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「残念ですが、御主人は二重生活をなさっているようです」
男は目の前の固そうなソファに膝を揃え上品に座る女に声を落とし、如何にも残念そうに告げた。女はそうですかと、か細く呟くと柔らかそうなシフォンのスカートを握り締める。
テーブルの上には分厚い紙の束と数十枚の写真。ならべられたその内の一枚を女は拾い上げ涙を流した。
男は興信所の所長で女はその依頼者。彼女は夫の浮気を疑いここへ訪れそして今、調査結果を聞いたところだった。
「今度こそ幸せになれると思ったのに。私、男性を見る目が無いんだわ」
彼女は高そうな黒いバッグからハンカチを取り出すと、目元を拭う。今度こそという言葉に反応して、男は深く考えずに以前にも?と訊ねた。
「ええ、お恥ずかしいのですが私、離婚はこれで三度目になります」
「それは」
にわかに興味の湧いた男は大変ですね、そう答え先を促した。
「最初の主人は多趣味な人で、そこに惹かれました。けれども、一年もしないうちに虚しくなったんです。私の存在は?と」
「何故です?その趣味は一緒に楽しめるようなものではなかったのですか?」
男の質問に彼女は少しはにかみ、そうですねぇ、と続けた。
「だんだんと独り取り残されているような気分になって、そんな時に癒してくれたのが二人目の主人でした。あ、勿論きちんと離婚が成立した後にお付き合いを始めたんですよ?」
元々は話したがりな性格なのか、彼女はそこから一気に今までの事を話始めた。
「二人目の方は医師でなに不自由なく生活させて頂きましたが、ストレスをギャンブルで発散する方だったのです。結局、発覚した借金も親が肩代わりする始末でどうにも自立していない方でした」
「それは苦労が目に見えますね」
でしょう?と少し興奮ぎみに話す女は一度息をつき、テーブルの上の冷めたコーヒーを一口飲んだ。そうして、その後何人かと結婚はしないまでも生活を共にしたがどれも長くは続かず、そうこうしているうちに三人目、つまり今の主人と出会ったのだと彼女は言った。
「束縛が強く嫉妬深い人、暴力を振るう人も居たわ。疲れ果てた私にあの人は優しく声をかけてくれたのに」
あの人とは三人目の事だろう。彼女はさめざめと再び泣き始める。
「考えてみれば最初の主人が一番堪えられたのね。私の堪え性がないばかりに」
男は合間合間に返事をして聞き終わった時には思わずため息をついた。聞いてみればなんの事はない、よくある話だ。
「お気の毒に」柱の時計に目をやり、男が報告書を封筒へ入れる。それを合図と思ったのか女の方も身支度を始めた。
「もっと良い報告が出来たら良かったのですが」
「いえ、これで最後、運命とさえ思ったのですけど」
滲む涙をまたもハンカチで拭う。
「失礼」女はそう言うとコートを羽織り、バッグからスマートフォンを取り出した。
どこかへ電話をかけ、さっと二言三言交わすと通話を終える。短い会話の中にも親しさを感じた。では、と扉へ向かう女にドアを開けてやり、男は何気無く聞いた。
「もしかして今、貴女に親身になってくれている方ですか?」
すると、女はにこやかに微笑み
「ええ、でもまだお付き合いはしていませんよ。だって慰謝料に影響するでしょう?」と嬉しそうに語った。
男が呆気にとられ無言で会釈をすると女はもう用はない、と言わんばかりにごきげんようと足早に去って行った。
その後ろ姿を見送り、男は机の上で山になっている吸殻から長めのを一本取りだした。くたびれたタバコに火を着ける。
そうしてゆっくりと煙を吐き出すと、さっきまで女が座っていた固いソファに身を投げ「近いうちにまた会いそうだな」と薄ら笑いを浮かべた。
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