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「この包丁をあげるよ」
定休日明けのランチ営業が終わってメシも食った後、師匠は厨房の作業台に使いこまれた包丁を置いた。古びた感じもあるもののピカピカしていて、師匠がきのう厨房でなにかやってたのはこれだったのかと、ピンと来た。
「うわ、ありがとうございます!」
よく見ると、包丁の柄に消えかかってはいたけど、ローマ字で師匠の名前が刻まれている。
「昔父親にもらったお下がりで悪いんだけど、使いやすいから」
「えっ、いいんスかそんな大事なもん!」
「うん、ちゃんと料理勉強しようと思ったら、最初から道具もそれなりにいいのを使わないと」
師匠はそう言って微笑んだ。優しい笑顔。
「今日から、まずは包丁の使い方教えるから」
「マジ? うれしいっス!」
俺は包丁を手に取り、眺め回した。師匠がオーサカにも持ってくるぐらい大事にしていたものをくれるなんて。つい、ニヤニヤしちまう。
「言っとくけど、一からやるんだから大変だぞ?」
「はい、頑張りまっす!」
師匠は笑顔のままうなずいた。この人に俺の本気を見せたい。俺にプロの料理人になれるような才能がなくても、せめて師匠の手伝いができるぐらいにはなりたい。
「じゃあ、夜の仕込みの時間にやるから、それまで休憩しよう」
俺はこれまで料理なんてやったことがない。だから本当に基礎の基礎から教わった。
「まな板に向かう時は少し右足を引いて立って。ちゃんと切るためにも、正しい姿勢は大事だよ。左手はこう。包丁はこうやって持ってね」
隣で実際にやってみせる師匠を見て、見よう見まねで同じ格好をする。まな板の上にはトマト。俺のそばには洗ったトマトがザルに山盛りになって置かれている。
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