森民マダム

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 そんな嘉代子の内心をまったく察することもなく、新城は〈スキップ計画〉の説明を始めた。 「私どもは、この廃れた森を開拓して美化し、有効活用していこうと考えています」  新城は出窓のほうに目をやった。窓からは周囲を取り囲む樹木の幹や、春になって背を伸ばした野草がのぞいている。嘉代子にとってはこの上なく自然な景色だ。これこそが世界のあるべき姿だと思っている。それなのに、この森が廃れているだって? そんなふうに人間は無理にあるべき姿を歪めようとするから、いつも悲劇に見舞われるのだ。わたしの父や、夫や、かつてここにやってきた3人の人間たちがそうだったように。  嘉代子は黙って手元の計画書に目を向けながら、とはいえ老眼でほとんど文字は読めてはいないのだが、新城の腹が立つほどに要領のいい説明を聞いた。  新城が説明したのは、端的にいえば森を破壊する計画だった。  嘉代子が棲むこの森に、「フォトジェニックなキャンプ場」を作りたいらしい。フォトジェニックの意味はわからなかったが、その語感からなんとなく洒落た雰囲気のことをいっているのだと理解した。そのキャンプ場の利用者は主に都会に住む富裕層。すでに原形をとどめぬほどに開拓されきった土地に住み、コンクリートに囲まれて暮らす人たちは土や緑とのかかわりを高い金を出しても買いたいらしい。こうすることで森は「蘇生」し、「美化」され、都会の人たちは「自然」と関わることができる。〈株式会社FOF〉も利益を得ることができる。ちなみに森の木々は切り倒し、土にはナントカカントカという長い名前の物質を撒いて必要な植物や作物の成長を促し、有害生物は駆除するとか。 「笹原さんにはこの土地をお譲りいただく代金として、現在の土地相場の2倍の金額をお支払いします。もちろん新しいお住まいもこちらで準備いたします。今ならここよりもずっと新しい一戸建てをご用意できます。どうですか。だれも損することのない、すばらしい計画でしょう? ウィンウィンどころじゃない。ウィンウィンウィンウィンウィンウィンですよ」  新城はにやりと笑った。突然ウィンウィン鳴きだしたので蝉にでもなりかけているのかと思ったが数秒経っても人間のままだった。嘉代子はいつも作物を収穫するときと同じように、新城の耳を山刀で頭から切り離してしまいたくなった。しかし今は我慢しなければならない。ここでやりあえば小屋の中が汚れてしまう。証拠も残るし、なによりこの鼻もちならない男の血で我が家が汚されるのはごめんだ。 「でも、森の生き物たちはどうなるんです?」  嘉代子はたずねた。一度だけ挽回のチャンスをくれてやろうと思ったのだ。
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