田舎の町で

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田舎の町で

 私の叔母は手話サークルを行っている。  叔母が住んでいるのは、私の実家があった、新幹線の駅まで車で15分の田舎町だ。  車がないと生活できない。免許を持っていない人は正直お荷物だが、そこは田舎の良いところで、免許がなければ近所の誰かか親戚が駅まで送り迎えしてくれる。  そんなド田舎なのに、私が就職したり、子育てしたりしてバタバタしている間に叔母は手話通訳者の資格を取っていた。  公にテレビなどで手話通訳をしている方を時々(そう、残念な事に時々)みかけるが、そこまでの試験にはどうしても受からなかったようだ。  しかし、市役所のから依頼されて、聾啞の人の病院の入院手続きとか、老人介護施設への入所手続きとかを手伝えるくらいの技能試験は通ったらしい。  そして、市からも依頼されて、手話通訳者を増やす、もしくは、少しでも聾唖の人たちと意思を交わせる人を作ると言う目的で手話サークルを2つ作って、初心者コースと少し上級者コースで指導を行っている。  彼女はもう85歳になる。  彼女の一番大きかった仕事は、丁度私がこの10年間の中で4年ほど田舎に帰省していた時期に当たった。  彼女が担当していた聾唖の男性が癌になり、病院での手続きや、支払いの話。医師からの病状の説明。手術の説明。その後の介護施設の入所。  そして、残念ながらその方は癌で亡くなってしまったのでその財産の管理まで叔母がすることになった。  担当していた聾唖の男性は親戚がいるのだが、まったく顔を出さない人たちで、病院での説明には通訳と一緒に身内もいてほしいと言っても来てくれず、結局委任状を送ってもらって、叔母だけが立ち会い通訳をした。  その男性はもともと一人暮らしで親戚付き合いも少なく、田舎の中でも全然人のこない所に自宅があり、そこに住んでいたらしい。  もう高齢であり、聞こえないことから何度かぼやを出していて周囲が火事だと教える声も届かずにいたことから、これ以上の独り暮らしは危険だとお判断し、叔母が介護施設への入所を勧めた。  その男性もそれに賛成して施設入所になった時に初めて親戚と名乗る方が連絡を叔母にしてきた。  何を勝手なことをしているんだ。自宅に住んでいれば家賃はかからず、障害者年金がもらえているから結局その男性が亡くなった後の遺産が減ってしまう。という事だったようだが、それまで放っておいた事実もあるので、市役所の方も交えて、結局本人の意志である介護施設への入所を決めた。  その後はもう話し合いの時も親戚の方は全く来なくなり、通訳である叔母との接触だけで、癌での入院、手術、退院手続き、施設への入所を市の担当の人と叔母だけで手伝い、亡くなるまでの約2年間はほとんどその男性につききりで通訳をしていた。  もちろん、決められたお金はいただいていた。1時間いくらと通訳のお金は決まっているらしいので、市で決められていた金額はいただいていたようだったが、この男性にしていたことは通訳だけではなかったので、叔母の負担は大変なものだったと思う。  通訳に行けない時には、お互い年を重ねているのでメールやラインなどは使えず、FAXでやり取りしていたようだ。  でも、亡くなるまでの間、この男性は全く聞こえない静けさの中で、叔母とのつながりを持てて、心の中は賑やかでいられたのではないかと私は考えている。  叔母はとても楽しい人で、その聾唖の男性も私の実家のお店で買い物をするのにチョコチョコ寄ったりしていたが、いつも笑顔で叔母と手話をしていた。  亡くなってしまったと聞いて、とても残念だったが、叔母のような通訳者と出会えたことはきっとその男性には幸せな出来事であったと思いたい。  全く聞こえない聾唖の方々の気持ちが分かるなどとは言えないが、静けさの中で暮らしていても、心の中は私たちには聞こえない何かの音が聞こえていたのではないかと考えるのだ。 【了】
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