《真仁の昼下がり》

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《真仁の昼下がり》

 麻琴が同じ歌を繰り返し聴いている。二人の想い出が詰まった歌だ。歌詞なんて間違えるはずもないし、俺の頭の中では歌の世界が色づいて映像となっている。  五年も時を重ねた至高の相棒は、何度もリピートすることで俺に訴えているのだろう。分かっているんだ。彼女が求めている言葉は、俺が求めている言葉でもあるから。  何でも分かり合えている関係だからこそ、言う必要も聞く必要もないと思っていた。けれども俺たちはプライドにも満たない意味不明の痩せ我慢で、 「好き」  という言葉を一度も言わずにいた。  どれだけ抱き合っても、何故か意固地みたいに別の言葉を選んだ。  どれだけそれぞれの友人たちに(のろ)()ても、それらにはその言葉を幾度となく語っても、二人が二人であるときに、二人が二人であるために必要な言葉を使わなかった。  自分からは言わないくせに、俺は彼女の言葉を欲しがった。  彼女も自分からは言わないが、おそらくその言葉を欲しがっていた。  だからきっと、互いに寂しくなってしまったんだろう。二人が二人を始めたきっかけの歌には、たくさんの「好き」が溢れている。カラオケや車の中で一緒に歌った歌でありながら、どうしてか大切な相手には届けなかった言葉。  今言うべきだ。そんな機会を数えきれないぐらい逃してきた。そうしているうちに言葉そのものが厄介な重みを増して、言おうとすると息が詰まる現象が起きるようになった。  簡単なことだと友人たちは言う。たった二文字じゃないかと笑う。  世の中には、決して簡単に言えない言葉がいくつもある。ただ発するだけで非難される言葉など数え上げたらキリがない。  対して「好き」という言葉は、基本的に誰かから責められる言葉ではなく、相手が望んでいるならば、金銭には代えられない価値を出す。 「好き」と伝えることで、麻琴は素直な喜びを見せてくれたはずだった。だけど()(いち)(にち)と言うタイミングを逃し続けて五年。次第に胸に膨れ上がるのは、「今さら遅いよ」と言われることへの不安ばかり。  二人が出会い、カフェで話したあの時間の中で言いたかった。遅くとも、その夜に身体を重ねたときに言うべきだった。基本的に多くを話さず分かり合える俺たちは、関係そのものに充足し、たった二文字の不足分を埋めなかった。その結果、昨夜の静かな時間の中で聞いた彼女の「好き」が、俺にはやはり魔物の囁きのように聞こえてしまったんだ。
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