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私はいったん、濡れた手を着ているトレーナーで拭いてから、フリック入力を続けた。
「あれねえ、あんま意味ないよ。バカみたいに嫌だと思うことを喋らされるだけだもん。オムツのCM、年賀状の家族写真、当たり前に赤ちゃんまだ? って言ってくる叔母さん、産科と婦人科は別々にして欲しいとか、何回このくだりの話をしたことか」
『でも聞いてもらうのって大事じゃん』
「大丈夫、聞いてもらえなくても。もう|慣れた(・・・)から」
けれど言葉とは裏腹、身体は泥土を含んでいるかのように重い。下腹に鈍痛。女性特有の憂鬱は、人生に何が起ころうと、容赦なく襲ってくる。
『子宮の内膜が剥がれ落ちて出血するわけだから、痛いに決まってる。そりゃ死にたくもなるよ』
論点をずらしてくれたのか、それとも共感の親切心か。
「だね」
もし、簡単に赤ちゃんができていたとしていたら、彼女とは友達になっていなかった。いや、この関係を友達と言っていいのかどうかもわからない。複雑で難解。
同じ不妊治療を受ける仲間、同志、友人、知り合い、色々なカテゴリはあるけれど、もちろんどちらかが妊娠すれば一発で退場、もしくは一抜けとなることは明白だ。
もしそうなったらと考える。
嫉妬で狂ってしまうかもしれない。先を越されたと悔しくて仕方がないのかもしれない。きっと心から素直におめでとうって言うことはできない。そんなシーソーの端と端にしがみついている、祝福とはほど遠いポジショニングの二人。こうして励まし合いながらも、そのシーソーからお互いが足を滑らせて落ちるのを、息を潜めて見つめ合っているのだろうか?
私は長引く不妊治療によって、いつしか疑心暗鬼になっていた。違う、リカに対してではない。自分自身に対してだ。
本当に心から、自分の子どもが欲しいと思っているのだろうか?
旦那のハルキが、赤ちゃんが欲しいと言ったから不妊治療を頑張っているのだろうか?
母という存在に私が適してないと、ママという存在に相応しくないと、神さまが判断しているのかもしれない。そういう精神論的な考えに辿り着くことができたなら、この苦痛から解放されるのかもしれない。
涙を拭った手をそっと、下腹に当てた。手の温もりは伝わってくるが、そこには虚無で無慈悲な生理痛しか存在しない。
子宮は宇宙なのだと思う。
想像するにそこは静寂で、この世界のあらゆるものから遠ざかった、静謐な世界なのだと思う。
しんとした静けさの中に、もう|どこにもいないはず(・・・・・・・・・)の生命の痕跡を探してみる。
『死ぬ?』
「ううん。死なぬ」
新たな生命を生み出したい私に、バカげた死の選択肢などはない。
「……また来月頑張るよ」
このころにはもう、何をどう頑張ったらいいのかもわからなくなっていた。
✳︎
「ただいまー」
旦那のハルキが仕事から帰ってくるやいなや、スーパーの袋を渡してきた。ガサッと音がして、意外と重い。
「なに? 買い物行ったの?」
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