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翌日、おれはブザーをもう少し近くで聞いてみることにした。
体育館には二階に放送室がある。おれはそこの掃除当番の子にお願いして彼らの様子を覗くことにした。
彼らが入ってきた。体育館を二分割して男女で使っている。
緊張感が増しているな。練習が始まると第一にそう感じさせる。次に自分もバスケがしたいと思わせる。
そして同時にあの恐怖がズキズキと湧いて出てくる。バスケットボールが跳ねるたびにそれは増幅する。
ボールが跳ねる音はモールス信号となって『右腕を見てみろ。君がここに居たって辛いだけだ』と信号を送ってくる。
次にシューズと床が擦れる音がこちらに信号を送る。『もうすぐブザーが鳴る。君は耳を塞いで学校を出なさい。まだ君には早すぎた』
おれは咄嗟に耳を塞いだ。直後に鋭いブザーの音が手の隙間をすり抜けて刺さる。腕が痛んだが、今はこの音を大音量で聴く方が辛いから仕方がなかった。
学校を出たらあの静かな場所に帰ろう。
そして校舎を出て体育館の横を早歩きで通った時だった。
「ナイスファイトー!!」
君だった。
なんで病人の君が誰よりも声を張っているんだ。
おれは思わず足を止めて君を見る。
仲間が一つのメニューが終え休憩に入った。そうすると君は「ラッキー」と笑みを溢してボールを手に取る。次に息を整えスリーポイントラインにつま先を合わせると静かにボールを放った。
ボールは綺麗な放物線を描きゴールへ吸い込まれる。そして小さくガッツポーズをした。
上手いじゃないか。その調子で大会に出ればいいのに。そう、そうやって元気にボールを追えばいい。
そして隣の男子バスケ部からブザーが鳴り響いた時だった。
君はポケットからハンカチを取り出すと、口に押し当て苦しそうに咳き込んだ。すぐに仲間が駆け寄って心配するが、君は「大丈夫、大丈夫」と笑顔で返す。
実は聞こえるんだろ君も。奴らのモールス信号が。
そう聞いても君は「聞こえない」と言うだろう。
じゃあなぜ君は片手で耳を塞いでいるんだ?
皆に支えられながら移動する途中、君は手首についたニサンガを左手で握りしめる。細い手首から抜け落ちないようにきつく結ばれたニサンガ。
何の願いが込められているんだろう。
そのニサンガが切れた時、君は今みたいに笑っているのだろうか。
そんなことを考えていたら、人混みの隙間から一瞬だけ君と目が合ったことに気が付いた。
正しくは見られてしまった。俺の病人をみる目を。
「可哀想」の目だ。
おれは走ってあの場所に帰った。
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