4人が本棚に入れています
本棚に追加
3 空虚な声
溺れている時、頭上から強引に引き上げられたように、一気に夢から覚めた。生まれて初めてそうやって目が覚めた気がして驚きつつも、先ほどまで見ていた夢の残滓が振り払えず、しばらく事故現場の様子が目の前をちらついていた。
そのまま、また次の夢が始まりそうだったが、床に転がっているスマートフォンが鳴り始めたことに気がつく。幾分かすっきりしたような頭で、かつてなくスムーズにスマートフォンに手を伸ばした。
「お目覚めはいかがですか?」
聞き慣れた男の声が耳に届く。そもそもが俺のアドレス帳にはなぜかこの男以外に登録されておらず、他の誰からもかかってきたことがないのだが。
「今までで一番最高だ」
心から答えつつも、最後に見た夢が尾を引いていて、気分的には良くなかった。
「それにしては声が沈んでいますね」
「……」
妙に鋭い指摘に苦笑いを浮かべる。時々、この男には俺の心が見えているのではないかという、ありえなそうでありえる想像をしてしまう。
「今回はどんな夢でしたか?」
「……男と、女が二人出てきた。よく分からないが、三角関係?ってものだろうか」
「なんでそんな疑問形なんですか」
「俺は恋愛をしたことないから、分からないんだ」
馬鹿正直に答えると、男は意外にも笑うことなく、一瞬黙り込む。
「……そう、でしょうね。その三角関係の男女は、名前とか分かりますか?」
「勝間茂平と、源涼香。あとの一人は名前までは分からない」
「………」
「どうした?」
「あ、いや。それで、その三人は最後どうなりましたか?」
「場面がぶつ切りだったから状況が掴みにくいが、勝間と名前の分からない女が事故に遭って……」
「死にましたか」
「ああ、そうだと思う」
答えた途端、部屋の温度が何度か落ちた気がした。これまでも男と話していて安心など得られたことはないが、今ほど刃を向けられているような感覚を味わったことはない。
「……あなたは、そういう夢を見てどう思いましたか」
長い沈黙の末、男は質問というよりも、尋問に近い口調で尋ねてくる。
「どう、と言われてもな……」
俺は言い淀みながら、返答次第で自分の身が危うくなる気がして、慎重に言葉を選んだ。
「はっきり言って、後味は悪かったな。最初は一組の男女が幸せになるまでを見せられるのかと思ったが、あんな結末が待っているとは。だけど何より、疑問に思う気持ちの方が強い。なぜ途中から現れた女と、勝間が一緒に車に乗っていたのか。それから、前々から思っていた疑問もある」
この問いをしていいのか一瞬迷った末、夢を見る前に男が俺に投げかけた質問を思い出し、その答えを得るためには言うべきだと思った。
「俺は一体なぜ、こんな夢を見せられているのか。あんたが言う、ここから出る方法のヒントがこの夢に隠されているのかどうか。あるいは」
最後に口にしかけた台詞は、それが本当になってしまうのを恐れて言葉にするのさえ躊躇われた。
電話の向こう側の反応を待っていると、ふ、と息を吐き出す音がした。
笑った。まさか。
自分の予想を打ち消そうとした途端、男の笑い声が響いた。
「おい、何がおかしい」
「ああ、失礼。あなたもそこまでちゃんと考えていたのだなと思うと、つい」
「茶化すな」
だが、次の瞬間、男の声は様変わりしていた。
「その夢は、あなたにとって何だと思いますか」
背筋が凍るほど空虚な声に、俺は思わず生唾を飲んだ。
「今までいろんな夢を見てきたが、あれは夢というより、誰かの記憶を見ているようだと思っていた。だが、俺とどう関係しているとかはまるで分からない」
「……そこまで考えているのであれば、一つだけヒントを差し上げましょう」
「ヒント?」
「ええ。これを聞いて、あなたがそこから出られる可能性が上がるかもしれませんし、そうでないかもしれませんが。あなたが言うように、あなたは今までいろんな夢を見てきましたが、本当にあなたに関係があるのは今回見た夢だけだと考えていいでしょう」
「どういうことだ?やっぱり、あれは誰かの記憶ということか?」
「それはご自分で考えてみられてください」
「俺の知り合いか何か……。だとしても、俺はあんた以外に知っている人などいない」
「どうして、そう断定できるんです?」
「え?」
男の声に顔を上げた時、通話が途絶え、俺の足元に水が満ち始めた。また、始まろうとしている。
俺は、あの三人を知っている?
答えを見つけようと考える間もなく、あっという間に濁流に飲み込まれた。
最初のコメントを投稿しよう!