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憧れ
「いらっしゃいませ!
こちらでお召し上がりでしょうか?」
慣れた笑顔で愛想よくお客様に声をかけた。
できるだけにこやかに、聞き取りやすい話し方での対応を心がける。スムーズに注文内容を確認し、お会計を終えた。
お昼の時間帯のファーストフード店はとにかく忙しい。
レジの前には長蛇の列。少しでも早く対応しなくては…。
「お待たせいたしました!
お次のお客様どうぞ!」
家の近くにあるというだけで決めたファーストフード店のバイトは思いのほか気に入っている。
常連のお客様と仲良くなったし、頑張っていれば店長からも評価され、時給を上げてもらえたりもする。
お小遣い稼ぎのために働き始めて半年ほどになるが、アルバイト同士も仲良しで、休みが被っているメンバーで遊びに行ったりもしている。
「紗英、お客さん少なくなってきたし、
今の間にストローとか補充お願いできる?
私は清掃に入るね。」
お客様に商品を渡し終えた私に声をかけてきたのは、美咲先輩だ。
美咲先輩は忙しい時もお客様対してとても丁寧で、仕事も早いし、とにかく頼りになる。挙句、美人なので非の打ち所がない。
高1の私と一つしか年が違わないなんて本当に信じられない。
「分かりました!また3 時頃には混みますし、
ドリンクの残量とかも確認しておきますね!」
「ありがとー!よろしくね!」
そう言って、美咲先輩は布巾を片手にトレーの拭き始めた。
私は早速お昼の激混みタイムで消費してまったストローや紙ナプキン、ガムシロップなどの残量を確認し、お店の奥にある倉庫へと取りに向かう。
「バック入りまーす。」
バックとはバックヤードの略で、お客様から見えない倉庫や休憩室に入るという意味だ。
今から接客対応から外れますよ、とみんなに気づいてもらうために声をかける決まりだ。
「「はーい!」」
美咲先輩や他のアルバイトたちが返事をしてくれた。
バックヤードに行くには厨房を通るのだが、私は毎回ソワソワしてしまう。
胸のあたりがムズムズして、落ち着かない。
お店のロゴマークが入ったポロシャツとキャップはアルバイトがみんな身につけているのに、どうして彼が着るとあんなに特別に見えるのだろう。
私が厨房に入ると、彼はハンバーガーに挟むお肉を焼いているところだった。
「後ろ通りますねー」
私はお肉を焼く彼の後ろ姿に声をかけた。
厨房は広くないので、ぶつからないようにするためだ。
平然とした顔をしながら、横目で彼の後ろ姿をできるだけ長く掠め取る。
「はいはーい。
あ、紗英ちゃん補充?
ポテトもお願いできちゃったりする?」
身体はお肉を焼く鉄板に向けたまま、彼は顔だけを私に向け、人懐っこい笑顔を見せた。
キャップから覗く少し長めの襟足。
甘く低めの声。軽い喋り方。
そのどれもが、いつも私の心臓を忙しくさせる。
「あ、はい。今から補充行きますけど…
とはいえポテトの箱は重いじゃないですか〜」
話しかけてられて嬉しいくせに、お願いされたことに文句を言ってみる。
少しでも会話を増やしたいのだ。
「持てる持てる、紗英ちゃんなら持てる!
なんなら2箱まとめて持てる♡」
肉を焼き終えて、彼は人懐っこい笑顔のまま、両手でお願いのポーズをしてくる。
「2箱は絶対無理ですって!
律月先輩は人使い荒いんですからー!」
不満そうな顔を彼に作って見せながら、私はバックヤードに歩を進めた。
私の後ろ姿に律月先輩の声だけが追いかけてくる。
「って言いながら持ってきてくれるのが
紗英ちゃん♡
ありがとねー♡」
私はバックヤードに辿り着くと、大きく息を吐いた。心臓を落ち着かせるためだ。
軽い…。軽すぎる…。
彼は基本誰にでもあの調子。
いつもの軽口なのだ。
そう頭では分かってはいるのに、話すだけでドキドキが止まらない。
『一回は律月を通る』と女子アルバイト間で囁かれるほど、このお店に入った子は誰でも一回は律月先輩に片思いをすると聞いたことがある。
…かく言う私もその1人だ。
律月先輩は厨房担当で、忙しいお昼の時間帯でも的確にオーダー分のハンバーガーや揚げ物などの調理をする。
後輩たちへの指示は的確で、律月先輩がいるとお店の稼働率が上がる。
チャラいのに仕事がデキるギャップに、大半の女子がやられる。
このお店のアルバイトとの色恋沙汰は今のところないらしいが、通っている高校ではかなりの数の元カノがいるともっぱらの噂だ。
(不毛なのは分かってるんだけど…
かっこよすぎるんだよ…)
心の中で呟きながら、ストローや紙ナプキンたちも持てるだけ腕に抱え込む。
バックヤードからお客様を受けるカウンター側に再び戻り、手際よく物品の補充を進める。
ドリンクの補充も完了し、残るは律月先輩ご所望のポテトだ。
ポテトのダンボール箱には冷凍ジャガイモがめいっぱいに詰まっており、かなり重いので、特に女子は運ぶのを敬遠しがちだ。
気合いを入れて、1箱持ち上げる。
(う、重い…
律月先輩はそもそも私を女として見ているのかすら疑問だわ…)
ポテトのダンボールはやや縦に長いので、152センチのやや小柄な私が持ち上げると、前がよく見えず視界が悪い。
誰かにぶつからないようにしないとな、と思いながら一歩進んだところで、ポテトの箱が軽くなり、腕の中から消えた。
「え?あれ?律月先輩?」
消えたポテトの箱は律月先輩の腕の中に収まっていた。
「やっぱ女の子には重いから、
優しい俺が取りにきた〜
あ、この上にもう1箱乗せてくれる?」
「自分で優しいとか言っちゃうと
台無しなんですけど〜
でも、2箱も持てます?」
「俺は持てちゃうのよ〜
できる男は2箱持ちしかしないのよ〜」
「ふふっ、そんなのはじめて聞きましたけど。」
律月先輩の軽口に笑みをこぼしながら、私は2箱目のダンボールを乗せた。
「あ、重っ!」
「やっぱ重いんじゃないですか」
「んーだいじょぶだいじょぶ」
2箱目を乗せると律月先輩の顔は全く見えないが、声の感じだと、また人懐っこい笑顔なんだろう。彼はいつもにこやかだ。
やや足取り重く、2箱を抱えた律月先輩は厨房に帰って行った。
(結局優しいところも、ずるいんだよな…)
私も接客対応に戻るため、律月先輩に続いてバックヤードを後にした。
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