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ハレンチな姉とピンチな弟
「ダメだー!やっぱり……書けない」
そう叫ぶと、桃介は机に突っ伏した。
持っていたマウスが、コロコロと転げ落ちる。
「書けない……書けない……書けない……」
同じ台詞が、お経のように口から漏れ出る。
「なんで、何も浮かばないんだ……」
そう呟くと、今度は激しく髪の毛を掻きむしった。
お察しの通り、浮かばないとはアイデアの事である。
パソコンに向かうが、全く筆が進まないのだ。
巷の出来事を検索しても、ピンとこない。
愛読している小説を読んでも、参考にならない。
映画やドラマを観ても、イメージが湧かない。
つまりは、底なしのスランプに陥ってしまったのである。
「何か、いい案が飛び込んでこないかなあ……」
そんな事を呟きながら、ボンヤリと戸口を眺める。
「桃ーっ!風呂だぞー!」
「おわたっ!ビックリした!」
飛び込んで来たのはアイデアではなく、姉の呪理だった。
バスタオル越しに、巨大なメロンがブルンと揺れる。
「だから、入る時はノックしろっていつも言って……な、なんてカッコしてんの!?」
思わず金切り声を上げる桃介。
姉のわがままボディを隠すのに、布一枚では明らかに役不足だ。
目のやり場に困った桃介は、咄嗟に両手で顔を覆った。
「フロ上がりに、バスタオル使うのは当たり前だろ」
腰に手を当て、のうのうと言ってのける呪理。
「いや、そうじゃなくて……なんで、そんなカッコで入って来るの?」
「バカやろ!なんも巻かずに来たら、アタシが変なヤツみたいじゃないか」
「いやいや、そのカッコも十分変だし!」
「わーたよ。めんどいヤツだな、全く……」
「わーっ!な、何脱いでんだっ……おかしいぞ、アンタ!」
ブツブツ言いながらバスタオルを剥ぎ取ろうとする呪理を、桃介が慌てて制止する。
毎度こんな調子である。
この姉には、羞恥心というものがまるで無かった。
腹が減ったと、桃介の食べかけを平気で口にするし
部屋が寒いと、桃介の布団に勝手にもぐり込むし
下着が無いと、桃介のパンツを履こうとする。
いつだったか、桃介が入っている風呂に平然と入って来た事があった。
当然、少年の方が慌てて飛び出したが、濡れたまま部屋に逃げ込んだため、しっかり風邪で寝込む事になってしまった。
二歳や三歳の幼児なら、まだ分かる。
相手はれっきとした大人──しかも女子大生なのだ。
姉弟とは言え、思春期真っ盛りの少年には刺激が強すぎるというものだ。
だが何度注意しても、この姉には「糠に釘」「暖簾に腕押し」「馬の耳に念仏」それから、えーと、えーと……と、とにかく無駄な足掻きでしか無かった。
「お、新作か?」
弟のパニックなどお構い無しに、呪理は机上のパソコンを見て目を輝かせた。
部屋から出ていく気は全く無いようだ。
「どれどれ、いっちょアタシが検分してやろう」
そう言って、桃介の肩越しにパソコンを覗き込む。
たちまち、頭がメロンの間に挟み込まれてしまう。
「い、いや、いいって!や、やめてよ!」
顔が真っ赤にしながら、逃れようともがく桃介。
タオルを通して、肌の温もりが伝わってくる。
「あ、あた、あたって……あた……」
「何、『あたあた』言ってんだ?」
「む、むね……むね……」
「むね……?ああ、なんだアタシのムネ揉みたいのか、ほらよ」
「ちゃうわーっ!!」
胸を突きつけられ、動揺のあまり関西弁が飛び出す桃介。
肩でゼイゼイと息をしながら、姉の顔を睨みつける。
「……なんだ?真っ白じゃないか」
全く意に介さず、モニターに目をやった呪理が呟く。
「こ、これは……今、アイデアを練ってて……」
咄嗟に、言い訳する桃介。
この姉にスランプだなんて言おうものなら、何を言われるか分からない。
「ははあ……」
呪理はしたり顔で呟くと、例のニンマ〜〜とした冷笑を浮かべた。
「アンタ……スランプだね」
鋭い!
鋭すぎる!
何で分かったんだ!?
「なるほど……ロマンスの神様に見放されたという訳か」
「放っといてよ!」
悟ったように頷く姉に、桃介は声を荒らげた。
「僕の小説は繊細なんだ!呪理ネェみたく、人を食べたり、血飛沫が舞ったりする下劣な話とは訳が違うんだ。何も分からないくせに、知ったような事言わないでよ!」
密着している体を押し返しながら、喚き散らす桃介。
八つ当たりなのは、百も承知だった。
だが一度外れたタガは、元には戻らない。
「ふーん、そっか……」
ポツリと呟く呪理。
意外にも、応戦してくる気配が無い。
それどころか、クルリと踵を返すと、何も言わずに出て行ってしまった。
後に残った桃介は、閉じられた戸をただ見つめるしか無かった。
( *`ω´)
「うわっ!ち、遅刻だあ!」
時計を見た桃介が、ベッド上で飛び上がる。
朝寝坊してしまった。
目覚ましかけとけよ、と怒られそうだが、未だかつて使ったことが無い。
いつもなら姉が、「桃ーっ!朝メシだぞー!」って起こしに来るからだ。
下手な目覚まし時計より、よほど正確なのだ。
それが、今朝は無かった。
なぜだろう……?
桃介の胸中に、昨日の出来事がよぎる。
勢いでつい、呪理の小説を悪く言ってしまった。
ジャンルも違うし、書き方が違って当然なのに、人格まで否定するような言い方をしてしまった。
あの後、姉は黙って部屋を出て行き、再びやって来ることは無かった。
傷ついたのだろうか?
いや、あの姉に限って、まさか……
でもそれなら、なぜ起こしに来ないんだろう。
やはり、怒ってるのかな……
くよくよと悩む桃介の目に、再び目覚まし時計が映る。
「と、とにかく、急がないと!」
制服とカバンをひったくると、階段を転がるように駆け降りる。
ダイニングには、食パンの香ばしい匂いが漂っていた。
テーブルには、すでに朝食の品々が並んでいる。
桃介は反射的に、姉の姿を探した。
「あら、おはよう」
爽やかな声と共に、女性がキッチンから出て来る。
黒いロングヘアに、薄化粧をした美女だ。
花柄のワンピースが眩しい。
「だ、誰!?」
思わず叫ぶ桃介。
一瞬、先日夢に出て来たユミさんが現れたのかと錯覚した。
「あらやだ、家族の顔を忘れるなんて、変な子ね」
そう言って、その女性はクスクスと笑った。
その言葉に、桃介は改めて女性を眺めた。
髪型や衣装や言葉遣いは異なるが、確かに見覚えのある顔だ。
しげしげと検分する少年の目が、豊満な胸にとまる。
桃介の目が大きく見開いた。
「まさか……呪理……ネェ……?」
恐る恐る尋ねる桃介に、その女性──呪理は小首を傾げて微笑んだ。
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