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一 風前の灯火
白いシャツの袖を捲りあげると武田仁は眉間に皺を寄せ、空になったビールジョッキを見つめていた。
「教育実習が終わった男の顔じゃないな。そんな不細工な顔して。またジンの悪い癖がでているぞ」
「……俺の授業は本当に生徒に伝わっていたとは思えなくて」
「実習生にそこまで求めるものかね」
やれやれ、といった表情で吉川晴は追加でビールを注文した。晴は胸ポケットから紙煙草を取り出すとジンに一本差し出す。
「ハイライトじゃ軽すぎるか」
「いや、ありがとう」
二人は大学のゼミが一緒で共同研究を進めているうちに意気投合するようになった。教員を目指している二人はお互い、別の場所での教育実習を終えた。労いの場を、と晴がジンを誘ったまではよかった。しかし約三週間ぶりにあったジンの表情は最初こそ晴れやかだったが、すぐに曇りだすのだった。
金曜日を象徴するかのように店内では活気のある声が飛び交っていた。ほろよいから酩酊まで、客たちの愉快なテンションで満ちている。そのような空間で明らかにジンは不自然な様子である。
「とにかく、まずはお疲れさま。次はいよいよ採用試験だな」
「そうね。帰ったら勉強したいから、これ飲んだら帰ろう」
喧噪が激しくなるほどジンの抱えた静けさには迫力が増した。
——ジンは寝る前、習慣である日記をつけていた。『教育実習について』というタイトルをつけ、ペンを動かす。が、うまく言語化できない。
軽微なアルコールを飛ばすように頭を振ると逃げ道を探して外へと出た。りんりんと鳴きじゃくる鈴虫の合唱を背に公園のベンチに腰掛ける。
(晴だって大変なはず。けど、自分のことばかり考えてしまう。挙げ句の果てには採用試験が「恐い」と素直な言葉を言おうとすると喉が締め付けられる。自分を隠してばかりで本当に情けない)
たしかに晴からの誘いは嬉しかった。しかし居酒屋の席に着き、少し経つとすぐに後悔の念が押し寄せたのも事実。
夜風が頬をなで、辺りの木々を揺らした不穏な音で世界が遮断された。やがて情緒がすさみ、コントロールが効かなくなった。
——もっといい授業ができたはずだ。
——言葉のチョイスは正しかったのかな。
——自分は本当に教員になれるのかな。
——こんなんじゃ合格なんてできない。
もっと勉強しなければ。
もっともっともっと——。
闇の中で抱えた不安は肥大化していく。考えては戒める。しかし頭の中で打ち出した即席の慰めは風の真正面に立てられた蝋燭のように今にも消えそうで揺れている。
自分の愚かさに目をむけるジンを黄色い上弦の月が全身を満遍なく照らしていた。
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