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平凡 ドミナント・・・支配者。 サブミッシブ・・・従属者。 みんながよく知るSとMの関係とはまた少し違ったSMの形。 痛みや苦痛を与え、その様を好むSとは違い、誰かを支配したいと思うドミナント。 痛みや苦痛を好むMとは違い、誰かに支配されることに快感を覚えるサブミッシブ。 そんな単語を知ったのは高校2年の春。知りもしなかった世界に魅了され、気が付くと俺の中にはドミナント性があるのだと知った。そんな春の話。 平凡な俺の話。 「……”おいで”」 ━━━━━・・・ 高校に入学して1年、皆が自分の立ち位置を把握した頃にやってくる大イベントはクラス替え。 クラスカーストなるものに支配された学生たちは皆、自分に与えられた役割から外れないようにただ無意識に行動する。 例えば、彼は明るく社交的。クラスがまとまらない時にはわざとおちゃらけて見せては空気をひとつにまとめる。 例えば、彼女は内向的でいつも誰かのサンドバッグ。役割を押し付けることも出来ずにただ日々耐える。 けれどそんな運命を変えるのは今日、クラスカーストが見直される日。皆色んな思いを秘めて掲示板を眺める。 (どうか私より陰キャがいますように) (あいつと離れられるならどこでもいいや) (ぼっちだけは嫌…) 俺には関係ない。 どんなクラスでも誰とでも仲良くなれる俺は常にクラスカーストど真ん中。 誰にも害を与えず害を与えられない立ち位置。それを苦に感じたことも無ければ毎日が楽しい。勉強は嫌いだけど平均以上は取れてるし出来ないわけじゃない。学校は好きだし、友達も沢山いる。他校に彼女もいてセックスも好き。気持ちいいことを嫌いな人間は居ないだろうけど…。とにかく俺は普通の男子高校生。悪く言えば平凡。 ただ、たまに。 本当にたまに。俺は何者でもないと感じる時がある。 クラスカースト底辺の彼女ですら、”誰か”のサンドバックなのに、俺は人畜無害なただの俺でしかないのだと…。 ま、平凡上等。いいじゃんね平凡。 「おっはーしばっち!クラス表見た?」 「タケおはよー。見てない!行く?」 「行こ!おもしろいクラスがいいなぁ」 「それな」 校門をくぐった所からボーッと掲示板の前に群がる生徒達の背中を眺めていると、ポンっと肩を叩かれた。声を掛けてきたのは中学からの友人、竹原優也。いつもと変わらない笑顔を見せるタケに釣られて笑うとそのまま後について人混みを抜けて掲示板の前にまで行く。 「お!しばっちと同クラ!」 「あ、マジじゃんナイスー!」 「あー…でもパリピ組怖ぇなこのクラス」 タケが困ったように眺めるクラス表の名前を同じ様に眺めてみると、確かにクラスが違っても名前と顔が分かる様な目立った生徒が数人名前を連ねている。 「まぁ、大丈夫でしょ。体育祭とか盛り上がりそうなクラス」 「しばっちコミュ力高いもんなぁ…羨ましい」 「そうか?別に歳が違う訳でもないしただの同級生じゃん」 クラス表を確認し、新しい2-Bの靴箱に靴を仕舞うと2人で教室を目指して歩く。みんな新しい生活に色んな思いを抱えているのか、校内がいつもより賑わっていてどこか少しワクワクした。 「芝田 葵です。昼休みはだいたいバスケしてるんでよろしく!」 クラス替えといえば着いてくるのは自己紹介。体育館での始業式を終えて教室に戻り始まったLHRでは名前の順で自己紹介をすることになった。 少し浮かしていた腰を下ろし、椅子を鳴らして座り直すと続いて後ろの席の奴が立ち上がり名前と一言何か話している。 ただの顔見知りからクラスメイトに変わる瞬間。昔はこの時間が好きだったけど、いつしか特に何も思わなくなった。あいつはどんな人なんだろう?こいつはなんて名前なんだろう?そんな風に目を輝かせて話を聞いていたのは小学生までだった気がする。 名前と一言。そんな簡単に一人の人間の分析なんて出来ない。 分かることといえば……。 ガラッと開いた教室の後ろの扉から気だるそうに入って来る男にクラス中が視線をやる。 「佐倉!一学期初日から遅刻だぞ」 「あー…寝坊して。すんませんね」 「ったく…早く空いてる席に着け遅刻はお前だけだ。ついでに自己紹介しとけ」 自己紹介が終わり、残すはこの男だけという状況はある意味タイミングがいいと言うのだろうか?佐倉と呼ばれた男子生徒は教室を見渡して空いている俺の前の席にカバンをドサッと乗せると静かに話し出した。 「佐倉 秋歩。よろ」 それだけ告げ終わりと言わんばかりに席に座る。正直きっとクラスの殆ど、もしくは学年の殆どは彼の名を知っているだろう。 クラス替え、自己紹介。 分かることといえば、こういうタイプの人間について。多くを口にしなくてもオーラと整った面がものを言う。 授業を終える鐘が鳴り、次は委員決めだと行って担任はそうそうに教室を後にした。 ガヤガヤと喧騒が湧き始めた教室で、一際目立った甲高い声が聞こえる。 「あーきほ!同クラ超ハッピー!!」 クルクルと赤茶の髪を巻き、鼻の奥がツンっとする程の甘い香りを漂わせた可愛い女子が、下着の見えそうなスカートを揺らして前の席の佐倉に抱きついた。 「梨華…お前マジうるさい。つかうざい」 「えー…酷い!秋歩ハッピーじゃないの?信じらんない!」 「はいはいハッピーハッピー」 「めっちゃ塩対応!ほんと好き♡」 「はいはい好きよー」 そんな言葉とは裏腹に手はあっちに行けとシッシッとジェスチャーを繰り返している。 わらわらと集まってくるクラスの目立った生徒たちに気付けば俺の前席の周りは特段喧騒に包まれている。 うんざりとする騒がしい空気と下品にこだます笑い声に席を立つと、窓際で隣の席の奴と話しているタケの席へ向かう。 「避難してきました」 「お、しばっちにしては早い逃亡だな」 「いや流石に元気すぎるよ佐倉軍団」 「でもしばっちは気がついたら仲良くなってるから末恐ろしいよなぁ」 「まぁ、楽しいじゃん。ああいう集まり」 楽しいならいいけど…と眉を下げて笑うタケに笑い返すとチャイムがなり各自がバラバラと席に戻っていく。 チャイムが聞こえていないのか、はたまたま聞こえているが無視しているのか、佐倉の周りにはまだ4.5人が集まっていて話し込んでいる。 まぁ、席に戻るのは散ってからでいいか。と呑気に待っていると担任が教室に入るや否や「席に着け」と一言で集団を制した。 その流れに乗りやっと自身の席に着くと佐倉が振り返り目が合った。 「悪ぃな」 あ、謝れるんだ。 なんて失礼な事を考えたのがバレないようにニカッと笑って見せた。 「いーよ!なんなら席使って」 「…んな事したらアイツらまじ居座るから」 「ははっ、それは想像つく」 ふっと口元だけ笑った佐倉は前を向き会話が終了したのだと、俺も笑みを崩した。 なんだ。佐倉、普通に喋れるじゃん。 そんな風に思ったのは1年の頃から佐倉にはあまりいい噂を聞かなかったせいだった。 女を回して金を稼いでいる。だとか、財布は持たずに生徒から金を巻き上げてる。だとかその筋の人達と交流があるとか。分かりやすく噂話でしかないような噂だったが、警戒するに超したことはなく。実際余り関わらない方がいいのだろうと考えていた。 前を向いた佐倉の背中を眺めていると頭の向きからして前を向かず、机の下にある手元を見ている事に気がつく。 チラッと身体をかたむけて覗いてみるとスマホを操作しているようだった。想像通りの授業態度でどこか安心した。 2限目の委員決めの間、佐倉はずっとスマホを弄っていたようで、時折苛立ったようにガシガシと頭をかいたり、大きくため息を着いていた。 どーしたん?なんて声を掛けるような仲でも無くただ視界に入る背中を眺めていた。 2限目が終わり休憩に入ると再び集まってくる騒がしい集団に、佐倉は席を立つと「電話」と一言だけ告げて教室から出ていった。 目的の無くした目立つ梨華と呼ばれた女子は面白くなさそうに佐倉の席に座った。 「まーた束縛彼女の機嫌取り?なんで佐倉別れないんだろ。意味わかんない!」 「まぁそんだけ好きなんじゃね?知らんけど!いいよなぁ年上彼女!」 へー。年上彼女居るんだ。なんて聞く気がなくても耳に入ってくる情報に、心の中で相槌を打ちながらスマホゲームに勤しんでいると視線を感じて顔を上げた。 佐倉の席に座り、こちらを見るのは梨華と呼ばれた薄く化粧のした可愛い女子と目が合った。 「ねぇ名前なんだっけ?」 「柴田葵。よろしくー」 「あ!葵ちゃんだ!名前可愛いーって思ったんだよねー!わたし山下梨華よろしく〜」 「なに梨華ナンパ?俺松本広樹」 「ナンパじゃないし!」 ニコニコと話す山下に続いて、茶色の頭髪を掛けた耳には何個着いてるんだ?と聞きたくなるほどのシルバーのピアスを光らせた松本も話しかけてくる。こういうのはノリよく会話が出来ればそれなりに仲良くなれるのを中学からの経験で知った。 「葵ちゃん彼女居んのー?」 「いるよー他校だけどねー」 「マジ?羨まー」 会話の途切れそうな雰囲気に山下さんと目が合った。あぁ、聞けって事か。と察し2人に問いかける。 「山下さんと松本くんは恋人いんの?」 「俺は今フリーだねー」 「わたしはフリーダムだよ!!」 フリーダムとは?と首を傾げていると電話を終えたのか佐倉が戻ってきた。チラッと視線が合ったがすぐにそらされ、山下の腕を引き立ち上がらせて席に座った。 「秋歩おかえり♡ てか葵ちゃん苗字呼びじゃなくて名前で呼んでよ!」 「あー俺もくん呼びいらんよ?」 俺は何も言っていないのに既に葵ちゃん呼びは定着したのだろうか?わざわざやめろと言うのも面倒だと訂正せずに「了解」とだけ返事をした。 「つかなに。なんで仲良くなってんの」 「秋歩が彼女ばっか構うから葵ちゃんに相手してもらってたのー」 「あそ。ふっ、葵ちゃん?」 少し口角を上げながら馬鹿にしたように呼ばれ目が合うと不覚にも少し見とれた。 佐倉はイケメンと言われてるけど俺からすればどちらかと言うと綺麗だ。男に綺麗なんて口が裂けても言わないが、太陽光にあたる栗色の毛がキラキラとしていて、あまり日焼けしていない白い肌によく似合っている。 モテメンはまじ面がいいよなぁと眺めてしまい、不信感を募らせた表情で睨まれた。 「おい、何ガンつけてんの?」 「え?あ、悪い。柴田葵、よろしく佐倉…くん?」 「…くんはいらんでしょ」 「ん。じゃあ佐倉」 「よろしく柴田」 ふわりと笑う佐倉にニコッと笑って返すと何故かじっと顔を眺められた。 「…お前どっかで、」 「チャイムなったぞー席に着けー」 佐倉が何か言いかけたが、入ってきた担任の声に遮られ話が中断された。梨華と松本が席に戻り明日からの予定が書かれたプリントが配られる。佐倉から肩越しに腕を回し渡されるプリントを受け取り、また後ろへ回し向き直ると佐倉はまた机の下でスマホをいじっている様だった。 学年1目立つイケメン佐倉とその仲のいいメンバーと仲良くなれて、ぎっしり書かれた年間行事が楽しくなりそうだと眺めている間に初日のコマが終了した。 また明日と担任が言うと共にせっかちな生徒はカバンを抱えて席を立ち始め、俺も貰ったプリントや新しい教科書をカバンに詰める。 「しばっち帰ろ」 「おけ、ちょっと待って全然帰る準備して無かった!」 そんな中タケがやって来て慌ててカバンに押し込む。そんな様子を見ていたタケはゆっくりで良いよと笑いながら待ってくれていた。 「そういや帰りどっか寄ってく?」 「あー、いや今日母さんの店の掃除に呼ばれてる」 「まじかー残念。じゃあまた今度な!」 「また誘って」 帰りの支度ができて立ち上がり、まだ座ったままスマホを触っている佐倉の机をノックをするようにコンっと鳴らすと佐倉が顔を上げた。 「じゃあね佐倉また明日」 「ん。また」 なんとなく帰りのHRの時からスマホを触る佐倉の背中が悲しげに見えていて、彼女と何かあったのだろうと勝手に考えていた。 声をかけてみたのも、どんな顔をしているのか気になったからで、顔を上げた佐倉の表情は想像していたよりも変わらず元気そうで安心した。 「え、なんか仲良くなってるじゃん」 「ん?」 「佐倉と!」 「あーだって席前だし…噂と違って全然普通だったし?」 教室を出てから驚いた様子でタケに腕を捕まれ、なんで?!と問い詰められる。タケは中学から何があったでもないのにやたらと目立った生徒に苦手意識を持っている節があった。 「佐倉も松本も全然話してみると普通だよ?」 「いやー…怖いよ松本とかピアスジャラジャラじゃん…」 「かっこいいじゃんピアス。明日何個開いてんのか聞こ」 「お前のコミュ力が俺は時々恐ろしいよ…」 「そう?」 そんな風にダラダラと話しながら駅まで歩いていく。駅のホームでは同じ制服を着た生徒が多く居て混雑していた。 「タケ、俺母さんとこだから。また明日な」 「あ、そっか。じゃあなバイバイ」 「バイバイ」 混雑する上りのホームを離れ、階段を登り渡り廊下を通って反対側のホームに行くと、チラホラと生徒は居るが混雑具合はまるで違ってこっち側は空いていた。 空いているベンチに座り母から来ていたLINEを開き、今から向かうと送信した。 母は街のネオン街で小さなスナックを経営していて、お世辞にも治安がいいとは言えない飲み屋街に普段はあまり立ち寄らないようにしていたが、大掃除をすると言っていた母の手伝いに向かうことにしていた。 やって来た電車に乗り、イヤホンを着けて音楽を流す。隣町の高校に通う彼女から、新しいクラスがどうたらと、当たり障りのない内容のメッセージが届いていたがアプリを開かずに放置した。 正直、最近は面倒に思うことが増えた。 付き合い始めほど会う頻度は多くないし、会ったからと言って何か真新しいことをする訳でもなく。家を空けることの多い母のおかげで2人きりになれる場がある思春期の俺達はいつも変わらずセックスorセックス。 気持ちいいしヤッてる間は満たされるが、どうにもバイバイした後は本人に興味が薄れてしまう。きっと未だに付き合っている理由はただ別れる理由もないから。 きっと純粋なタケにこんな話をしたら不純だ!と騒ぐだろうと考え、フッと口元が緩んだ。 彼女も居て、友達もそれなりに多くて勉強もそれなり。平凡で当たり障りのない学生生活につまらないと感じるのは贅沢なんだろうか。 窓の外を流れる景色を眺めながら小さくため息をつき、イヤホンの音量を上げた。 「はぁぁー!疲れた!!」 ドサッとソファに寝転がって見ると自然と目を閉じて眠ってしまいたくなる。 数の知れない棚に並んだボトルを引っ張り出し棚を拭き溜まった埃を落とした後、ボトルも綺麗に拭いて棚に戻す。それが終わった後は、併設されたテーブルやソファを退かし床を綺麗にした。それだけで昼前に着いていたはずが気がつけば17時前。腹も減ったし何せ疲れた。 「あんたが居てくれて開店間に合いそうで良かったわー」 「バイト代出してよ?」 「ならおつかい行ってくれない?お釣り上げるから!」 ここぞとばかりに息子を使う母を睨むと笑顔で「ママは今から開店準備」と告げられた。 1万円札を差し出され、トイレットペーパーと炭酸水を頼まれた。そのくらいの買い物なら1000円も掛からず思いの外貰えそうなバイト代に立ち上がり母に手渡された母のコートを羽織った。母なりに制服のまま出歩くにはあまり宜しくない街の雰囲気に気を使ったのだろう。男でも女でも着れるような上着だった事に安堵しながら店を出た。 スーパーで買い出しを終えて大通りからひとつ通りを入ると、チラホラとネオンが光出していた。大人の雰囲気を漂わせる通りは昼間とは違った顔を見せ始める。肌の露出が多いドレスを纏った派手なお姉さんは、高そうなスーツを着た男性の腕に絡みつき歩いていたり、いかにもホストだろう男の後ろには気の弱そうな女性がついて歩いている。 そんな大人達と目を合わせないように母の店へと歩みを進める中、ビルとビルの間から言い争うような声が聞こえたが、この街では良くあることと見ないふりを決め込み通り過ぎた。いや厳密には通り過ぎようとした。 足を止めてしまったのは、バッグを振り回し怒り狂う女性を諭しながらも抵抗する男の横顔に見覚えがあったせいだった。 「…佐倉?」 小さく呟くように無意識に出た名前に頭の中で昼間の梨華と松本の話がよみがえった。 『まーた束縛彼女の機嫌取り?なんで佐倉別れないんだろ。意味わかんない!』 『まぁそんだけ好きなんじゃね?知らんけど!いいよなぁ年上彼女!』 いや…年上の彼女めっちゃヒスってるじゃん…。 止めるべきか?今日仲良くなったばっかの俺が入る話じゃないよな…?なんて考えている間にヒートアップしていく2人の声は大きくなり会話が耳に入ってくる。 「あんたのそれはもうただのワガママだろーが!」 「はぁ?命令してやってんでしょ?!何が不満な訳?!」 「してやってるってなんなんだよ!嬉しくも何ともねぇから、マジもう無理。あんたとは付き合いきれない」 「意味わかんない!犬のくせに!」 そう言って女が振り上げたカバンは佐倉のこめかみに強く当たったのか、佐倉は顔を押えてしゃがみ込んだ。思いの外強く当たってしまった事に動揺したのか、女は呆然と佐倉を見下ろしていて俺は居てもたってもいられず 気がつけば駆け寄っていた。 「佐倉?!大丈夫か?」 「あ?…柴田?なんでお前こんな所にいんの?」 俺の顔を眺め驚いた表情の佐倉のこめかみからは血が流れていて、咄嗟にポケットに入っていた母のハンカチで押さえた。 「うわ、切れてるじゃん…」 「……おい。ユカ、もう別れる。連絡してくんな」 「あっそ、あんたみたいなクソ犬こっちから願い下げ。さようなら!」 そう言ってヒールを鳴らして去っていく女の背中を、人の別れ話初めて間近で見ちゃった…と呆然と眺める俺をじっと見る佐倉が「痛ってぇ」と小さく声を漏らしたことでハッと佐倉と向き合った。 「と、とりあえず佐倉、店!店行こ!着いてきて」 佐倉の返事を待たずに腕を引き、母の店に向かう。その間、腕を引かれ着いてくる佐倉は酷く静かだった。 「おかえりーちゃんと買ってきた?…って何?喧嘩?!」 「違う!俺じゃないから!母さんとりあえず救急箱!」 店の扉を開きカランッと扉に着けた小さなベルが音を立て、チラッと横目で俺の姿を確認した母は手元の盛り付けている料理に視線を戻したが、続けて入ってくる佐倉の気配に再び顔を上げ血塗れた顔に驚き声を上げた。 大変!と店の奥に救急箱を取りに行った母を待つ間、佐倉をカウンター席に座らせて水に晒したタオルで血を拭ってやる。 静かにされるがままの佐倉はキョロキョロと店内を見渡していた。 「…柴田の親の店?」 「そう。母さんがスナックやってんの」 「へー。ってぇ…」 「あ、ごめん。つか怖いね佐倉の彼女…てか元、彼女?」 「あーうん。元だなもう」 「…クソ犬って言われてたけど」 「……まぁいいよ、それは」 「…いいんだ」 気まずいようななんと声を掛けたらいいか分からない雰囲気に次第に沈黙し、血で汚れた部分を拭き終えると黙って傷を押さえておく。 「あったあった。…葵どう?病院行った方がいい感じ?」 「んー…どうだろ分かんねぇ、母さん見て」 傷の具合を覗き込んだ母はこれくらいなら大丈夫かな?と言いながら消毒しガーゼを当てる。 「えっと、葵の友達?」 「あ、はい。クラス一緒で…佐倉です」 「佐倉くんね。一応消毒したけど心配だったら病院行きなさいね?綺麗な顔なんだから傷なんて残ったら勿体ないわよ」 母親と今日初めて話したクラスメイトが話している状況になんだかソワソワして落ち着かず、店内をウロウロとしていると佐倉が立ち上がって母に頭を下げていた。 「ありがとうございました。迷惑かけてすみません」 「いいのよ気にしないで!葵、あんたも一緒に帰って送ったげなさい」 「ん、じゃあ帰るわ。ありがとね母さん」 「佐倉くんも気を付けてね」 先に店から出るとドアの前でもう一度頭を下げて礼を言う佐倉に意外とちゃんとしてるんだなぁと思い眺める。 「柴田もありがとな」 「ん、いーよ別に通りかかっただけだし」 大通りへ出ると佐倉の家の方角を聞き2人で肩を並べて歩く。 「…てかまじでアレで終わり?別れたの?」 「さぁ、まぁ…終わりじゃね?こっちカバンで殴られて流血だし。巻き込んで悪かったな」 「そっか…確かに。……なぁ巻き込まれついでになんであんな喧嘩してたんか聞いてい?」 そう問いかけると少し話しづらそうに視線を泳がせる佐倉に、間違ったかも…と思った。 きっと佐倉とっては踏み込まれたくない話だったのか空気が淀む。 新学期、新しいクラス、噂の耐えない新しい友人。そんな佐倉の修羅場に遭遇して、夜道を肩を並べて歩く。 この時、そんな平凡とは少し掛け離れた1日に俺はどこか興奮していてきっと何かが変わる気がしていたんだと思う。 普段なら空気を読んで話題を変えるような場面で俺は立ち止まり佐倉の言葉を待つ。 好奇心は猫をも殺す。 踏み込んでは行けない。だって俺は平凡で人畜無害な1モブに過ぎないのだから…。脳内に響き渡る警告すらも非日常のスパイスへと変わった。 数歩先で止まった佐倉が振り返り月明かりに照らされて栗色の毛が色を変えた。 逆光で見えづらい佐倉の瞳をじっと見つめる。 俺はこの瞬間多分セリフを間違えたのだ。 「佐倉、”教えて”」 思いの外低く発した声が、佐倉には誘惑となり鼓膜を揺らした。
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