史上最高のホラー小説

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史上最高のホラー小説

 人心とは妙だ。  ここフランスのプロヴァンスに住まう医者であるわたしは、いつしかそんな思いを抱くようになった。  おそらく医学はまだ未発達であり、いつか根本的な見直しがはかられるだろうが、この時代では惑星の位置関係と関連付けての占星医学が一般的であり、わたしは占星術を嗜んでおり、仕事の傍らに占いを始めたのが全てのきっかけだった。  同じ医師であった祖父を通じて幼少の頃から占星術に親しみ、ホロスコープの使用に慣れていたせいもあったのだろう。発行した年間の占い本はよく当たるとしてたちまち評判になり、占星術師として確固たる地位を築き上げることができたのだ。  こうして占い師として生きるうちに、先の考えが生じたのである。  人は未来を不安がり、過去を美化したがるものだ。古い本の署名には、さらに古い時代の英雄や神々の名が借用されている品が多々ある。  それは、「自分たちの時代よりも古代では真理が知られていたはずだ」と信じられており、古びた書物ほど評価される傾向にあったからだ。  こういった感情は当時から、あるいはもっと昔から続いてきたわけだ。古代アッシリアの粘土板にさえ、を批判する記述が残されていたほどに。  おそらく後世の人々も、「昔は良かった」とぼやいているに違いない。  人がこんな逃避をしたがるのは、将来はわからないが過去は振り返ることができるからだろう。現在があるということは、少なくともそれを語る人間がいる今ほどには、無事でやってこれたということなのだから。  故に、実際には過去のほうが暗い歴史で数多くの犠牲が出ていたとしても、生き残った現今の人間はそれを認めたがらないのだ。  未来の新しい問題は現在を生きる自分たちが解決せねばならず、その責任も負わねばならない。それぞれの時代の、特にそうした問題に挑まねばならない大人たちは、これが怖いのだろう。  こういった感情によって、人々は幸せな予測が当たっても喜ぶものの、不幸な予言が的中しても、「新時代の問題を解決できない責任は、自分たちでなく現在という悪い時代にあるのだ」として、「わたしたちの知らない最近の若者が悪い」だの「わたしたちの知らない新しい文化が悪い」だのと、なるべく己らとは関係のない未知のもののせいにして安心しようとするのである。  占いに一喜一憂するそんな人間の反応を観察するうちに、わたしはふと、自分が活躍できる場が他にもあると気付いたのだ。  かくして、無意味な言葉を意味ありげに適当に並べただけの本を製造したわたしは、満足してほくそ笑んだ。  恐怖を表現した作品として、これに勝るものはないからである。人々はここから、勝手に恐怖を生み出すだろう。「世界は悪い方向に向かっている」という期待が、そうさせるのだ。  こうしていつしかこの著作は最大の恐怖物語となり、わたしはその作者としての業績を轟かせることになるだろう。  我が名はミシェル・ド・ノートルダム。  ノストラダムスとして知られる、いずれ最高の恐怖作家になると予言する者である。
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