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椎野晴美と坂崎秀介
晴美が死んだ。その事実を受け入れるのに私はどれほどそこに立ち尽くしていただろう。とにかく、目の前の現実は変わらなかった。晴美が首を吊って自殺しているという現実は。
晴美は人気のない夜の陸上部の部室で、紐を使って自殺していた。私がここに来た理由はある胸騒ぎがしたからだった。
私たちは幼馴染ではあったけれど、それ程深い交流があった訳ではない。他人から見れば十分な交流だったかも知れないが、それらは自分たちの意志で起こした交流ではなく腐れ縁とでも言えるものだった。
そんな晴美と話をしたのはごく最近のことだった。その話とは晴美の彼氏である坂崎のことだった。晴美と坂崎が付き合っているのは学内でも周知の事実だったが、最近二人に関する良くない噂を耳にした私は晴美を心配して聞き出した。坂崎は私の予想以上に問題のある男だった。
「…秀介のためにお金を使っているのが親にバレそうなの」
坂崎は金遣いの荒い男だった。晴美の家が裕福なのを良いことに晴美にお金を貢がせていた。遊ぶ金や車の維持費などだ。そして晴美は坂崎をかばうように言っていたが、聞けば晴美に親の金に手を出すように迫っていたのだ。暴力で脅すようなこともあったらしい。
「このままじゃ、秀介に迷惑がかかっちゃう」
晴美はここまでされても坂崎に迷惑がかかることを気にしていた。
私は言った。そんなにひどい男なんだったらとっとと別れたほうがいい、と。でも晴美は私にも悪い所があるから、と言って聞かなかった。
「秀介ね、好きな人がいるの」
耳を疑った。晴美にこれほどまで尽くさせておいて、坂崎は新しい女に手を出そうとしていた。そして晴美のことを捨てようとしているのだ。
もう坂崎のことは忘れて新しい女に乗り換えさせればいい、私はそう言った。
「無理だよ」
晴美は哀しそうに笑った。
「だって好きなんだから」
そしてある夜に遅くになっても下校していない晴美の様子がおかしかったと聞いた私はもしやと思い、人気のない陸上部の部室で晴美が自殺しているのを発見したのだった。
死体の側には便箋が丁寧に折りたたまれて置いてあった。遺書だった。
私はそれを迷わずに読んだ。常識的にはそんなことはしない方がいいのだろうが、その時の私は気が動転して何が普通か分からなかった。とにかく晴美の死の真相が知りたかった。
遺書の内容は、遺書に普通があるのなら普通の遺書だった。家族や友人に『自分にいたらない所があったために思い悩んでいた、だから死ぬ』というような内容が書きしたためられていた。坂崎のことは特に記されていなかった。
そして、遺書の最後にはこうあった。
『桜、彼をよろしく』
それを読んだとき、私はようやく理解した。晴美を死なせたのは私だということに。
坂崎は私の事が好きらしい。そのせいで晴美は思い悩み、死んだ。
報いを受けさせねばなるまいと思った。
坂崎を殺す。私の頭はその事でいっぱいになった。
けれど、勇気が出なかった。坂崎が本当に死ぬに値する男だったとしても、私は取り返しのつかない事を仕出かそうとしている。
何か、確証のようなものが欲しかった。
だから私は坂崎を試すことにした。
まず、坂崎を呼び出す。そして私が晴美を殺したことにして、死体を埋めるのを手伝う事を持ちかける。そうすることで坂崎が晴美に未練が有るかどうかを、私は確かめようとした。
晴美への想いが少しでも残っているのなら、殺さない。もし、そうでなかったなら………。私は覚悟をして坂崎を呼び出した。
坂崎は呼び出しにすんなりと応じた。そして共犯者になって欲しいという私の要求をあっさりと受け入れた。
私は愕然とした。この男は恋人を殺されたというのに、怒りの感情すら一切見せずにむしろ嬉しそうに私に従っていた。
私の中の怒りは大きくなったが、まだ実行に移す勇気が足りなかった。何かもっと坂崎と会話をして聞き出したいと思った。
死体を埋めに行く道中、坂崎は何度か話しかけてきた。私はなるべくぼろを出さないように『死体を埋めたい女子高生』を演じた。予め考えておいた嘘のストーリーに沿って話をした。
「…なあ、どうして晴美を殺したんだ?」
坂崎が話題を振ってきた。私はこれに嘘の理由を答える。この話は晴美の非がはっきりと分からないようになっている。坂崎がそれに気がついて、晴美を庇うようなこと言ったのなら、この男を殺すのを私は躊躇っただろう。でも、そうはならなかった。
「俺は木尾が晴美を殺したのも仕方ないと思う。他の奴らがどう思うか知らないが木尾にも理由があったんだよな。
だから、お前は悪くない」
私は呆然とした。そしてぽろぽろと涙を流して手で顔を覆って泣き出してしまった。
坂崎は晴美のことを一切庇わなかった。それどころか私を責めすらしなかった。
これで私の覚悟は決まった。
穴の底で背を向けている坂崎に、ナイフを突き立てるべく、私は穴の底に降りて行った。
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