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一章:待ち合わせ
歩道に落ちた枯れ葉が風に舞い、枝ばかりになった裸の木々を揺らす。
服の隙間から潜りこんでくる冷気を押し止めるように、岸塚 昂輝は、首に巻いたマフラーをそっと握った。
「おーい、昂輝」
向こうから人影が駆けてくるのを視界に捉えた。恋人の星野 沙月だ。
沙月は、大学2年である昂輝が、数年前から付き合っている同学年の女子である。
でも──
「ああ、沙月さん」
「ごめん、遅れた!許して」
「別にいいですよ。5分くらい」
昂輝のもとまで駆けてきた後、息を切らす沙月に、笑いながら昂輝は思う。
──でも、僕は、彼女のことを知らないんだ。
「ほんとにごめん!寒かったでしょ。はやく中に入ろう。適当に座れるような店入ってさ」
「そうですね」
──彼女と過ごしたきた時間のその多くを、ほとんど。
1ヶ月前の満月の夜、昂輝は急な斜面で足を滑らせて転倒し、頭を強打した。
当時そばにいたという沙月が救急車を呼び、そのあと無事に病院で意識を回復した。
だが、目を覚ました昂輝は、沙月のことだけを忘れてしまったのだ。彼女の名前も、話したことも、行った場所も、何もかも。
しかし医者によれば、脳に異常は見られないという。
事故のショックでしょうから、しばらく一緒にいてあげてください。そうすれば、ふと思い出すこともあるかもしれません。
ドラマで聞き慣れた医師の言葉を、当時の昂輝は、ぼんやり聞き流していた。
***
沙月は、息を切らしながら立っていた。ようやく呼吸が整い、顔をあげると、そこには昂輝がいる。
「ここらへん、入れる店とかってありましたっけ?」
「うーん、スマホで調べればあるかな・・・・・・あ、あった。駅近の本屋、ここから歩いて3分くらい」
「じゃあ、すぐですね。先にそこに寄って、少し温まりましょう」
二人で顔を寄せ合い、スマホの画面を眺めながら、沙月は思う。
──昂輝。今日こそは、君を殺す。
今日が決行日。そう決めてある。
凶器は刃物がいいな。縄で拘束して動きを封じ、研ぎ澄まされた刃をその白い肌に沿わせて、首筋を伝うその赤をなぞろう。
君が死ぬところは絶対に映像に収めて、それから何度も見返してあげる。
ねえ、昂輝。
私は君を殺したい。そうしないと、この想いは伝わらないんだから。
殺意を隠して、沙月は「愛しい恋人」に微笑みかける。
「賛成。その後はいつものカフェでお茶して、駅の前に新しく建ったデパートにも行きたいな」
「あそこ、リニューアルオープンしたんでしたっけ?」
「そうそう。内装とかお店の配置とか、色々変わったらしいよ」
風吹きすさぶ、冷たい歩道。
手を繋ぐ二人の恋人は、他人から見れば、とても幸せなカップルだ。
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