プロローグ

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プロローグ

 再生:資料映像  [North] 31°54′40″[East] 131°25′26″ 62/03/14 22:32:07 >新月の夜。人気のない、暗い海岸。 >太平洋の大波が寄せくる砂浜に、不意に、赤黒い物体がうちあげられる。自重で半ば潰れた、半径1メートルほどの半球。それは病んでいるようにふるふると震え、震えながらじわじわと陸へ向かって這い進んでいく…… >砂浜の先には、海外線と平行に走る国道がある。行き交う車のほとんどは、遠い街へと向かう大型トラックだ。 >波音と競い合うような、イグゾーストの轟音。暴力的な速度で行き交う、ヘッドライトの光。 >その光跡がぐにゃりと歪み、進路をそれ、悲鳴のようなブレーキ音を引きずりながら停止する。不健康に痩せた三十歳ほどの男が車から飛び降り、携帯端末のライトを路上の一点に向けて、驚きに顔を歪める。 >黒いブレーキ痕のすぐそばに、赤黒い半球が横たわっている。それは内側から裂け、裂け目から血のような液体が流れ出、そして、人間の女としか思えない何かが、そこから這い出ようとしている。 >ドライバーの男は混乱した顔をしている。(目の前の状況が理解を超えているからだ。疲れた彼の頭脳は、路上に横たわって震えるその姿を、交通事故の被害者としか認識できない) >彼は、携帯端末のライト機能を切り、警察の番号にコール、端末を耳に当てたとき、血まみれの女(彼にはそのようにしか認識できない)が顔を上げる。二人の目が合う。女の口が開く。 >次の瞬間、野太いホーンを鳴らして、巨大なトレーラートラックが二人のそばを通り過ぎる。つかの間の風。ヘッドライトの光。女の喉から出た声――セイレーンの歌――は、動画には記録されていない。確認できるのは、トレーラーが通り過ぎ、再び闇と静寂が訪れた国道で、ドライバーの男が耳から血を流しながら倒れる姿だ。 >女の姿をしたものは倒れた男に這い寄り、その頭を膝に抱き、見下ろす。 >その口が再び開く。顎の関節がどうなっているのか、人間の顔の原型をとどめていないほどの異様な開き方だ。そして、喉の奥から握りこぶしほどの太さの肉色の管が送り出されてくる。それは意識のない男の口をこじ開け、食道に侵入する。男の喉の内側を、丸いりんかくを持った何かがいくつも通り過ぎていく…… >やがて、女の姿をしたものは立ち上がる。いつのまにかその身体は乾いている。淡いベージュのスプリングコート、ウエーブのかかったかすかに茶色い髪、赤いローヒールパンプス。どれも自然なものに見える。違和感なく街の雑踏に溶け込んでしまえそうなほど自然に。 >女は倒れた男を振り返りもせず、確信に満ちた歩調で海沿いの国道を歩いていき、カメラの画角から立ち去る。 >そして、ドライバーの男もやがて立ち上がる。 >彼は周囲をぼんやりと見回し、耳を伝う血の跡に驚いた顔をし、そして携帯端末で時間を確認し、慌てた様子で自分のトラックに戻る。テールライトを光らせながら、トラックもまた映像から消える。 >新月の夜。人気のない海岸。轟くような波音が、いつまでも繰り返す……                
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