1 ライフルマン

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1 ライフルマン

 朝日奈まひろ一尉はスーツのVRモジュールを停止させる。  とたんに、叩きつけるようなヘリのローター音が聴覚に襲いかかり、絶え間ない振動が意識に蘇る。  狭いカーゴスペースは、無数の電子機器が無秩序に固定され、ケーブルが生き物のように這い回っている。  パワードスーツに降下パックを装着した彼女は、身体を折りたたむような体勢のまま、ほとんど身動きもできない。  資料映像では女の姿をしたものーーセイレーンーーは画面から消えたが、防衛情報衛星スカイアイは、ニューギニア上空の静止軌道から途絶えることなくその姿を捕捉している。  総理大臣による特別狩猟命令は発令済み。  スナイパーもすでに狙撃ポイントにあり、情報支援ドローンが配置につくのを待っている。  まひろの任務は、スナイパーの初撃によって動きを止められたセイレーンの、「脳と心臓を含む体重の30%以上」の生体標本を持ち帰ること。 >あなたが配置につくころには、私が勝負をつけているわ。「はじめてのおつかい」にはちょうどいいわね。  スナイパー、松浦ちずる一尉がテキストメッセージを送りつけてくる。 「降下地点まであと300秒」  カーゴスペースに同乗してスーツの最終調整を行っていた技術士官が、まひろのヘルメットを軽く叩き、そう言う。  >ライフルマン、質問はあるか。  これは、黒田三佐の音声通信。 「あのドライバー、被害者の男性はどうなるんですか」 >県警に情報は渡した。そこから先は彼ら次第だ。  セイレーンが人間に産み付けた卵は、2〜3週間で孵化する。孵化した幼体は、犠牲者の胸郭を食い破って出てきて、海へと帰る。  警察には、それまでに被害者を見つける能力も、身柄を確保する権限もない。 「つまり、見殺しですか」 >正義のヒーローになりたいなら、除隊して私立探偵でも始めることね。実現する力もない理想論を振り回したって、誰一人救えはしない。 「身体を張って戦うのは私だ。お前は安全な場所で御託を並べてればいい」  ちずるが、甲高い声で笑うのが聞こえた気がした。 >あら、いいのお? 私にそんなこと言って。 「降下地点まであと120秒。HUDにカウントダウンを表示する」 >ノイズで通信環境を汚染するな。命にかかわるぞ。  と、黒田三佐。  無駄口を叩くなと言われているのだ。  まひろは黙った。  95 94 93  視界の右上に投影された赤い数字が、刻々変化していく。  静かになると、初陣の緊張が襲いかかってくる。ちずるに、なにか憎まれ口を叩いて欲しくなる。  61 60 59  スーツと繋がっていたケーブルが、つぎつぎと切り離される。  背後で降下ハッチが開き始め、吹き込んできた風にあおられてケーブルたちが暴れる。  降下パックが起動する。ウィンチがまわり、ハーネスに力がかかる。身体が後方に引っ張られていく。  09 08 07    視界に技術士官の顔が映る。 「グッドラック」  親指を立て、そう言う。  まひろに、返事を返す余裕はなかった。  後方への加速。  降下ハッチを飛び出し、まひろは星空の只中に投げ出される。  放物線を描き、まひろは落ちていく。  眼下にひろがるものは、闇。                    
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