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「君の言っていることは、くだらなくはないと思います。でも、本当に言いたいことを言っているわけではない気がする。口数の多い人を見ると、そう思うだけですが」
「……全然怒らないんですね、古藤さんて」
「怒る?」
「私は古藤さんに言いがかりをつけ、軽蔑しかけていたんですよ」
「でも、しなかったんでしょう?」
「していません、けど」
「おれは怒っていませんし、君が怒ってくれていることに救われました」
「……言いがかりだったのにですか?」
公園の外の道を、親子連れが通った。
平和そうで、仲がよさそうで、みているだけで涙がこみ上げそうになる。
「妹の妊娠を知った時、目の前が暗くなりました。君の言うとおり、妊娠は本来喜ばしいことのはずです。それが、妹の人生の暗雲にしかならないと思わされたことが、悔しかった。嬉しさが無条件に苦しみに変えられてしまうのが、心底屈辱でした。妹の人生は、選択肢の数を大幅に減らされ、強制的で強力な人生の岐路を無理やり選ばされることになった。……ひどい言い方ですけど、うちの妹の場合は、こう言えてしまいます」
「もう、妹さんには悪いですけど、相手の男は死刑ですよ」
「まったくです。でも同時に、おれは信じようとしました。月の裏側が地球からはどうしても見えないように、今は絶望ばかりに見えるけれど、いいことや楽しいことは必ずあって、いつかいくつも見えてくるはずだって」
「……楽観論ですね。それさえも、無理やりの選択肢の結果でしかなくなってしまうんじゃありませんか?」
「でも、もう見えているものもあります」
「たとえば?」
「赤の他人の望まない妊娠に、本気で怒って、自分より背の高い男にだって突っかかっていくほど頭に血を上らせてくれる、赤の他人です」
私は、そろそろと、自分の顔を指さして、首をかしげた。
古藤さんは、細かな木漏れ日できらきらしながら、手のひらで私を示して、うなずいた。
「でも、危ないから、おれ以外の人にはしてはいけませんよ」
「……気をつけます。……妹さんは……」
「はい?」
「中絶、するんですか?」
古藤さんは、ぽつりと答えた。
「する、でしょうね。親には、事実をありのまま伝えます」
「……私、産婦人科の子供なので、たまに、本当にたまにですけど、高校生くらいの妊婦さんを見るんですよ。正確には、妊婦なんだろうなって思う人たちを、ですけど」
「はい」
「どんな相手と子供を作ったのかは分かりません。好きな人となのか、そうでないのか。好きだけど好きになってはいけない人とか、みんないろいろあるんだろうなって」
「はい」
「でも、幸せそうな女の人を、ほとんど見ないんです。大人の妊婦さんは、たいてい幸せそうなのに、十代の子たちは、みんな青ざめた、思いつめた顔で来るんですよ。なんでなんだろう。どうしてそうなるんだろう。ただ若いっていうだけで」
古藤さんの相槌が止まった。
私は、下を向いて呟いた。人の顔を見ながらでは言えない。
「私、子供を作る能力のある男の人は、一生好きになれないかもしれません」
最後の声は震えた。
それが決定打になったみたいだった。古藤さんが踏み込んでくる。私が踏み込ませたのか。
「君も、なにか、つらい思いをしたんですか?」
「こうすれば子供なんてできないんだというので、言われるがままにやってみたら、子供ができました。もういませんけど」
あれからスカートが穿けない。
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