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蝉のうるさい教室。窓際の席には、学生時代、一度は聞いたことのある話題が投げかけられていた。
「お前らさー、いっつも一緒に居るけど、付き合ってんの?」
「え?」
「おん?」
振り向いたのは、窓際の席に座る女子と、その女子に話しかけていた男子。二人ともキョトンとした面持ちをしていた。
「いや、何その「は?」みたいな顔。だってそうだろ?距離感が暑苦しいんだから」
確かに二人の距離感は近く、リンゴ一個分と言ったところ。夏の真っ只中な教室では見てる方が暑く感じられるだろう。
「おいおいそー褒めてくれんなって!言っとくが告ったのは俺だからな?」
「私一度もOK出てないが」
二人のうち、すぐに調子に乗り出した男子が麗月(れいげつ)、そしてそんな麗月を容赦なく否定した方が如月(きさらぎ)だ。
「じゃあ付き合ってないんじゃん」
「なんだー、じゃあアタシが狙っても良い感じ?」
「どう?そこはオッケー?」
クラスの女子に投げかけられた質問を、麗月は横でスマホを弄る如月に横流しする。
「オッケーオッケー、良いんじゃない?学生なんだから存分に青春してきなよ」
如月は見向きもせずに答えた。
二人の会話には淀みがない。まるで長年の漫才かのような、熟練夫婦かのような、そういった慣れた空気感を感じる。話が盛り上がる時は基本、周りがちゃちゃを入れた時だ。
「と、如月は申しておりますが、麗月これについて何か言及ございますか?」
一人のクラスメイトが、再び麗月に尋ねる。麗月は他人事のように机に座って、ペットボトルのお茶を飲んでいた。
すると麗月はそのペットボトルを机に置いて、肘を着き、答えた。
「狙っても良いけど、相手にしねぇぜ?」
遊び人のような笑顔を貼り付けて、そこにもまた、麗月の慣れた様子を感じた。何となくは分かる、麗月はモテるんだろう。
「だとよ、諦めな」
「えーケチー!狙うくらいいーじゃん顔は整ってるんだしー!」
「顔だけじゃないだろ?ほら、ルックスとか運動神経とか性格とか雰囲気とか」
「性格を除いて全て当てはまってるから余計腹立つんだよなぁ」
「要は黙ってりゃ良いんじゃね?」
「酷くね?」
男子生徒、そして如月からの風当たりは強かった。確かに麗月は本来ハイスペック、性格がそれを吹き飛ばしている。
そんな会話をしたのが、その日の昼休みのこと。授業が終わり、部活が終わり、時間は辺りは夕陽に照らされる夕方頃。
「じゃーなー」
「連絡したら絶対返事ちょーだいよー!」
「あーはいはい、気が向いたらなー」
「行けたら行くくらい信用出来ないなそれ」
昼休みに話していたクラスメイト達と分かれて、麗月と如月、二人は同じ帰路を辿っていた。話題は先程に引き続き、浮ついた恋愛話についてのこと。
「もう俺は恋愛する気ないからね。だって、」
麗月は左手を自らの口元まで持ってくると、薄いリングにソッと口付けをする。
「俺ら前世で誓い合った仲やもんな?」
唇が垣間見えるのは薬指、そこには鈍い銀色の指輪……ではなく、うっすらとした噛み跡が刻まれていた。
人目見て分かる。それは歯型だ。
「…結局席は入れてないがな」
「ははっ、形はえぇんやって。死ぬ時まで一緒やったんやから今世でも結ばれたんやろ?」
二人の会話には淀みがない。お互いの方言も、話し方も、表情も、笑い方さえも分かっている間柄だから。
麗月はポケットに入っていた如月の手を取り出して、そこにもまた、慣れた様子でキスをする。如月も嫌な顔こそ浮かべるが、その顔はやはり慣れた表情をしていた。
「やけんまだOK出しんしゃいぇっつん」
「まだ?」
彼女らには前世の記憶がある。薬指の噛み跡も、お互いが前世で意図的に付けた物だ。
少し、昔話をしよう。
彼女らは当時、全く別の名前を名乗り、全く別の時代を生きていた。
「お嬢〜、髪拭いて〜」
広い屋敷の一室、机に向かっていた如月の元に訪れたのは、麗月。現代よりも長い髪が濡れていたことからも、風呂上がりなのだろう。
「お前……髪くらい自分でやれや、それか切れ」
「ヤ、長いまんまが好きやから。お嬢も切らんといてな」
「そりゃあどうやろうなぁ」
麗月は当然のように如月の膝へと寝転がる。仕方なく、如月はタオルを受け取って、いつものように拭き取ってやることにした。
「それよりお嬢〜、後で散歩行かん?美味い団子屋できたらしいんよ」
「良かぞ、隣町やけん着くとは午後になりそうばい」
「お嬢〜、頭痒い〜」
「はいはい何処だ〜?」
「頭頂部」
「禿げるぞ?」
「ハゲへんわ」
「まばい」
※まばい まだな
そんな二人の姿は、現世の姿とは似て非なる。
麗月は如月を「お嬢」と呼び、如月はその呼び名に相応しい物腰で、先程まで筆を握っていた。
お嬢様と召使い。彼女らは前世、そういった関係性を持っていた。とはいえ普段の態度からはそんな雰囲気、少しも見られない。
「なぁお嬢〜」
「ん〜?今度はなんや〜?」
理由は様々ある。一つはお互いがお互いのことを、友人のように扱っていたこと。もう一つは─────────
「好いとーよ、付き合うてや」
「……」
その言葉に、如月は珍しく言葉を詰まらせる。
そしてすぐ、迷いもせずに、その言葉を紡ぐに至った。
「じぇったいにお前とだけは嫌や」
「お嬢ひどーい」
如月はとても嫌そうに、まるでゴミでも見るかのような目で断った。
「だいたい節操ねぇんばいお前、普通仕えとー人間に髪拭かしぇんちゃろ、むしろ拭けや」
「だって拭いた事ないんやもん、それに俺拾われただけやし、仕えとる訳やないよ?」
「ならそんお嬢って呼び方やめれ、似合わん」
「っははっ、やーよ。その嫌がる顔見たいもん」
「はぁ〜……悪趣味め」
そう悪態を着く如月の髪を、麗月は勝手に弄ぶ。もはやその奇行にも慣れていた如月は気にも止めなかった。
「よう飽かんよなぁ、なんが面白かとかうちにはしゃっぱりだ。食いたかなら寝込みでも襲やあよか話なんに」
「んー確かにそれでもえぇかな思うたで?せやけど俺はアンタを惚れさせたいんや、嫌われたい訳やない」
「すらごと八百ばい、ヨダレ垂れてんぞ」
※すらごと 嘘
「ん」
如月は指で、麗月の口元に流れた涎を拭き取ってやる。
麗月の奇行には、ちゃんとした理由がある。それは前世の麗月が人間ではなくて、人ならざるモノである事が関係していた。
「"暁(あかつき)"ん血は特別、人ならじゃる魔ん者に絶大な力ば与える。全く名字ば返上したかところやなぁ」
「やとしてもアンタは無理やな、匂いがキツすぎる。一生籠ん中におらな生きてけん人間や」
如月の前世の苗字は暁。そして麗月は人外。召使いやお嬢様なんて綺麗なものではない、ある意味では身体だけの関係性……だったはずだ。
「……はぁ、しゃっしゃとした方が良しゃそうばい」
「夜逃げの準備か?やめときぃ、この家からは逃げられたとしても、俺からは逃げられへんし逃がさへんで」
「あ?誰がお前から逃げるって?」
麗月の獣のような眼光に、如月はケロリとした顔で答える。初めて、二人の会話が淀んだ瞬間だった。
「ん?…ちょい待ち、それやとちっと言葉おかしいで─────────」
「ユズラビ」
如月は麗月の前世の名を呼ぶと、麗月によく似た笑みを浮かべて、こう囁いた。
「結婚しようか?」
「は……─────────」
麗月は指を止めて、目を見開いて、言葉を失って……。
「……っわあぁぁぁぁ!!はっず!!アカン!!こらアカンばい!!」
そして如月は、絶叫した。
「は、はぁ?」
「お前よう普段からこげなて言えるなぁ?普通に恥ずか死するわ」
「ちょ、ちょい待ち、待ってっ?え……ホンマ……?」
「……」
あまりの動揺に、麗月が起き上がって、恐る恐る尋ねてみると、如月はそっぽを向いてしまった。
しかしその耳は、この上なく真っ赤に染まっていて、とても熱が篭っていることが分かる。その熱はやがてじんわりと、麗月の頬にも伝播した。
「……そっかぁ、そっかぁ!嬉しいなぁなんか!やっと想いが結ばれたって感じや!えぇなぁええなぁ!」
「しゃあしかねぇ…で?返事はどうなんの?」
※しゃあしかねぇ うるせぇな
「勿論、俺を拾ってくれた恩人やもん。妖怪は恩をその命で返すイキモンや」
麗月は如月の左手を引くと、薬指に唇を添えて、誓う。
「俺はお嬢と共にあれるんなら、ペットでもパートナーでもなるつもりや。改めて、これからよろしゅうなぁ?クエン」
如月の前世の名は、クエンと言った。
それからクエンとユズラビ、二人は暁家から駆け落ちし、生涯を共にした。その結果からなのか、今では如月と麗月という名を名乗り、友人という関係性を持っていた。
「よぅ人外が人間と添い遂げよーて思うたな、死ぬとにも苦労すんのに」
「自害くらい簡単やで?」
「アホンダラ」
つくづく呆れる……と言わんばかりの溜息を、如月は大きく零す。
「……うちゃ、一生じゃ足りひんくらいお前ば好いとるつもりや」
「……?」
「しぇやけん……今世も付き合うてぇや?」
如月は笑みを浮かべた。それは友人であったり、あるいは恋人、あるいはそれ以上の関係である人間に向けた、イタズラな微笑みだった。
「…!……りょーかい」
麗月もやはりニンマリと笑って、如月の左手の噛み跡に、ソッと口付けをして誓う。
「お嬢、結婚しようか?」
それに今度はくすりと笑って、如月は答えた。
「じぇったいにお前とだけは嫌や」
「え〜今世は一発合格で頼むでぇ〜」
「うちば口説き落とすには人生くらい見積もっといた方がよかぞ」
二人の会話は相変わらず淀みない。やはり昔と、何も変わらない。
「せんせー前世は含まれますかー」
「含まれましぇーん、告白からやり直しばーい」
「せんせーひどーい」
まるで長年の漫才のような調子で、熟練夫婦のような信頼があって、お互いのそれに慣れた空気が流れている。
彼女が告白したのは、彼が誓ったのは、一生で一度だけだ。
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