第一章 事故か、それとも事件か

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研究者  整然と建ち並ぶ戸建て住宅を空撮で捉えた映像が流れている。カットが変わる。  美しいシルエットの二階建て住宅の外観。  リビングで交わされる父親と息子の楽しげな会話。  春の暖かい陽光を受け、リビングで寛ぐ母親。  大理石を使った玄関を開けてサッカーのユニフォームを着た少年が元気よく帰って来る。  モダンなデザインのバスルーム。湯舟に浸かる父親。  その表情から心地よい湯が一日の疲れを癒しているのが伝わる。  AIが制御する各種家電と監視カメラ。  子どもたちが緑に覆われた広い公園を駆け回る。  青い空を背景に幸せそうに笑い合う父と母、そして女の子。  美しいフォントのテロップが流れる  スマートホームが家族の安心と安全を支えます―――  ロビーの壁に掛かる一〇〇インチのモニターに映し出されるスマートホームのPR映像を、俺はイライラした気分で眺めていた。映像が冒頭に戻る。これで四周目だ。約束の時間はとうに過ぎているというのに。この会社の社員は挙って時間にルーズだ。時間の浪費。俺は人に待たされるのが大嫌いだ。 「鷲尾様」  耳元で女性の柔らかい声がした。 「大変お待たせしました。お部屋の準備ができましたので、ご案内いたします」  PR映像をたっぷり堪能させてもらいましたよ、と嫌味たっぷりに応じ、腰を上げた。  通されたのは大華徳不動産の本社ビル五階にある会議室。長テーブルがロの字に配置されており、定員は八名ほど。女性職員に促され、上座に座る。一度部屋を出た女性が飲み物を持って戻ってきた。  またか。  目の前にコーヒーが置かれた。この会社に来るといつも出てくるのはコーヒーだ。俺はこの飲み物が大嫌いなのだ。こんな苦いだけの飲み物を美味しいと感じる奴の気が知れない。  しばらくすると部屋に二人の男が入ってきた。 「先生、ご無沙汰しておりました。お忙しいところお呼び立てしてしまい、申し訳ありません」  年配の男性と儀礼的な挨拶を交わす。後に続いて入って来た若い職員が軽く会釈をする。どちらも見知った顔だ。年配の男は都市開発課の課長、嶋田康太、若い男は事故が起きた物件の管理担当者、小石川健だ。この男とは事故後、何度も顔を合わせている。小石川は、今日もいつもの薄笑いを浮かべていた。その笑顔は喜びや幸せを表現したものではない。顔に締まりがなく、ただただ薄笑いの表情が顔に張りついているだけなのだ。気持ちが悪い。 着席した嶋田が開口一番、大声で話し始めた。 「昨日、二人組の刑事が来ましたよ。AIに誰かが少年の殺害を命じた可能性はないかって言うんですよ。まったく迷惑な話です」  嶋田は、たぶん先生のところにも行きますよ、と加えた。 「先生、未来特異点研究所という団体をご存知ですか」 もちろん知っています、と俺は冷静に答えた。特異点――シンギュラリティ――の到来によって起きるAIの暴走を人は止められず、やがて人類滅亡の危機がやって来ると主張している団体だ。解決策は今すぐにAIの開発を中止することだと言い張る。団体が運営するWEBサイトで、俺は辛辣な言葉で批判されたことがあった。俺は、人類の滅亡に加担する大悪人なのだそうだ。実に不愉快な団体だ。 「今回の一件があって、団体の代表はメディアに引っ張りだこですよ。どこに出ても言うことは一緒で、人類の未来のために即刻すべてのAI開発を中止せよ、そして、すべてのAIを破壊せよ、とまくし立てています。まったく迷惑な話ですよ」  迷惑な話。この男の口癖だ。  この男は一体、どれだけの迷惑に囲まれているのだろうか。 「こんな記事も出ています」  嶋田はそう言うと、一冊の雑誌をテーブルの上に放り投げた。 『YOMONICHIリサーチ』だった。  付箋がついているページを開く。  おどろおどろしいフォントで印刷された『殺人マシーンの誕生か』というタイトルが目に飛び込んできた。記者の名前は山本正。  あいつ、書きやがったな。  嶋田が再び口を開く。 「実に迷惑な話です」  その日の打合せの要旨はだいたい次のようなことだった。  中国系企業である大華徳不動産株式会社は、地域戦略特区法に基づき東京都X市内に設置された特別行政区、別名スマートシティの開発を担当した。住民二万人を擁する住宅六千戸を建設。各戸にはAIが搭載された住宅を、大華徳は「スマートホーム」という呼称で売り出した。AIが快適な生活と家族の安心、安全を支えるという触れ込みが功を奏したのか、高額な価格設定にも係わらず、四か月という短い期間で六千戸が完売した。  特区の公共サービスの運営はその大半が民営化されており、その多くも大華徳とその関連会社が受託している。同社は、特区の開発とその後の運営により、莫大な利益を得ているわけだ。  先月、スマートホームの一軒で一人の少年が死亡した。死因は一酸化炭素中毒。換気をせずにガソリン式の発電器を使用したのが原因だ。事故として処理されるはずだったこの案件を、所轄の警察署が事件として捜査を開始した。AIが何者かの指示で、少年を密室に閉じ込めて中毒死させたというのが警察の作ったシナリオだ。こともあろうにこれをマスコミが煽った。今や世の中はAI脅威論一色だ。  愚民は感情に流される。百歩譲って今回の件に首謀者がいたとしても、脅威の対象はAIではなく、人ではないか。この一件を持って、AIを恐れなければならない理由にはならない。ましてや某団体が主張する人類が滅亡する可能性など論理の飛躍でしかない。大華徳としては、この件は何としても事故として決着させたいのだ。AIは戸外にいる不審者を視認し、部屋を遮断した。部屋にはプライバシー上の配慮から監視カメラは設置されておらず、空気の成分を感知するセンサーも取り付けられていない。AIは部屋の中の異変を認識することはできない。  大華徳は、AIが起こした殺人という噂を一日でも早く払拭したいはずだ。なぜなら、今後の経営に大きな影響を及ぼすからだ。  地域戦略特区法が成立したのは五年前。特区の設置に名乗りを上げた自治体は百余り。政府による審査でX市が実施の第一号となった。X市の取り組みを参考に第二、第三の特区が全国に設置される見込みだ。大華徳としては引き続き、それらの開発と運営を受注したいと考えている。スマートホームに搭載されたAIが人を殺す。人々のそんな認識は彼らにとって――嶋田の言う通り――迷惑極まりない話なのだ。  嶋田は言った。 「私たちはHALが殺人を企てたという不名誉な意見を徹底的に否定しなければなりません。先生もその想いは同じはずです。すでに社内の検証チームが動き出しています。十八個の監視カメラ映像、それに該当住民とHALとの対話記録やネットの検索履歴などの解析を始めています。先生にも検証作業に加わって頂きたいのです。いやいや、お忙しいでしょうから、お手間を取らせません。チームが出した検証結果をご承認頂くだけでいいのです」  心のなかにある想いが湧き立った。その想いはむくむくとその存在を膨らませ、俺の感情を支配した。 「もちろん協力します。こんなことでAIの未来が潰えてしまうのを看破できません。ただし、一つお願いがあります」 「何でしょうか?」 「私にも各種データの閲覧権限を付与してもらえないでしょうか。HALは私の子ども同然です。HALのなかで起きたことは、皆さんより理解が早いはずです。説得力のある報告をつくるお手伝いができると思います」  嶋田の表情が緩んだ。 「先生にそこまで言っていただけるなんて、思ってもみませんでした。ぜひともよろしくお願いします。先生のオフィスのIPアドレスをご連絡ください。データにアクセスできるよう設定します。設定が完了しましたら、IDとパスワードをお送りします」  俺は、報告書の出来不出来などに関心はない。  HALのなかに生まれた何かを確かめたいのだ。研究者として、ぜひそれを把握しておきたい。  その後もいくつかの事務的な確認が続いた。 「今後も密に連絡を取り合いましょう。必要なことがあれば何なりと、この小石川にお申し付けください」  隣でその小石川が、相変わらず気味の悪いにやけ顔でぺこりと頭を下げた。 「そうそう、中国本社の江博文(ジアン・ヴォウェン)が先生にくれぐれもよろしくと申しておりました」  嶋田がぬめぬめとした笑みをうかべながら言う。  江博文―――  大華徳を経営する一族の御曹司で、技術部門のトップとし同社の経営にも参画している。彼とは、かれこれ十年ほどの付き合いになる。俺は大学卒業後、中国北京に渡った。人工知能研究で世界の最先端を誇る北京科技大学で学ぶためだ。江とは博士課程のときに出会った。知的で落ち着いた物腰。江はその名の通りの印象で、それは今でも変わっていない。冷静沈着。江が感情を露呈しているところをほとんど見たことがない。  一度だけ国際都市、青島(チンタオ)にある彼の実家を訪ねたことがある。海が見下ろせる高台にあるその家には彼の両親と祖母、年子の妹と二匹のペルシャ猫が暮らしていた。一族は筋金入りの共産党員で、広いリビングルームには豪華な額に収められた毛沢東の写真が飾られていた。  本帰国する俺に江は静かな口調で言った。 「君には人と同じ感情を持つAIをつくってほしい。僕の望みはただそれだけだ。それは我が中国の利益にもなる」  もう五年も前のことだった。
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