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 黒こしょうのいいにおいが食欲をそそる。あの街で師匠と二人で住んだ、寄せ集めの家具や家電に囲まれた部屋を、狭いキッチンでカルボナーラを作ってくれた師匠を思い出す。なめらかなソースは、味つけもちょうどいい。 「やっぱり師匠の作るもんは最高にうまいっスね」  しまった。つい声に出ちまった。厨房で洗い物をしようとしていた師匠の動きが、止まる。  ああもういいや、ティラミスは食えなくても。俺は満面の笑みを、驚いて固まってしまったらしい師匠に向けた。 「えへへ、俺、師匠に会いたくて来ちゃった」 「……まさか、カズキ、なのか……?」  水道の水音に紛れる、師匠の声。  笑顔のまま、うなずく。たぶん俺しか呼ばない呼び方で、やっと気づいて当たり前だ。あの後俺はまた整形して、高くされた鼻を元に戻し、目もいじって一重にして、なんなら元の顔よりもブサイクにしてもらった。イケメンでちやほやされるのは楽しくはあったけど結構面倒くさくて、あの街で過ごした数ヶ月でもう充分だった。  一般人として世間に紛れて、これからはごく普通の暮らしがしたい。それが今の願いだ。 「気づいてないっスよね? 俺が頼んだの、最後俺が刺されて食い損ねたメニューですよ。その上ワインと一緒にイカも出てきて、びっくりしちゃった」  師匠の表情は、ここからだと光の加減と濃すぎる目のクマのせいでイマイチよく分からない。マジで驚きすぎて、完璧にフリーズしちまったらしい。 「俺、あの時料理食えなかったのが本当に悔しくて。師匠のことが忘れられなくて、組も抜けて来たっス」  師匠は水道も止めずに、ただ俺を見ている。立ち上がって近づくと、ようやく表情が動いた。困ったような怒ったような、複雑な表情。 「よかったら、少し話しません? あっ、なんも心配しないで大丈夫、俺もうカタギなんで。単に会いたくて来たのは、マジっスから」  俺は厨房に入って、動けずにいる師匠の代わりに水道を止めた。 「あ、ああ……。ちょっと、待ってて」  
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