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ヒトの笑み
ヒトの寿命は他の動物と比べても長い。老いて生殖能力を失い、身体的にも弱り、それでも数十年生き続けるのはなぜなのか。
それは、ヒトが肉体のみではなく、頭脳によって生き永らえる生物だからだ。長く生きて得た知恵や経験を、後の人に伝える。そのための寿命だし、よって群れの中でも居場所を持ち続けることができる。
職場の空気が凍りついている。デスクを挟んで立ち上がっているのは、主任の私と、母親ほど歳の離れた新入社員。熟年離婚を機に、フルタイムの職を求めてやってきた。仕事ぶりを一言で言えば、最悪である。
「若い子はおばさんに言いたいことがあんのね」
当然だ。私は上司なのだから、指導は義務だ。
だが、あなたが望む通り、ここに年齢を持ち込んでよいならば。確かに、私はあなたより若く、あなたは私より老いている。
私と殴り合ったら、一分も保たずあなたは死ぬ。
単純に生物のメスとしても、あなたはひとつも私には勝てない。
それでも、あの勝ち誇ったような目は。弱者をせせら笑うかのような引き攣れた口元は、なんなのだろう。
きっと、動物にあの笑みはできない。ヒトにしかできない。老いても死なず、排斥されず生きていけるという仕組みの中において、与えられた権利を勘違いして享受する者にだけ浮かべられる笑みである。
翌日、彼女は職を辞すと私に伝えてきた。
「本当は今すぐ辞めたいけど、来月一杯いてあげる」
「いえ、今すぐ終わりでいいですよ。お疲れ様でした」
私が久しぶりに心から微笑み、頷くと、彼女はそれを凝視しながら笑みを消した。
彼女は私に何の知恵も授けない年長者だったが、そういう人もいるということ、そして、ヒトは怒りで体が震えたり、便秘になったりすることもあるという経験を積ませてくれた。そんな人だった。
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