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「トイレは突き当りの右側です」
部屋にトイレがない。
「どうぞ」
牧田が作業靴を脱ぐと足の臭いが鼻を突いた。
「失礼します」
隆敏も上がった。一間に流しがあるだけの部屋である。衣類は長押に釘を打ってハンガーにかけている。電化製品は小さな冷蔵庫だけである。部屋には不釣り合いな立派な仏壇がある。仏壇には花の他に菓子や果物が添えられている。位牌の名を見て驚いた。橘晃、息子の名である。
「その仏壇は?」
隆敏は指を差してのけ反った。
「すいません、勝手に晃君の仏壇を置かせてもらいました」
牧田は正座して畳に頭を付けた。
「牧田君は・・・」
隆敏は言葉にならなかった。沈黙が続いた。
「君は20年間晃のために人生を捧げて来たのかね」
「これからも続けていきます。それが私の人生に課された報いですから。ご両親から晃君を奪ってしまったことは、取り返せない。私に生ある限り祈り続ける、そして謝罪を続けることしか出来ません。申し訳ありません」
牧田は事故後初めて父親の前で謝罪することが出来た。
「頭を上げてください。牧田君お酒は?」
「酒煙草は一切断ち切りました」
「好きな女性ぐらいいるだろう?」
「いえ、女性が出入りする場所には行きません」
「毎日肉体労働をしているらしいが、辛いだろう」
「いえ、身体を酷使する方が楽です」
「毎週墓掃除をしてくれるらしいが、甲府までの電車賃もばかにならない」
「使い道がありません。稼ぎはありますから問題ありません。それでも少し残るので被害者の会に寄付をしています」
隆敏は涙が溢れてきた。こんな律儀な男を20年間も罵り相手にしなかった愚かさが情けなかった。
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