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乾いていた土に恵みの雨が染み込んでいくような、そんな感覚に全身が高揚する。
あぁ…これだ。
ジグソーパズルの探し求めていたピースが綺麗にピッタリとはまるような、そんな感覚を俺はもう知ってしまった。
日常から非日常へ。
それは悪いことなんかじゃない。非日常が日常になればそれは普通で……。
……普通ってなんなの?
『どうしてみんなと同じように”普通”に出来ないのかねこの子は』
ダメだ、普通じゃなきゃ怒られる。
普通にするから、だからお母さんを怒らないで。
簡単だ…みんなの真似っ子をすればいい…。
大丈夫大丈夫。僕は普通にするからだからお母さん大丈夫だよ。
……ねぇ、普通ってなに?
・・・━
「しーばた」
クラクラとするような強い日差しの中、運動場の木陰を探して座り込む俺の前にやってきた佐倉は首筋にうっすらと汗をまとっている。すでに汗で髪が濡れ、雫が滴る俺とは違い随分涼しげに見えた。
「佐倉もちゃんとやろーよ」
「やだよ。居るだけで汗かくのにサッカーって…なんなのみんなドMか何か?」
お前が言うな。と言ってやりたいのを必死に飲み込むのは、あの夜の事を一切口にしない佐倉のせいで俺も何も言えない。夢だったんじゃないのかと時折考えるも、未だ鮮明に覚えている指先の感覚に現実だったと思い知らされる。
それともう1つ…。
「まだ5月頭でこの暑さはまじで異常気象じゃね?」
「この先来る夏が怖い」
騒がしいサッカーコートを眺めながら蒸し蒸しとした暑さに耐える。待機している半分の生徒は俺たちと同じように日陰に座り談笑している。なんだかここだけがいやに静かで、俺と佐倉のいる小さな木陰だけが世界から切り離されたような感覚になるのは、きっと異常気象のような暑さのせい。
「あっつ……」
無意識に口から出る不満じみた言葉で余計に暑さが増すように感じる。手の甲で額を流れる汗を拭ってもまた汗が流れる。
鬱陶しい……張り付く体操服も流れる汗も嫌になるような暑さも鬱陶しい。
「……舐めてやろうか」
べーっと赤い舌を出す佐倉はいたずらに笑ってこちらを見る。
…もう1つはこれのせい。
2週間ただのクラスメイトを演じた佐倉はその後、1週間前から何を考えてるのか、こうして時々酷く俺を誘惑し惑わせる。缶コーヒーを飲みながら「柴田が飲ます?」なんて聞いてきたり、まるでショーかなにかのように目線を合わせながら着替えて見せたり…
涼しい顔してとんでもないことを言ってのける。そんな何を考えているか分からないコイツが1番鬱陶しい……。
……ムカつく。
じっとりと佐倉を睨み付け、首筋を流れる雫を指で拭って佐倉の前に出す。
あの日感じた警告音が再び脳を揺らした。
佐倉の目がうっとりと俺を見て”舐めろ”とその言葉が俺から発されるのを待つのが分かった。
差し出した手をじっと見つめている佐倉は”待て”をしている犬さながらで、俺の言葉一つでそれに飛びつくのだろう。
お前の望み通りにしてやるもんか。
「あ……」
差し出した手を引っ込めて指先を服で拭く。そんな俺を驚いたように見つめた佐倉は不服そうに睨みつける。
「佐倉、交代だから行くよー。」
「…暑いから行かない」
「わがまま」
「うるせぇ柴田の馬鹿」
不服そうに口を尖らす佐倉を呆れ顔で見て先に行くよとそばを離れる。汗がじんわりと背を流れた。
4時間目の暑い体育がチャイムの音で終わりを告げ、暑い暑いとあちこち文句を垂れながら皆が校舎に向かい歩いていく。
横を歩くタケが「今日はバスケやらねぇからな」と汗を拭いながら何も言っていない俺に向かって言った。
「さすがに今日はやらない。暑すぎ」
俺の言葉に安堵したのかほっとした様子で喉が渇いたと早足に校舎に入っていった。
そんな背中を見送った後、ふと足を止めて振り返り見ると、先程の木陰にまだ佐倉が足を投げ出して座っていた。
「佐倉?戻んないの」
放って置く訳にも行かず、人影の無くなった運動場へ1人戻り、佐倉に声をかけると頭を上げて俺を見つめた。
「降参。」
「何が?」
「どうやったら柴田は俺に落ちるん?誘っても誘っても乗ってこねぇし、でも引いてるようにも見えない。なんならちょっと乗り気?」
佐倉は首を傾げながら降参と手を挙げて困ったように俺に問いかける。
お前が分からん。なんてブツブツと独り言のように言っている佐倉に正直、お前の方が分からねぇよ!と言ってやりたい。
というか本当に分からない。
俺自身のことも勿論佐倉のことも。
佐倉はきっと単純に飼われたいのだろう。”命令され従いたい”単純でいてそれが分からない。どうして俺なんだろう。
俺は佐倉をどうしたいのだろう。
無かったことにされてもムカつくし、かと言って煽られてもどこか癪で。
「佐倉は俺をどうしたいの?」
俺は一体どんな言葉が欲しいのか、真意が分からないまま聞いた質問に佐倉は答えず、立ち上がると腹減ったーなんて分かりやすく誤魔化しながら校舎へ向かって歩く。
「佐倉」
こうやっていつも佐倉何も言わない。答えも疑念も全てを俺に委ねる。それなのに主導権を握るのは佐倉で。
…あぁ。それがムカつくんだ。
飼われたいと願う”野良犬”のくせに…なんでお前が俺を選ぶ?
遠くの校舎からは生徒たちの喧騒が聞こえる。俺と佐倉だけのグラウンド、日常と非日常の狭間。酷く心がざわめく。
伸ばした右手が佐倉のうなじに触れ、驚いた佐倉が肩を跳ねさせ振り向こうとするのをグッと力を込めて首をつかみ阻止する。
「し、ばた?」
指先が佐倉の動脈を捉えて脈打つのを感じた。首を掴んだまま身体を寄せ、左手で佐倉の肩甲骨をなぞる。
「佐倉、俺が欲しいならちゃんとおねだりしなきゃ」
流れる汗と早くなる脈、生唾を吞み込む振動が首を掴む掌から佐倉の緊張が伝わる。
ピアスの着いた形のいい耳が赤みを帯びる。
「佐倉、俺にどうされたいの」
普通じゃない。
男同士で更には佐倉はサブミッシブで、俺は自分が分からないままで…。
でも一つだけ分かるのは、佐倉がただのクラスメイトなんて物足りないって事。
佐倉は普通じゃない。
目立つグループの中心で素行だって良くない。朝から学校にいる方が珍しいし真面目に授業だって受けない。髪は染めてピアスも開いてる。普通の俺とは全く異なる佐倉は俺に”飼われたい”
きっと一目見た時から佐倉に惹かれてる。
普通や平凡にこだわる俺と違って好きに生きる佐倉に惹かれてる。
そんな佐倉を俺はめちゃくちゃにしたい。
口の中掻き回して苦しいと、泣かせたい。
ひん剥いて噛み付いて白い肌に赤く痕を刻みたい。
縛って固めてどうにかしてと懇願するのを眺めたい。
誰にも触れさせない、俺だけの物に。
普通じゃない。
でももう知ってしまった。
指先ひとつ、言葉ひとつで支配する快楽を。
「なぁ言えよ佐倉」
初夏と言われる5月の初め、まるで真夏のような暑さの中、爽やかな風がグラウンドを抜ける。
遠くの喧騒と風が心地よくて、このまま佐倉と2人の世界であればいいと頭の片隅で浮かんで消えた。
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