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委員会の集まりを終え、家へ帰る。賀茂明(かも あき)は、夕日に背中を照らされながら玄関のドアを開け放った。
「ただいま、ハル」
双子の弟の名前を呼ぶ。彼は委員会に入っていない。だから、家にいるはずだった。
なのに、「おかえり」といういつもの声が聞こえない。
「おーい、ハル、いないのか?」
おかしいな、と首を傾げつつ洗面所へ向かう。
蛇口から出る熱湯。お湯が出る設定にしてしまっていたようだ……夏だというのに。
慌てて直す。
ハンドソープの泡を見つめていると、ふと思った。
「……あいつ、遊びに行ってるのかな」
今日、双子が通う中学校では一学期の終業式が行われ、午前中で学校自体は終わりだった。委員会に入っている生徒はそれぞれ集まりがあり、帰りが夕方になってしまっていたが、ハルはお昼には帰っていたのだ。ほかの友達と遊ぶ約束をしていてもおかしくない。
勝手に納得してから、通学かばんを持って二階へと上がる。階段を上ると、双子共用の部屋があるのだ。
「ただいまー」
なんとなく、ドアを開けると口をついてしまう挨拶。誰もいない部屋に向かって言ってしまったことに、少しの恥ずかしさを覚えながらもドアを閉める。
「ハル……やっぱりいないのか。だったら一人でアニメでも見るかー」
制服をハンガーにかけて、部屋着に着替える。
このあと、出かける予定もないため、風呂を沸かすまでゆったりテレビでも見ようかなと思った矢先。
「アニメなら、俺も見たい」
家にいないはずの声がした。
「……ハル? いるのか?」
驚きながら辺りを見回す。勉強机、二段ベッド、ハンガーラック、クローゼット、本棚、通学かばん。
しかし、双子の弟——賀茂晴(かも はる)の姿は見当たらない。
「ん?空耳か?」
「空耳じゃないよ」
「じゃあどこにいるんだよ」
「ここだよ」
「ここってどこだよ、てっきりどこかに遊びに行ってるのかと思ってたぞ」
「机の、下」
珍しく言葉が少ないハルを訝しみながらも、言われた通り彼の勉強机の下を覗き込む。
すると……いた。こちらに背中を向けて、小さく暗い空間で縮こまっている弟が。
確かに、そこにいた。
「おいおい、どうしたんだ?」
笑いながら彼の背中に手を伸ばす。
「落ち込んでるんだ」
また低い声で呟くハル。自分で落ち込んでいると言うほど落ち込んでいるなんて、珍しい。一体何があった?
「まさか、失恋?」
「違う」
「じゃああれか、今日返された定期テストの結果」
「…………」
返事がないのが何よりの肯定サインだ。
「どうした、……学年最下位だったのか?」
「最下位ではなかったけど」
「じゃあどれくらいだったんだ」
「下から十番目」
とっさに言葉が出てこなかった。
これは、慰めればいいのか?それとも馬鹿にした方が、負けん気の強い弟はやる気になるのか?いや、変に傷つけない方がよいのか?
一番近しい家族のはずなのに、接し方がたまにわからなくなる。
「お、おう……そうだったのか」
とりあえず反応だけしようと思って口にした言葉が、ダメだったらしい。
「いいよな、アキは」
「……?」
「今回もどうせよかったんだろ? 順位」
「ん。まぁな、学年三位」
「だよな……同じ双子なのになんでこんなに違うんだよ」
そんなの、こっちだってわからない。
机の下の弟の背中を見ながら、自分でもわかるくらいの困り顔をしてしまう。
「なあ、」
「話しかけないで」
見事に拒絶される。
「じゃあ今度のテストは一緒に勉強するか?今回は別々だったから」
「いい。アキの邪魔になるだけだから。てか、話しかけないでって言ってんじゃん」
テストの順位なんてどうでもいい……大切なのは理解しているか理解できていないのかだろ?と思ってしまうのは、自分が順位が上の方の人間だからなのだろうか。たかがテストの点数で兄を拒絶するほどの弟の心理は、理解しがたいものだった。
「ちょっと今は一人で落ち込んでいたい気分」
「じゃあ僕は一人でアニメを見」
「それは見たい」
こっちの言葉を遮ってまで主張するほど、アニメが見たいのだろうか。
「じゃあ一緒に見るか?」
「見ないけど」
「だったら僕が先に見てもいいだろ?」
「だめ」
「なんでだよ」
「……」
だめだ、会話が成立しない。
テストで落ち込んで、机の下に隠れて、勝手にこちらを僻んで、そしてアニメへの欲も強い。
なんなんだ、ハルは。
今日の賀茂晴の言動は、本当にわからない。
「あのさあ」
「話しかけないで」
「いや、さっきまで普通に会話してたじゃん」
「あれは会話じゃない、対話だ」
本当に、わからない。
「じゃあこれだけ言っとくけどな」
半袖の上にパーカーを羽織りながら、リビングへと下りる準備をする。
「言動に一貫性がなくて、そんなにくよくよしてたら、女の子から嫌われるぞ」
「ミカサから嫌われるのは、やだ」
一般論らしい感じで言ってみたのに、まさかの個人名付きで返事が来た。
「まさかお前、天乃三笠(あまの みかさ)のこと好きなのか?」
「いやっ、別にそんなことないんだけどねっ」
明らかに浮ついた声。
途端にわかりやすくなった弟に苦笑いしながら、試しに先ほどの会話を再開してみる。
「……一緒にアニメ、見るか?」
「見る!」
……本当に、わからない。
ころころ変わる弟の心情を汲み取るのは、国語の物語文読解より難しい気がした。
だからこそ、一緒にいて
「面白いのかもしれないな」
心の声がふと漏れてしまった。
「なーに、何が面白いの?」
「いや、別に何も」
はぐらかしながら、階段を下りる。後ろからは、机の下から出てきたハルがついてきている。
「アニメの次のお話、どんなだっけ?」
「列車の中でテロが起きるとこから」
「ああ、漫画だとまだ一巻の終わりらへんのところか」
「たぶんそう」
「ちなみに俺、葵さん推しー」
「いや、聞いてねえよ」
にぎやかな声が、階段に響く。もうすでに、ハルはテストのショックから立ち直ったようだった。
「俺がリモコン操作する!貸せってば」
「いいや、僕が操作した方が速い」
テレビの前で弟とリモコン争奪戦を繰り広げる。
さっきまで兄貴面してたけど、きっと自分もはた目から見たら子供なんだろうな。
そんなことをふと思いながら過ごした、終業式の放課後のことだった。
明日から、夏休みが始まる——。
(了)
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