雲に飛ぶくすり

二 拝啓 嫌いな未来へ

　厳しい炎天下を乗り越え、爽やかな気候が広がる。大学の喫煙所では授業を終えた学生たちが光に吸い寄せられる虫のように集まってくる。ジンの足下にはすり潰されたピースの吸い殻が落ちていた。

　田舎大学の喫煙所は広く、あちらこちらで学生達の会話が聞こえる。授業の感想からお酒の席での男女の猥談。

　ジンが四本目の煙草に火を付けるとこちらに向かって晴が小走りで来た。今日は晴が受けた自治体の採用試験の合格発表日だった。

　ジンは晴のありさまを見て瞬時悟った。この男は大丈夫。そう確信を得て晴に尋ねた。

「早速だけど、どうだっ——」

　晴はニヤリと笑い、静かに手を自身の胸の前にもっていきピースサインをした。

　ジンはこの晴という男の不器用な面を知っていた。去年は二人でお酒を飲んだ帰り道に『絶対教師になろう』と終電間近の改札で人目も憚らず抱擁をした。普段冷静な晴もここぞとばかりに熱い感情をぶつける。そんな男のピースサインを見てジンは目頭が熱くなった。

「おい、俺には泣かせてくれないのかよ」

　そうつぶやく晴の目元には過労と勉強に費やした証といわんばかりに黒いあざが皮膚に生じていた。しばし歓喜のやりとりが続いた。晴はゼミの先生に報告しに行くと吸っていた煙草の火を消した。

「ジンは来週だろ？結果がでるの」

「いまはこっちの話をするのは野暮だよ。ともかく胸がいっぱいだね。おめでとう」

　ありがとう、とつぶやき晴はジンに背を向けた。友の背中を見ていたジンは自身の身体が硬直していることに気がついた。

　自分の意識とはあべこべに、つむじからつま先まで緊張が走っているその奇妙な感覚に抵抗するように、手のひらを広げては結ぶ動作を二三度繰り返す。ほぐした手でポケットから煙草を取り出し、火を付けた。

（次は自分の番か——)

　歩みを進める晴が小さくなっていく。階段を昇り、室内へ入ると晴の姿は見えなくなった。授業の開始を告げるチャイムが鳴り響く。誰もいなくなった喫煙所でジンは一人静かにピースサインを作った。