3人が本棚に入れています
本棚に追加
三
その日の当直、刑事課からは外川主任と私、そして各課の当番の勤務員は受付に集まって当直勤務に就いた。幸い大きな事件は今のところないけど、私たちには都合がいい。事件がなければ終わり、ではなくて、夜通し勤務をいいことに未明の下町を「攻める」つもりだったからだ。
日付けも変わった午前一時半、いつもなら交代で仮眠を取るところを私たちはそれを返上して夜の警戒に出ることにした。
「主任、この装備でいいんですか?」
用意した格好は普通にジャージ。自転車で警戒に当たるというのだ。ボディバッグに手錠と手帳は持っているけど、こんな軽装でいいのだろうか?
「ああ、むしろこれで十分」
主任は笑って答えた。
「過去の資料を見たら、源さんは本当に音に敏感らしい。発生の時間帯は午前3時から5時くらいまで、その時間に動いている人といって思いつくのは?」
主任の質問は以前多聞班長がよくいってたことを思い出した。
「新聞配達くらい……ですよね?」
「おっ、さすが多聞塾の塾生、でもな」
主任の集めたデータでは、新聞配達のカブの音でさえ怖がるそうだ。
「それで、自転車ですか?」
「そういうこと。自転車なら気づかれにくい上、静かに接近もできるだろ?」
「なーるほど、これなら警察官とはバレにくいですよね」
自身に貫禄がないことも考えたら、班長が回るよりいいかもと勝手に思っていた。
「それに、現場はクルマでは遭難するレベルの狭さだしな。さぁ、そろそろ出ようか」
「はい!」
〜
代理のデータで導かれたエリアは、海に近い旧市街。駅周辺は居酒屋などが数軒あるけど、それも0時までなので、それと終電を過ぎると人通りはほぼ無く、少し離れた国道を走る救急車のサイレンが聞こえるくらい街は静かになる。
私と主任は二手に分かれてジャージに自転車といういでたちで街を回ることにした。
警戒を始めて10分、30分、1時間……。泥棒が入るとすれば住んでる人が寝静まったころだろうと考え、周囲にある家の灯りを見ながら自転車を漕いでいると、午前2時を過ぎたくらいから辺りはほぼ真っ暗になり、都会の夜でも空を見上げれば星が瞬いて見える。
だけど、狭い路地を選んで動いていることもあって、源さんどころか人の影すら見当たらない。そもそも、毎日泥棒が発生しているデータもないので今夜は現れないかもしれない。ネガティブに考え出すと、私の気持ちはどんどん悪い方向に向かっていたその時だった。
「あっ!」
もう直ぐ夜が明けるまどろみの時間帯、睡魔に負けかけていた私はほとんど何も考えない状態で交差点に入ったところ、出合頭に右から衝撃を受け、自転車ごと転んでしまったのだ。
ガシャン!
「大丈夫ですか」
「イタタ……、はい」
街灯もない狭い路地、完全に油断していた。私は不意の出来事に何もできず、衝突した相手に無意識に謝っていた。
「ごめんなさいね、ごめんなさいね」
相手方となるのは初老の男性だった。彼は私の自転車を起こし、平身低頭に謝りながら私が大丈夫そうなのを確認すると再び自転車にまたがって進行方向にゆるりと走り去った。
ほんの一瞬に狙われた隙、ひとまずは私も相手も怪我をケガしなかったことは幸いだ。それからどれくらいの時間が過ぎたかは把握していないけれど、思考回路が止まっていた私の頭を主任からの携帯電話が強制起動させた。
「はい、早川です」
「今、どのあたり?」
「えーっと……」
私は周囲を見回すと、電柱の地番表示を見つけた。
「海岸町三丁目です」
「マジか?今、本署から連絡あって正に三丁目で忍込みの通報が入ったらしい」
外れた自転車のチェーンが復旧したように私の回路が戻ると、今さっき衝突した男性の風体がありありと頭の中で蘇った。
暗がりの中と眠りの世界から引き戻されたあの状態でも分かる。男はキャップ帽にマスクをしていたが、あの福耳は私が探そうとしているその人に間違いないーー。
「あの、私。さっき『ウサ耳の源さん』とぶつかったかもしれません……」
「なんだって!」
電話を離していても聞こえるくらいの声が静かな通りに聞こえたーー。
最初のコメントを投稿しよう!