猫のツネ吉、現る

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 家で仕事をしているお父さんの息抜きは料理。毎週日曜日に次の週の献立を決め、買い物までまとめてする。いつも何かしらないないと騒ぐけれど最後にはおいしいものが出来上がる。今日の献立はハンバーグとツナサラダ、豆腐と油揚げのみそ汁。それなのにやっぱり冷蔵庫を開けたお父さんは叫んだ。 「豆腐がない! 油揚げもない!」 「豆腐屋さんなら近所だからぼくが買いに行くよ」  いつも豆腐を買う石田豆腐店はすぐそこの商店街にある。ぼくは手を上げてお父さんを助けることにした。 「キツネに取られないようにね」  玄関先で小銭の入ったがま口財布をぼくに渡したお父さんがそんなことを言った。  ぼくが買うのは豆腐一丁と油揚げ二枚。確かにキツネが好きな油揚げがある。けれど取られるなんてそんなことが起こるわけがない。キツネが油揚げを好きなのは物語の中だけ。それにこの辺りにキツネはいないのだから。  これはぼくの初めてのおつかいではない。だからドキドキもしないしパニックにもならず店に着き、ちゃんと豆腐屋の石田のおじさんにあいさつもして豆腐と油揚げを買えた。帰り道でふとさみしくなる。あまりにも何もない。何か起きてくれても良いのにとすら思ったその時だった。黒いブチ猫がぼくの目の前に現れ、あやしげに笑う。まるでぼくの望みを叶えてくれるように。 「わたしの名はツネ吉。あなたの行きたい場所はわかっています」  ツネ吉はこちらを見もせずスタスタとどこかへ向かう。  付いて行かないなんてそんなことぼくには出来なかった。 「猫の集会所?」  ぼくは目を大きくして聞く。猫の後に付いて行くとそういった場所にたどり着いたという人の話を聞いたことがあった。猫が大好きなぼくはそれを経験してみたいとずっと思っていたのだ。 「そうです、そうです」  ツネ吉は舗装された道からひょいと草むらに入った。  ぼくはツネ吉を見失わないようにしゃがんで進む。下水みたいな嫌なにおいやケーキの甘いにおい、おばあちゃんの家でかいだことのあるお香のにおいがしたけれど見えるのは草だけ。ツネ吉がぴょーんと飛び跳ねて、真似をしてぴょーんと飛び跳ねてみたけれど上手くいかずごろごろ転がってしまった。起き上がってみるとそこは使われていない神社の駐車場だった。車は一台もないけれど猫が十数匹ぽつぽつと座っていた。すると猫たちが一斉にフーッフーッといかくを始める。人間が来てはいけない場所だったんだと思ったけれど猫たちはぼくではなくツネ吉をにらみ付けていた。 「さあ、次に行きましょう」  猫たちをするりとかわしてツネ吉は軽やかに走り出した。 「もしかして猫の隠れ場所とか?」  ぼくはツネ吉を追いかけながら聞く。親友のヨシくんと学校帰りに猫の隠れていそうな場所を当てるゲームを良くするけれど二人とも一度も当てたことがない。一体猫はどこにいるのか知りたいと思っていたのだ。 「もちろんそうです。隠れてるんですから見つからないようにしませんと」  ツネ吉はスッと家と家のすき間に入った。  ぼくは体を横にして背中とお腹を塀にずりずりこすりながら進む。そこは家がぎゅうぎゅうに詰まった場所。まっすぐ行ったり右へ行ったり左へ行ったり。もちろんずっと体を横にしたまま。まるで迷路だ。ツネ吉がピタリと立ち止まり、それに気付くのが遅れたぼくは思わずツネ吉を踏んでしまいそうになった。あわあわしながら大きく足を上げてツネ吉を跨いだもののバランスを崩して転んでしまった。起き上がってみるとそこは草がぼうぼうに生えた家の庭だった。家は崩れかけていて誰も住んでいないようだけれどダンボールの中や紙袋の中、物置の中にちらほらと猫の姿が見えた。するとまたしても猫たちは一斉にフーッフーッといかくを始めた。どうして、と思いながらもふとさっきのことが気になった。猫たちの視線だ。やはりツネ吉を向いている。 「さあさあ、次ですよ」  ツネ吉は追いかけてきた猫をひょいとよけてタッタッと走り出す。 「猫の食事場は見たいけど、でも、どうして猫たちはツネ吉をにらんでくるの?」  ぼくはツネ吉の背中をじっと見つめる。何かあるんじゃないか。それに答えてほしかった。 「そうでしょう、そうでしょう。わかっています。猫の食事場にお連れいたします」  ツネ吉は答えてほしいことには答えず、ぬるりと穴の中へ入った。  ぼくははいつくばりながら穴の中を進む。穴から出たはずだ。出たと言い切れないのはもうあたりが暗くなってきていたからだ。ツネ吉の黒い部分は良く見えない。白い部分だけが頼りだ。ツネ吉がタッタタッタと何かから何かへと飛び移る。近くで見てようやくその何かが大きなゴミ箱や積まれたダンボール、お酒のビンがいくつも入ったプラスチックの箱だとわかった。ぼくは手探りでそれによじのぼり付いて行く。ほんの少し明かりが見えた気がした。あっ、と思った時にはぼくはバケツにつまづいて転んでいた。起き上がったぼくの横にツネ吉が座っている。 「ここですなあ」  ツネ吉は大きな声でそう言った。するとガチャリと音がして目の前のドアが開いた。 「ありゃりゃ。猫たちが来たのかと思ったよ」  そこにいるのは豆腐屋の石田のおじさんだった。手にはいくつもの器とキャットフードの袋を持っている。どこからともなくわらわらと集まって来た猫たちがおじさんの足元にすりすり。おじさんは地面に器を置くとキャットフードをざらざらと入れ、猫たちは我先にとキャットフードを食べ始めた。 「ところでここってどこですか?」  猫たちを見ながらぼくはおじさんに聞く。 「商店街の裏だよ」 「ええっ!」  ぼくの大きな声に猫たちがビクッとした。そしてツネ吉に気付くとやっぱりフーッフーッといかくを始める。 「こっちですよ」  ツネ吉は石田豆腐店の中へ入った。ぼくもそれに続く。 「まあったく、どうしたんだよ」  おじさんがドアを閉めてくれたおかげで猫たちはこっちまで追っては来れなかった。  豆腐店の表側から外に出ると見慣れた景色に本当にそこが商店街だとやっと信じられた。 「それではここまでのお代を頂きます」  ガサガサッという音がした。そして目の前にはなぜか油揚げを一枚くわえたキツネがいる。たしかにツネ吉の声がしたというのに。 「ケケケケケ」  キツネは笑って去って行く。その尻尾は黒いブチ模様。ツネ吉と同じだった。  ぼくはハッとする。ツネ吉は猫に化けていたのだ。ぼくの油揚げを盗む為に。それにキツネだから猫たちにいかくされたのだ。 「騙された!」  まさかキツネがいるなんて! まさか本当にキツネが油揚げを好きだなんて! 騙されたってのにぼくは興奮していた。 「お父さんに注意された通りになっちゃったよ!」  ぼくはその場で何度も飛び上がった。 「何してるの?」  声をかけられぼくはビクッとする。振り返ればそこには仕事帰りのお母さんがいた。 「キツネ、キツネ!」  あわててうまく言葉の出ないぼくの背中をお母さんがさする。その内にぼくを心配して探しに来たお父さんが合流した。  話が行ったり来たりしながらもぼくは二人にさっきの出来事を話した。お母さんは信じられない、という顔をしていたけれどお父さんはやっぱりな、という顔をしていた。もしかしてお父さんもキツネに騙されたことがあるのかもしれない。
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