森民マダム

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「そうです。森の友だち、という意味ですよ」  しかし新城は嘉代子には横文字を理解する能力がないのだと勘違いしたようだった。 「やあね、そのくらいわかるわよ」  嘉代子はにっこり笑顔で返した。「馬鹿にしてるの?」と続けそうになったがなんとか飲み込んだ。余計なことは言わないほうが身のためだ。これは昔、住宅街のマダムたちとの付き合いの中で覚えたことだ。 「そうですか、失礼しました」  新城は口元だけで笑い、なめらかな口調で続けた。 「それでは笹原さん、さっそく本題にうつらせていただきたいのですがよろしいでしょうか?」  新城は嘉代子の返答を待たずに傍らに置いた書類ケースから紙の束を取り出した。 「こちらが、ただ今弊社が推進している〈廃れた森を開拓して生き返らせようプロジェクト計画〉、略して〈スキップ計画〉の概要です」 「……はい? 今なんておっしゃいました? 略して?」 「スキップ。S、K、I、P。廃れた森を、開拓して、生き返らせよう、プロジェクト。それぞれの頭文字をとってSKIP、スキップ計画です。自然と共存する美しい未来へスキップするように進んでいこう、そういう意味もこめております!」  新城は鼻高々に説明をした。  嘉代子は静かに腹を立てた。  まずは計画名があまりにひどい。長い上にかっこ悪いし、略しても尚かっこ悪い。そもそもプロジェクトと計画は同じような意味でしょうに。とにかくこの男は頭文字をとりさえすればいいと思っているみたいだけれど、どう考えてもわたしを見くびっているとしか思えない。それにわたしは開拓という単語がこの世のあらゆる単語のなかで一番嫌い。わたしの父も夫もそれのせいで死んだのだから。そんな単語をわたしに投げてくるなんて。まあこの人はそういう過去を知らないのだから仕方ないのだけれど。でもやっぱり許せない。だってこの男は森を自らの友だなどとほざいている。森の民を15年もやっているわたしは一度もおまえみたいな男を友だと思ったことなどないのに。おまえなんかに生き返らせてもらわなくても、この森は元気に生きている。おまえみたいなやつが侵略してこない限り。  嘉代子は上品な笑顔を貼り付けたまま脳内で新城を罵りながら、色褪せてほとんどベージュ色になってしまったが元はピンク色だったエプロンのポケットに隠した山刀(やまかたな)の柄を握った。3年前に街で新調したものだ。念のため、すでに刃のカバーははずしてあった。最近刃を研いだのはいつだっただろうか? 記憶を辿りながら親指で刃に触れてみる。親指の腹の薄皮が少し切れた。人間の脂肪や筋肉を貫くのにはじゅうぶん鋭いことを確認し、安心した。
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