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僕が両親に大学を辞めると連絡すると、すぐに地元に帰ってこいと言われた。僕は曲を作り、それが売れるまで帰らないと告げた。
両親は僕への仕送りを止めた。
僕が収入を得る唯一の方法は大学時代からしているコンビニのアルバイトだけになった。時給は知れているし、働く時間もそれほど長くないから、実入りは少なかった。だけど僕にはお金よりも時間のほうが欲しかった。学生の時から住んでいるのは築数十年のおんぼろアパートだったし、家事以外にすることといったらほぼ曲作りだったので、収入が減ったかわりに支出も減ったから、何とかやり繰りしていけた。
綾は僕の大学の一年後輩で、僕が二年生の時、時々行ったライブの会場に姿を見せてくれる数少ないバンドファンの一人だった。半年前に僕が大学とバンドを辞めてから、少なからず関係があるといえるのは唯一、綾だけになった。
僕の生活のほとんどはバイトと自分の部屋での曲作りで、バイト以外の場所で人と会う事はまれだった。
学生の頃はほぼ毎日、仲間や友達と一緒にいた。だからほとんど人との付き合いのない生活をするようになって、時々孤独感に包まれるようになった。
だからって訳じゃないけれど、僕は人恋しさから綾と親しくなりたいと思った。恋人とかじゃなくてもいい。一緒に食事に行ったり、買い物に行ったりするだけでいい。だから僕は思い切って、今度店が空いている時に綾が来たら、いつもとは違う言葉をかけてみようと決めた。
「今度一緒にご飯でも食べに行きませんか」
僕はレジで商品のバーコードを読み取りながら、綾をちらりと見て言った。
綾は一瞬、戸惑ったような表情を浮かべて俯いた。そして何も言わずにいつものように小さく頭を下げて店を出ていった。
僕は残念な気持ちでその後ろ姿を見送った。
綾はもう二度とこの店に来てくれないかもしれない。バカなことをしてしまった自分がバカだったと後悔の念が一気に押し寄せてきた。
でも、いつまでも後悔していられなかった。団体さんがそれぞれ商品を手にレジへと押し寄せてきたからだ。
一週間後に綾がまた店に来てくれた時、僕は泣きたいくらい嬉しかった。まるで子供みたいだけど、本当だ。
綾はいつものように買いたい物をさっさと手にとってレジに来なかった。買い物カゴを手に、何か欲しい物を探すように店の中をぶらぶらと歩いている。
僕は会計をしながら、時々そっと店内に綾の姿を捜した。
やがて客が引くのを待っていたかのように、綾は僕の前にやってきて商品の入ったカゴを置いた。
僕はこの前、綾に言ってしまったことのフォローの言葉を考えていなかったので、黙ってレジを打った。
綾もまた無言だった。
会計が済むと、綾は僕の前に一枚の小さな紙を差し出した。
そして僕の目をちらりと見ると、何も言わずに行ってしまった。
僕は急いで綾が残していった紙を取り上げて見た。
小さな文字でスマホの連絡先が書いてある。そして『お食事楽しみにしています』という短い言葉。
僕はその紙をそっとポケットにしまった。
それから僕は綾と連絡を取り合うようになり、何度か食事に行った。どこに行こうかと相談するのは楽しかった。
綾は学生だし、僕も自分の生活でカツカツだったから、行くのはいつも高級でも、お洒落でもないところだった。
そんなある日、奇妙な男が店にやってきた。
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