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男子は、十数秒黙った後、穏やかに応えてきた。
「今の子はおれの彼女ではありません」
「キスしてたじゃないですか」
「好意を持たれてはいるようです」
「あなたの子供を作るほど、好意を持ってくれている相手がほかにいてもですか?」
こんなところでそんな話をするな、とか、なんのつもりだ、と怒鳴られるくらいは覚悟していた。
客観的に見れば、私のほうが常識から外れているのだろうし。
けれど、男子は声を荒らげるでもなく、静かに答えてくる。
「確かに、今のはおれがうかつでしたが。ただ、誤解があります」
「どんな誤解でしょうか。本当に誤解なんでしょうか?」
「そう思います。おれは古藤千也といいます。昨日一緒にそちらへ伺ったのは、おれの妹です。妹の父親は、もちろんおれではなく、別の人間です」
■
アーケード街から歩いて五分ほどのところにある小さな公園には、ほかに誰もいなかった。
私は腰を九十度に折って、ふざけていると思われない限界まで頭を下げた。
それを古藤さんが直させ、二人でベンチに座る。
横で茂った葉桜が、大きな陰を作ってくれていた。こころなしか、木陰だと、吹く風も涼しい。
「本当に申し訳ございませんでした。私は仁羽芙実といいます。そしてとてもばかです」
「いえ。おれたちの昨日の様子を見れば、誤解が発生するのも当然です」
「すみません。てっきり、父親の方だと」
古藤さんが、公園の入り口にあった自販機で、缶のレモンスカッシュとオレンジジュースを買ってくれた。
オレンジジュースのほうをもらう。
「ええ、本来はそうすべきなんですけどね。できなかったんですよ」
「できなかった?」
「誰だか分からないので。父親が」
私は、かつてないほどの「なんと答えていいのか分からない」感を味わった。
「ああ、また、誤解を招く言い方をしてしまいました。住所や連絡先が特定できないという意味です。何度か妹とは会っていたようなので、行きずりというのとは違いますが。顔と、本名かどうかも分からない名前だけしか判明していません」
そんな説明を受けた上でも、なんと答えていいのかは分からないままだった。
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