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海の中を長い間泳いできたような感覚で、体が重たい。俺がぼんやりと目を開くと、今度は居酒屋にでも来ているのか、テーブルを囲って数人の男女が酒を酌み交わしていた。
少しずつ喧騒が聞こえ始めて、状況を理解するために頭を働かせようとするが、妙にぼんやりしている。目の前に置かれたコップに気づき、鼻を近づけてみてようやく納得した。この体の主は酔っているらしい。
「勝間さん、二軒目行きませんか?」
隣にいた女性がしなだれかかってくる。俺はそこでまた勝間になったのだと知り、この状況をどうするべきか悩んだ。
そもそも、先ほどの源とはあの後どうなったのか。振られたのか、それとも。
俺が考えているうちに、手元に置かれていたスマートフォンが鳴り始めた。恐らく勝間のものだ。表示された名前を見て、俺は前回同様、勝間に主導権を渡した。
「彼女さんですか?」
「……まあ、それに近いというか」
「はっきりしないんですね。出たらどうなんですか?」
拗ねたような女性の口調に苦笑しつつ、勝間はスマートフォンを手に席を立つ。店から出て少し喧騒が遠ざかったところで、スマートフォンを操作して電話に出る。その時、勝間の心境が少し伝わってきて俺は首を捻った。
不快。落ち込み。悲しみ。そのどれもが合っているようで、どれも違うような。
「はい」
「やっと出てくれたのね。今どこなの?」
「だから、今日は職場の同僚と飲み会だって」
「……どこなの?」
電話越しの源の声が低くなり、勝間とともに俺も背筋がひやりとした。
「居酒屋。駅近くの。もう少しかかるから、終わったら連絡する」
「本当に?」
「うん、本当だ」
「嘘」
「嘘じゃ……」
「だって茂平さん、この間もそう言って、返信くれたのは翌日に私が催促してからだったじゃない」
「……それは」
「飲み過ぎて返せなかったからとか、そんなの信じないから。どうせ、他に女がいるんでしょう」
「違う」
はっきりと否定しつつも、勝間は弁明を上手く後に続けることができない。俺も源と同じように、先ほどの女性を思い出して浮気の可能性を疑ったが、微妙に感じる勝間の心境がまだ読み取れず、はっきりと断定できない。
「……とにかく、後で必ず連絡するから」
相手の反応を待たず、そのまま通話を切った勝間は深く溜息をつく。
「彼女さんと揉めているんですか?」
背後から聞こえた声に振り向けば、あの女性が口元に淡い笑みを浮かべながら立っていた。
「揉めている、というか……」
「束縛、とか」
「え……」
勝間の中に動揺が走る。
「この間、勝間さんが他の人と話しているのを偶然聞いちゃったんです。最初は彼女さんのことが大好きだったけど、お互いにもともとモテるのもあって、彼女さんは自分のこと棚上げにして勝間さんのことばかり攻めるって。言い返したりしないんですか?」
「いや、何回かある。俺ももちろん嫉妬することはあるし。でも、何というか向こうの気持ちというか、熱量がすごくて。俺以外見えないという感じが、時々」
「重い?」
勝間が言いかけてやめたであろう台詞を、女性が代わりにはっきりと口にする。
「……」
「ねえ、勝間さん。この後二人で抜け出しませんか?」
「……でも、君は課長と」
「私もちょっと疲れちゃったんですよ。もちろん、一緒に飲むだけでも構いませんし、ね?」
「……」
黙り込む勝間に女性が腕を絡めてきた時だった。どこからかヒールの音が響いてきて、女性が掴んだ方とは反対側の腕を取られる。
「涼香。どうして」
「その話は後よ。帰りましょう」
源は女性の方に見向きもせず、勝間の腕を強く引く。勝間は女性に何か言いかけたが、女性の方が察してさっと身を引き、ひらりと手を振りながら店内へ戻って行く。
「涼香、今のは」
「……」
「涼香」
何度か呼びかけると、源はようやく歩調を緩めた。
「大丈夫よ。今のは、あの子の方からあなたに近づいただけ。そうでしょう?」
「……ああ」
怒られると予想していたが、思いの外源の声は優しい。勝間とともに俺も安堵していると、源が人通りの少ないところへ勝間を引っ張り、大胆にも口付けてきた。
俺は感情以外の感覚を勝間と共有しているわけではないため、キスをされたとしても感触はない。ただ、勝間が先ほどと違って落ち着いてきていることと、源への欲望を募らせてきているのが分かった。
あの女性との会話で、勝間は源と別れようとしているのかと思ったが、そうではないらしい。俺は恐らく、自分の自我が生まれた瞬間からこの奇妙な夢に支配されるようになったため、恋愛というものをしたことがない。そのせいか時々、源と勝間の気持ちが分からない時があるが、恋愛とはそういうものかもしれないと思い始めた。
源と勝間がそのまま連れ添ってホテルへ向かい、そういうことをするのをぼんやりと眺めているうち、また次第に自分だけが引き離されていくのを感じた。
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