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《麻琴の夜》
開けていたカーテンの真ん中に、黒い空とぼやけた月が見える。私はそれをサァッと閉じてから、ダンボール箱に自分の持ち物を放り込んでいく。
もうこの部屋にはいられない。何か得体の知れないものに禁じられていたあの言葉を、別の形で言ってしまったのだから。
換気扇の音以外に聞こえない静寂の部屋。真仁は壁に凭れかかり、五年の日々で汚れた天井を見つめている。私を引きとめる言葉もない。もちろん、それがあったとしても、気持ちが変わるはずもない。
昨夜、私は彼に告げた。
「好き」
という禁句を悪女的にアレンジして、
「私、好きな人ができたの」
まさか初めて彼に言う「好き」がこれになるとは思わなかったけど、こう言わないといけない別れはきっと最初から決まっていた。
些細なことでも察知し合う私たちは、互いの心の中を覗けるのだと思う。
私は真仁が好き。
真仁が好きで好きで、たまらなく愛おしくて、もう二度と出会えない人だと分かっている。それなのに不気味な魔物が素直な「好き」を言わせなくさせた。どちらも次第に寂しくなって、なんとなく諦める方向に行き始め、だけども二人が二人を続けていこうと表面的な装飾で誤魔化してきた。
私は真仁が好き。
彼以外の男に心を奪われることはありえない。
でも、なまじ彼の心を覗けてしまうから、彼が別の女を好きなことに気づいてしまった。
今ここを出て行かなければ、二人はどこまでも同じ道を歩けると思う。明日も、来年も、十年や二十年先にも、愛の行為を繰り返しながら、分かり合って生活していけるのだと思う。
そのとき、彼は胸の中で別の女を浮かべて、苦悶しつつも、私に優しく接してくれるだろう。きっと私はそれを屈辱とも思わず、いつまでも真仁を好きなままでいるだろう。
この恋は私の恋で、言ってしまえば彼の意向は関係ない。その気になれば、壊れても何度だって戻せる恋。だから彼に好きな女がいたって、私の意向のみで続けることができる恋。危うさを孕んだ恋。薄氷の上を渡る恋。でも、失くしたくない恋だった。
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