《麻琴の昼下がり》

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《麻琴の昼下がり》

 ただ窓に映る空を見上げて、懐かしい歌を聴く。  真仁と出会った日、この曲が街で流れていた。バラードなのに、気持ち良さそうにエアギターを弾く彼が、何だか可笑しくて愛おしくて、私はつい声をかけていた。  確か、私が最初に発した言葉は、 「誰の曲なんですか?」  だったと思う。それに彼は答えてくれたけど、私はその歌手の名前を知らなかった。でも、なんとなく好機かなと思った。顔も好みだし、質問への返事も丁寧で、性格も悪くなさそう。  そして、もっと話したいなって気持ちが傾いた瞬間に彼が、 「スマホに別の曲入ってるけど、聴く?」  と言ってくれた。  ああ、この人は、私のことを分かってくれる人だ、と思った。そうしたら逃すわけにはいかない。手近にあったカフェに誘い、席替え後の級友みたいに話し合った。彼は時間を気にする素振りもしない。常にちゃんと言葉を選んでくれて、まったく不快にならなかった。対して私は楽しすぎて浮かれていた。カフェを出てからも公園を散歩したり、ファミレスで食事したりして過ごした。せめて連絡先ぐらいは聞いておきたい。今日が終わったらもう会えないなんて嫌だ。意を決し、その言葉を言おうとしたとき、 「きみの連絡先、教えてもらってもいいかな。また、会いたいから」  言ってスマホを取り出した彼に、私は完全なときめきを覚えた。そして連絡先を教える交換条件として居酒屋に行くことを提案し、二人で楽しくお酒を飲んで、その夜には身体を重ねていた。  前日に恋を失くした私と、一年前に恋を失くした真仁。記念日というほど楽しいものではないけど、同じ失恋記念日を持つ私たちだから、二人で同じ日に恋を始めてみようか、という感じのノリで、その日から交際を始めた。十回デートして、彼が信用に足る人だと確信が持てた頃、 「真仁の部屋に住んじゃおうかなあ。だめ?」  と冗談めかして言えば、 「いつ切り出そうかと思ってた。今からでもどうぞ」  こう返ってきた。  その三日後から同棲を始め、五年間一緒に暮らしている。どちらも言わない「結婚」の二文字は、前提条件が揃っていない。今聴いているこの歌の主題が、とても寂しい。
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