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罠だッ!
夜。人影のないオフィス街。
古い雑居ビルから走り出て、物陰に身を潜める男女二人の影。
荒い息で覆面を脱ぐ泊里アケミ(25)。
アケミ「暑ッ!」
仁志登司夫(38)、周囲を警戒し、
登司夫「まだ被っとけよ」
アケミ「マスクは?」
登司夫「え?」
アケミ「何で覆面してないの?」
登司夫「忘れた」
アケミ「チッ……家に忘れてきたの?」
登司夫「車の中」
アケミ「ならいいけど」
登司夫「何で?」
アケミ「何?」
登司夫「何で車の中だったらいいんだよ?」
アケミ「家はもう……説明がメンドくさい」
登司夫「帰れねえのか?」
アケミ「分かってるなら聞かないで」
登司夫「聞いてないぞ」
アケミ「は?」
登司夫「置いてきたモノがあるから……家に」
アケミ「捕まりたいの?」
登司夫「だけど聞いてないし」
アケミ「聞いてないのはこっちもよ」
登司夫「何を?」
アケミ「アンタが使えないってこと! ホント、ポンコツ」
登司夫「ガラクタって意味か?」
アケミ「ガラクタでもクズでもゴミでも、どんな意味でもいいけど」
登司夫「何だよ」
アケミ「あんな大声出して……」
登司夫「……危険を察知したんだ」
アケミ「誰も追って来ないし」
登司夫「諦めたんだろ?」
アケミ「今からビルの前でフラダンス踊ってやろうか?」
登司夫「習ってたのか?」
アケミ「例えばよ!」
登司夫「え?」
アケミ「誰も追って来ないのは誰もいなかったから。危険は無かったの!」
登司夫「無かった?」
アケミ「ムカツク、その意外そうな顔」
登司夫「顔のことは言うな」
アケミ「もうやめて、『罠だ!』って言うやつ」
登司夫「危険な時は言うに決まってる」
アケミ「昼間もそうだったじゃない。『罠だ!』って。ホント、ムカツク」
登司夫「それはたまたま……」
アケミ「たまたま?」
登司夫「そういうこともあるだろ?」
アケミ「そういうことばかりだから言ってんの!」
頭をガシガシと掻きむしるアケミ。
アケミ「シャワー浴びたい」
登司夫「ホントに帰れないのか?」
アケミ「ここでお別れしよ」
登司夫「え?」
アケミ「一緒に行動するの疲れた」
登司夫「改善できる点があれば」
アケミ「ない!」
登司夫「まだ何も手に入れてないのに」
アケミ「手に入れるどころか、警察に捕まる」
登司夫「あと一歩のところまで来てるんだぞ」
アケミ「で、また『罠だッ!』って言うんでしょ?」
登司夫「罠があればね」
アケミ「無かったの! 罠は無いし、ビルには誰もいなかった。それが事実!」
登司夫「キミはまだ経験が浅いから」
アケミ「そう? なら、全部アタシのせいね。サヨナラ!」
立ち上がろうとするアケミ。
その肩を抑え込む登司夫。
登司夫「待てッ!」
アケミ「放してッ」
登司夫「今出て行くのは危険だ」
アケミ「アンタといる方がよっぽど危険よ!」
登司夫「落ち着け」
アケミ「早く逃げないと巻き添えになる!」
登司夫「俺が捕まるワケないだろ」
アケミ「大怪盗だから?」
登司夫「そうだ」
アケミ「すっごく顔が知られてそうよね?」
登司夫「いやいや、まだそこまで有名じゃ」
アケミ「理由は覆面をしてないから! 顔がバッチリ監視カメラに映ってるよ」
登司夫「チームを離れる気か?」
アケミ「離れます!」
登司夫「考え直せ」
アケミ「そもそも『大怪盗チーム』って何? もっといい名前あったでしょ」
登司夫「そこに疑問を感じたことは」
アケミ「その点も含めて、ボスによろしく言っといて」
登司夫「ボスなら……」
アケミ「何?」
登司夫「いや」
アケミ「ボスに何かあったの?」
登司夫「……交代した」
アケミ「ボスが!? 誰と?」
登司夫「俺と」
アケミ「あのね」
登司夫「冗談じゃない。今のボスは俺」
アケミ「本気で言ってんの?」
登司夫「マジ」
アケミ「いつ? アタシをチームに誘ってくれたのは?」
登司夫「それはボスだ」
アケミ「そんな声じゃなかったもんね」
登司夫「でも、そこからはボイスチェンジャーで」
アケミ「はい?」
登司夫「声を変えてキミと話していた」
アケミ「声がヘンってアタシ言った!」
登司夫「うん。バレたかと思った」
アケミ「あれって結構早い段階だよね?」
登司夫「悪かったな。手の込んだことをして」
アケミ「じゃ、偽装夫婦になってこの町に潜伏させたのは……」
登司夫「俺だ」
アケミ「このビルの金庫からダイヤを盗み出す計画は?」
登司夫「俺の計画だ」
アケミ「ボスは? 今、何してるの?」
登司夫「田舎暮らし。オーストラリアで」
アケミ「リタイア!? 自分だけ?」
登司夫「騙してスマン」
アケミ「ショック……!」
登司夫「俺だってショックだったよ」
アケミ「アンタにショックなことなんて無いでしょ? やりたい放題じゃない」
登司夫「キミが俺をこんなにバカにするとは思わなかった」
アケミ「それはアンタがコソ泥以下だからよッ」
登司夫「泥棒に以上も以下もない」
アケミ「アタシに説教しないで!」
と、目の前を走り抜ける男女の影。
雑居ビルに駆け込んで行く。
アケミ「何ッ!? 今の?」
登司夫「大怪盗チームの別コンビだ」
アケミ「えッ?」
覆面姿の男女がすぐにビルから出てきて、走り去る。
登司夫「任務完了だな」
アケミ「えっと……?」
登司夫「ミッションコンプリートだ! 行くぞ」
アケミ「狙ってたダイヤは? 横取りされたの?」
登司夫「言っただろ。俺たちはチームだって」
アケミ「じゃ、アタシたちは偵察係だったの?」
登司夫「そう言われれば、そうなるか」
アケミ「ちょっと!」
登司夫「行くぞ! こんな所に長居は無用だ」
アケミ「待って!」
登司夫「どうした?」
アケミ「誰がそんな役割分担したの? アンタ?」
登司夫「ああ。ボスは俺だから」
アケミ「だったら、さっきの『罠だ!』って何?」
登司夫「それは、ちょっとしたサプライズ的な……」
まじまじと登司夫を見るアケミ。
アケミ「フザケやがって……」
登司夫「ダマして悪かったな」
アケミ「もう遅いよ」
登司夫「もう運命共同体だし」
アケミ「ちげーよ。誰がポンコツボスのチームなんかに!」
登司夫「どうした?」
アケミ「抜けます! 絶対に抜けるッ」
登司夫「あのな」
アケミ「アタシは最初からいなかった。記憶から全部消して」
登司夫「そんなこと出来るわけ……」
アケミ「出来なくてもいい! そうして!」
登司夫「大きな声を出すなッ」
アケミ「罠だったよ! アタシにとって人生最大の罠だったッ!」
地団駄を踏むアケミ。
登司夫「騒ぐな。落ち着いて聞いてくれ」
アケミ「次にフザケたこと言ったらその口、縫い付けてやるから」
登司夫「ふざけてない。さっき言っただろ。家に置いてきたモノがあるって」
アケミ「何? ボイスチェンジャー?」
登司夫「指輪だ」
アケミ「へ?」
登司夫「結婚指輪を用意してたんだ。俺と、結婚しよう」
アケミ「マジでその口を縫い付けるぞッ!」
登司夫の胸ぐらを掴み、締め上げるアケミ。
登司夫「待てッ! 話せば分かる!」
登司夫を睨みつけるアケミ、手を放す。
登司夫「指輪、いらなかったか?」
アケミ「欲しいよッ」
登司夫「エッ! ということは?」
アケミ「換金できるんならね! 迷惑料として」
登司夫「そんなこと言うなよ」
アケミ「せめてその指輪を貰ってサヨナラしたかったわ」
登司夫「サヨナラなんて切なすぎるぞ」
アケミ「アタシのこと好きになったの?」
登司夫「言わせたいのか?」
アケミ「言ってみて」
登司夫「ああ、いいとも」
アケミ「情熱的に」
登司夫「よしッ! 大好きだッ、愛してる!」
アケミ「フンッ」
登司夫「おい! 返事は?」
アケミ「返事したでしょ」
登司夫「フンッって返事があるか!」
アケミ「ン……?」
登司夫「何だ?」
アケミ「でも、アンタがボスなら誰があの家にはもう戻れないって……?」
登司夫「それ、誰が言った?」
アケミ「ボス」
登司夫「だから」
アケミ「だったら、このメールは誰から?」
アケミ、スマホのメール画面を開く。
登司夫「家にはもう戻るな……って?」
アケミ「こんなこと連絡してくるのは……?」
登司夫「ボスしかいない」
アケミ「オーストラリアから?」
登司夫「そう言えば、昼間……!」
アケミ「『罠だッ!』って言った時?」
登司夫「ボスの車を見た気がしたんだ」
アケミ「どうしてボスが日本にいたら罠なの?」
登司夫「俺がボスだなんて、やっぱりウソじゃないかと思って」
アケミ「自覚があるのかよ」
登司夫「ボスは日本にいるのかもしれない」
アケミ「……そうなると?」
登司夫「……どうなるんだ?」
アケミ「きっと騙されたのよ」
登司夫「マジかよ!」
アケミ「だとすると、幻のダイヤはアタシたちの手には入らない」
登司夫「……嘘だろ!?」
アケミ「だって、さっきのコンビが盗んで逃げた先に……」
登司夫「ボスがいるから!?」
登司夫、すぐに仲間に電話するが繋がらない。
登司夫「クソッ! 出ねえ」
アケミ「裏切られたってことね」
登司夫、次々に電話するが誰も応答しない。
登司夫「何でだよッ! 誰も出ないなんて!」
アケミ「もう現実を見よう」
登司夫「俺、マジでダメだな……」
アケミ「やっと気づいたの?」
登司夫「お詫びにビルの前で踊ろうか」
アケミ「やめて。それ見たら多分、アタシ泣く」
登司夫「悪かったな。俺なんかとコンビで」
アケミ「今さらそれを言われても」
登司夫「ごめん……」
うなだれる登司夫。
沈黙。
アケミ「……とりあえず、車に戻る?」
登司夫「え?」
アケミ「こんな所に隠れてても仕方ないじゃん」
登司夫「見捨てないのか? 俺のこと」
アケミ「今のアンタは見捨てられない」
登司夫「?」
立ち上がるアケミ。
アケミ「行くの? 行かないの?」
アケミを見上げる登司夫。
登司夫「行くってどこへ?」
アケミ「ここではないどこか」
登司夫「それ、どこ?」
アケミ「ごちゃごちゃ言ってないで、早く立つ!」
登司夫「おお!」
登司夫、勢いをつけて立ち上がる。
アケミ「行くよ」
周囲を警戒しながら路地へと進むアケミ。
後を追いかける登司夫。
登司夫「なあ。イチかバチか、取りに戻っていい?」
アケミ「ダメ」
登司夫「すっげーいい指輪なんだけど」
アケミ「興味なし」
どんどん先を歩くアケミ。
登司夫「キミは車で待ってていいから」
立ち止まり、振り返るアケミ。
アケミ「絶対ダメ!」
登司夫「賭けてみたいんだ、俺の人生を」
アケミ「その指輪に?」
登司夫「ああ」
アケミ「くだらない」
登司夫「キミはそう思うかもしれないけど」
アケミ「しょーもなッ」
登司夫「おい」
アケミ「アタシ、そんなにダイヤとか本気で欲しいと思ってないのよ」
登司夫「怪盗なのに?」
アケミ「多分、怪盗失格ね」
登司夫「ボスに捨てられた俺も失格だ」
アケミ「アタシがどうしてアンタを見捨てないか、分かる?」
登司夫「どうして?」
アケミ「捨て犬はほっとけない性格なの」
登司夫「俺、野良犬かよ?」
アケミ「命に、犬も人間もない! みんな一緒!」
アケミ、走り出す。
登司夫「おい、待ってくれよ」
登司夫も後を追って走り出す。
振り返るアケミ。
アケミ「うわッ、罠が来た!」
ニヤリと笑う登司夫。
登司夫「人のことを罠って言うなッ!」
去って行く二人の影。
(了)
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