第6話.おもてなし

12/20

1030人が本棚に入れています
本棚に追加
/348ページ
「おかえりなさいませ、楓様。お仕事お疲れ様でした」 数分後楓様のお姿が見え、今日はいつもの挨拶に加え、労いの言葉を添えると、深くお辞儀をしてから無言で渡されたビジネスバックを受け取り、一緒にロビーへと向かう。 その時、突然楓様の歩みが止まり、何事かと前に視線を向けた瞬間、思わぬ人物が視界に映り、私も体が硬直してしまった。 「……なんでお前がここに居るんだ?」 その人物は一瞬表情を歪ませたが、すぐさま無機質な顔付きに戻ると、こちらを鋭い眼差しで凝視してくる。 「職場がすぐ隣なので仮眠部屋として使っているだけです。兄さんこそ、ここで会うなんて奇遇ですね」 楓様もいつになく冷めた表情で目の前の人物を見据えると、淡々とした口調で返答する。 「俺は時たま商談でここを使うが、もう来ることはないだろう」 それから楓様に対して拒絶するような一言を放ち、ピリピリとした凍てつく空気が流れる。 そんな息苦しさに耐えながら私は生唾を呑み込み、目の前の人物を楓様と同じように見据えながら、数日前の記憶を掘り起こした。 あの時と同じ声色。 オフィスビルの前ですれ違った時に聞いた、とても冷たく突き放すような口調。 加えて、まるで醜いものでも見るような蔑む目を向けられ、今すぐにでもここから逃げ出したくなる程だった。 ……確か、お名前は東郷竜司様。 東郷家の長男で、お顔立ちはそれなりに整っていらっしゃるけど、楓様とは似ても似つかない。 フレームが細い黒縁眼鏡の奥に光る、切長で吊り気味の細く鋭い目で見られると、それだけで萎縮してしまう。 身長は楓様の方が少し高めだけど、体型はほぼ変わらずで、スラっとした長い足が伸びる。 まさか二度もお会いすることになるなんて、なんという偶然なのでしょう……。 そう思いながら気付かれいようにこっそりと竜司様を上から下まで眺めていると、隣に立っていた楓様が急に不敵に笑い一歩前へと踏み出した。 「そういえば、最近そちらの事業が好調みたいですね?また新たな大口契約を結んだと聞きましたよ」 振る舞いから見ても、祝福などしていない、むしろ食ってかかるような楓様の挑発的な態度。 加えて、まるで何かを見透かすような目で、竜司様をじっと睨みつける。 「お前には関係のない話だ。外で人を待たせているから、これで失礼する」 しかし、竜司様はそんな楓様の視線をものともせずに、さらりと交わすと、多くを語らず足早にこの場から立ち去ってしまった。
/348ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1030人が本棚に入れています
本棚に追加