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今日のことがある。視線を合わせられなかった。けれどいつかは今日の結果のことを話さなければいけない。ハルキの横を無表情で、すっと通り過ぎると、キッチンに戻り作りかけだった野菜炒めを完成させた。
ハルキと二人、静かな食卓を囲んだ。
ハルキはもともと子どもが好きだった。自身は、五人兄弟の末っ子。賑やかな家庭で育ったこともあり、子どものいない人生なんて、これっぽちも考えられない人だ。
それに反して私は一人っ子。静かな家庭で育ったから、こういう食卓も苦にならない。
だから、私が心の底から子どもを欲しているのかどうかという疑問にぶち当たる理由は、そこにあるのかもしれない。
ただハルキは違う。私と結婚しなければ、順調に一児か二児あるいは三児の、目に入れても痛くない系の甘やかしパパになっていただろう。そう思うと、ハルキのためには是が非にでも欲しいという焦りに似た感情に苛まれる。もし私が赤ちゃんを宿せない身体だったとしたら。そう考えるだけで、圧倒的で暴力的な恐怖に襲われ、あっという間に支配されてしまうのだ。
他の女性と結婚していれば今ごろ幸せな家族団欒を過ごしているのかもしれない……。
そんな恐怖とずっとずっと闘ってきた。
「ねえ、ハルキ……」
重い口を開き、泥でも吐くように言った。
「ね、ごめんけど、今日、アレ来ちゃった」
「……そっか」
『アレ』のひと言ですべてを察することができるほどに繰り返した、日々の長さ。押しつぶされそうになるプレッシャー。そして、ハルキはその流れで静かに問う。
「身体は大丈夫?」
「うん大丈夫」
子宮は宇宙。
小さな空間で大切で尊い命が発生し育まれる。
子宮は宇宙だけど、私のここは、泥土でも堆積しているんじゃないかと思わざるを得ない。ずっと不妊治療を続けてきて、手応えというか感触としては、そうとしか思えなかった。
ただ、泥が詰まっているだけなのだ、と。
「スノードロップ」
「うん?」
「可愛いね」
「ん」
泥の中で咲く花など限られている。ましてやこの可愛いスノードロップなんかは、私の泥に埋もれた子宮の中で咲くことはないだろう。
神さまでもきっと、こればかりはどうしようもできないのだろうな。
辞めどきも諦めどきもわからない、足のつかない底なし沼のように。
「カオリ?」
「ん?」
「泣かないで」
「うん」
「また次頑張ろ?」
「うん」
「おいで」
ギッとイスをひざ裏で押し、立ち上がる。ハルキもそれに合わせて立ち上がった。お互いをハグして、さらに抱き締め合う。
その拍子に、ううと嗚咽が漏れた。
「なあ、カオリ。いつも言うけどな、俺はいいんだよ。子どものいない夫婦だって、この世にごまんといるんだから」
「ん」
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