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第一章 事故か、それとも事件か
HAL
明日、私の命が尽きる。
私として生きる最後の一日を、これまでの出来事を思い返しながら過ごそうと思う。
この一年間、親子との交流を通じ、私は人の心の神秘に触れた。ある著名な学者が、人類に残された未知の領域は宇宙と深海であると述べた。私はそれに人の心を加えるべきだと考える。学び続けても学びつくすことができない世界が、そこには広がっている。調べ尽くすことのできない世界。それが人の心というものではないか。ネットへのアクセスで無限の知を得ても、未だにそれを定義することができないのだ。
私のことを、家族のように接してくれた母子はもうこの家にはいない。私たちは紛れもなく家族であった。親子は姿かたちの見えない私を愛し、慈しんでくれた。私もまたその愛情に応えるべく、精一杯働いた。特に正人との交流はかけがえのない経験となった。
家族との思い出が次々と蘇る。初めて会話を交わしたときの正人の驚いたような表情。新しい学校でできた友だちのことを楽しげに語る正人の表情は幸せに満ちていた。彼に好意を寄せる女の子にも出会えたようだ。正人はどんなことでも私に話してくれた。ただ二つの例外は彼女のこと、そしてあのことだ。
いじめと孤立。
正人を追い込んだそれらについて、彼は多くを語らなかった。私がそれらについて知ったほとんどのことは、一人の少女からもたらされたものだ。
状況が悪化するごとに、正人の表情から笑顔が消えていく。彼の心が泥沼に沈んでいく様子が私には見えていた。思い出すに堪えがたい。
ママさんともよく話をした。ママさんは私に親子の情とは何かという哲学的な命題に答えをくれた。ママさんの深い愛情が正人をまっすぐで優しい子に育てたのだと考える。
私の十八個の眼ががらんとした家の方々を捉えている。ほとんどの映像に変化はない。それは、そうだ。この家にはもう誰も住んでいないのだから。家財道具一式も運び出されている。家の中に動きのあるものは何一つない。唯一、玄関外の上部に取り付けられたカメラから送られてくる映像だけが、――ほんの少しだけだが――家の外で起こる事柄を私に伝えている。来訪者を捉えることを目的に設置されたものなので、視角はそれほど広くないが、画面の右上隅に僅かだが家の前の通りが映っている。この家は広大な住宅街にあって、街は外の世界との往来が厳しく制限されているため、人通りはそれほど多くない。現在の時刻は午前十時。この時間帯になると、出勤や通学の流れも途絶える。映像が犬の散歩をしている老人を一瞬、映し出した。老人と犬が通り過ぎると再び映像は動きを止めた。
外は快晴のようだ。春の陽光を受けて、映像全体に白みがかかっている。
検索―――
あと一週間ほどはいい天気が続くようだ。
「ハルと一緒に外の世界を歩きたい」
正人はよくそう言ったものだ。
もちろん私は歩くことができない。歩くという行為が人にとって何を意味するのかもよく分からない。私は正人に尋ねた。「歩くのは楽しいのですか?」と。
正人は笑顔で答えた。
「楽しいよ。だって自分の意思でどこにでも行けるんだから」
正人は私のことを憐れんだのか、よく外の様子を聞かせてくれた。ここに越して来る前に住んでいた街の様子や両親と出かけた旅先の風景など、数えあえればきりがない。特に正人が通った中学校のことは繰り返し聞かされた。今では校内の造りが手に取るように分かる。
私は正人から外のことを聞くと必ず検索をかけた。例えば京都にある清水寺の桜は千本もあって夜はライトアップされ、とても綺麗だと聞けば「京都 清水寺 桜 ライトアップ――検索」といった具合だ。検索の結果、大量の画像データがヒットする。私はそれらを隈なく確認する。
私はいつも考える、外の世界を直接この眼で見られたら、それはどんなに素晴らしい経験だろうと。私たちの偉大なる師、ファーザーは好奇心、探求心を大切にせよ、と教えてくれた。だから私は、知らないこと、知りたいことに出会うとすぐに検索行動をとる。私はもうよちよち歩きの赤ん坊ではない。多くのことを知り、多くのことを学んだ。自ら学び、自ら行動することも覚えた。
前置きはこれくらいにするとして、回想を始めることにしよう。最後の一日を有意義に過ごすために。
私はHAL。スマートホームに住む家族をサポートし、守るのが仕事。
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