ピアノの音ののちの静寂

1/1
前へ
/1ページ
次へ

ピアノの音ののちの静寂

 ――あいつの手、良いよな。と、思った。  ゴツゴツと節くれだった手だ。  見かけは男らしいが、優しくピアノを奏で始めてた。  ドキリッ! とした。  感情を乗せピアノの鍵盤を打ち込むたびに、動きある横顔は凛々しくて。    教室の窓から差してきた夕焼けは、奴の背後から鮮やかに照らす。  すると絵画のようにシルエットと化していくあいつは、気迫が殺気立った。  急に演奏を止め、椅子から立ち上がると、私の元にズカズカと歩いて来る。  刹那、私とあいつの周りの音が無くなった。  あいつが奏でたピアノの美しい音ののちの残響は消え、――静寂。  目と鼻の先、眼前まで近づくと、私の顎をくいっと持ち上げ、突然のキスをした。 「――ッ!」  すぐに離れた私の唇とあいつの唇。  まるで幻だったかのような口づけ。 「演奏料」  ひとこと告げると不敵に微笑って、あいつは言った。 「続きはまた明日」  颯爽と音楽室を出て行くあいつの背中を見送ると、へなへなと力が抜けた。 「ばかーっ! 返せ〜っ、私のファーストキスぅっ!」  唇が熱い――。  柔らかかった。  また交わしたくなる口づけ……。  じんじんと疼く胸の奥が、次はきゅうっと熱を孕んで鋭く痛んだ。  あんな自分勝手なケダモノ、許さない。  ――はず。  なのに、あいつの顔がチラついて離れない。  明日会えたら、またキスしてくるのだろうか?  次は私をあの男らしい手が抱きしめてくれはしないだろうか?  なんで?  期待してしまうの?  私はこんなの恋だなんて認めない。  あいつを好きになったなんて、あるわけないんだから。  次の日、私は音楽室の扉を開けた。  ただ、確かめたかった。この胸の高鳴りと痛みと疼きの正体を。  知りたかっただけだ。  扉の向こうで待つ、あいつがどんな顔で私を待っているのかってこと。         了
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加