナ卿を信用していないし、フェルディーナ公爵に至っては息子のしでかしたことに気づきもしない。あなたも、リアーナ様の親族だからって気を許してると足下を掬われるわよ」 ズボンのポケットにはフェルディーナ卿のカフスボタンが忍ばせてあった。服の上からその存在を確認し、訓練場にいるフェルディーナ卿のことを考える。 「フェルディーナ卿はリアーナ様によく似ています」 「顔はね」 「いえ、性格もです」 呆れたのか、タミア様は密かにため息をついたようだった。 「素人考えだけど、トビアス卿のような人が闇属性の魔力石を扱うのは危険だと思うわ。感情にのまれて周りを巻き込まないよう気をつけなさい」 真剣な顔で忠告され、ヒヤッと悪寒が走った。フェルディーナ卿の手に刃が触れかけたとき、恐怖を覚えて無意識に握りを緩めたことを思い出す。 不安になるのはおれが闇属性について何も知らないからだ。魔法剣の扱い自体は慣れてきたが、今のところ斬ったのは結界だけ。 「タミア様、闇属性の魔力石を作った魔術師に会えませんか?」 「アルヘンソの兵士になったらね」 おれの要求に対してはしばらく同じ答えしか返って来なさそうだった。 「おれに選択の余地はないでしょう? タミア様が皇太子殿下に提案し、殿下がアルヘンソ家の兵士になれとおっしゃればおれはそれに従うだけです」 「あなたは忠実なようでいてそうでもないのよね。だからおもしろいんだけど。魔術師の件は検討してみる」 お礼を口にしようとしたら、タミア様は「それより」と会場に顔を向けた。 「護衛の任務はいいの?」 「えっ?」 護衛対象から目を離したのはほんの一、二秒だったにも関わらず、貴族令嬢に囲まれていたリアーナ様の前にいつの間にか男が一人立っていた。ダンスに誘っているようだが、リアーナ様の視線がおれに助けを求めている。 「リア様」 駆け寄って声をかけると、彼女はホッとした顔でおれの服をつかんだ。 「トビアス卿、少し酔ったので休みたいと思っていたの。休憩室まで連れて行ってくれる?」 「かしこまりました」 「ドルチェ男爵令嬢、休憩室ならわたしがご一緒に……」 どこかの馬の骨が何か言おうとしたが、おれがひと睨みすると口を噤んで視線を逸らした。 招待客のほとんどがおれより年下。帝都で開かれるデビュタント向けの舞踏会に行けない辺境地の若い貴族を集めたのだから当然だ。正直なところおれにとってあまり居心地のいいパーティーではなかった。 「リア様、わたしの腕におつかまり下さい」 男たちの羨む視線がおれに集中する。それに優越感を覚えながら、リアーナ様と一緒に広間中央の階段を上がってテラスに向かった。窓の外にはソファが用意され、リアーナ様はストンと腰を下ろすとおれにも隣に座るよう要求する。 ふたつの月がちょうど同じくらいの高さで東と西の空に浮かび、リアーナ様はほんのりと赤い顔をしてその月を見上げていた。かすかに聞こえる金属音はフェルディーナ卿とソニア様の〝剣舞〟だろう。 「リアーナ様、酔いざましにお水をお持ちしましょうか?」 「風にあたっていればじきに冷めると思います」 思ったより酔っているらしく、彼女はおれの肩にコテンと頭を預ける。 「デ・マン卿。わたし、こんなに長い時間舞踏会にいたのは初めてです。デ・マン卿とお兄様と踊っただけでクタクタ」 「体力があれば先ほどの男性とも踊ったのですか?」 「知らない方と踊るのは気が進みません。それより、女性の方々はデ・マン卿に誘われるのを待っていらしたんですよ」 「まさか。平民のトビアスに誘われたい令嬢がいるのですか?」 「フェルディーナ公爵令息と親しげにされていたでしょう? それに、先ほどはタミア様ともお話されていました。すごい方に違いないともっぱら話題の中心でしたよ。トビアス卿は結婚しているのか、婚約者はいるのか、そんなのわたしに聞かれても困ります」 「なんとお答えしたのですか?」 しばらく待っても返事がなくチラと横目でうかがうと、彼女はぶつかった視線をそらすことなくフフと笑った。 「内緒です」 頬を緩め、リアーナ様は眠そうに目をこすった。 「お休みになるのであれば部屋までお送りします」 「それならデ・マン卿の背中を貸してください」 「岩をご所望でしたらなんなりと」 リアーナ様の前で背を向けてしゃがみ込むと、彼女はためらいなく体を預けてくる。襲撃のあった夜よりも少しだけ重くなったようだった。 「トビー、岩はこんなに寝心地よくありません。カボチャは話しかけてくれませんし」 「では、兄というのはどうでしょう。以前わたしが兄だったらよかったと言っておられたでしょう? 今日は髪色が同じだから兄妹に見えるらしいです」 「わたしの兄はオリヴァー・フェルディーナだけで十分です。デ・マン卿は」 急に声が途切れ、パンと音がした。真っ暗な夜空に花火が咲き、わあ、とリアーナ様は感嘆の声をあげる。パン、パンと立て続けに十発ほどの花火が上がり、庭先から拍手が聞こえてきた。 「今ので終わりかしら」 皇宮で開かれるデビュタントの舞踏会では、毎年数十発の花火があがる。あれを見慣れていたら少し物足りないかもしれない。 「リアーナ様、皇女殿下も同じように花火を見上げているかもしれませんよ。今夜は皇宮の舞踏会に出席されているはずですから」 そうね、と小さなため息が聞こえる。 「デ・マン卿。皇女殿下の方がわたしよりずっとお強いのに、わたしが皇女殿下を心配するのはおかしいかしら」 皇女殿下は陛下の私生児。平民として育ったせいで貴族からは〝偽物皇女〟と呼ばれ、皇太子殿下や皇帝陛下とも離れた宮で暮らしている。 皇宮に引き取られた皇女殿下を、皇太子殿下は皇太子妃たちと同じように遠ざけていた。そのせいか、リアーナ様は皇女殿下に対して特別な思い入れがあるようだった。特に、アンナ・ローナンドが皇女殿下の侍女となってからは皇女殿下を〝共犯〟と思っていた節がある。だが、皇女殿下はローナンド侯爵の企みによって粗悪麻薬売買の濡れ衣を着せられるところだった。 皇女殿下の無実は証明されているのだが、誰が流したのか帝都では『偽物皇女は粗悪麻薬を製造して平民街で販売した』というデマが広まっているらしい。リアーナ様にはそのデマのことは伏せているが、それを知らなくても皇女殿下の皇宮内での立場を考えれば心配するのも無理はない。 「リアーナ様、いつか皇女殿下に元気なお姿をお見せして驚かせましょう」 「その時はデ・マン卿も一緒にいてくれる?」 「もちろんです」 「本当に?」 「わたしは一度口にしたことは必ず守ります。リアーナ様のことはわたしがずっとお守りします」 リアーナ様はうなずいたらしく、彼女の髪が首筋をくすぐった。肩にまわされた両手がおれを抱きしめ、じきに背中からは規則的な寝息が聞こえてくる。 フェルディーナ卿のこと、ポケットに忍ばせたカフスボタン、闇属性の魔力、アルヘンソ家の兵士になるかどうか。悩ましいことは色々あるが、一番の悩みはリアーナ様とのあいまいな関係だ。 思いを告げたはいいが離婚が成立するまで明確な返事がもらえるわけではないし、こうして護衛騎士の任務のようなフリをしてリアーナ様に触れることはできても、人前では気持ちを隠し続ける必要がある。それに、本当に求婚するとなればまず〝逆さの逆さ樹〟の主である皇太子殿下に許可を得なければならない。 フゥ、とため息が漏れた。 背中にじんわりと柔らかなぬくもりがある。 霧の妖精が人間になっておれの背に舞い降りたような、そんな気分を味わいながらゆっくりとラナ園のそばを歩き、おれはスサンナの待つリアーナ様の寝室へ向かったのだった。 【離婚間近の皇太子妃は今夜も護衛騎士を悩ませる】 ――完―― ・・・・・・・・・・ 次ページにお知らせあり▶
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