雪と神様とわたし

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 幼い頃、雪の神様を信じていた。  学校で流行る七不思議や幽霊の話に心を弾ませていたような子どもだったから、そういう存在に出会ってしまえば何の疑いもなくそれを受け入れたのだ。  日が落ちるのが早くなる中、楽しみと言えば雪が積もる事だった。両親は雪かきが大変だと嘆いていたけれど、私は祖父母と共に雪で遊んだものだ。屋根から落ちた雪のせいで勝手口が開かなかった驚きは今でも覚えている。積もった雪を固めて穴を掘るだけで、大人が入れるだけのかまくらが作れた。  雪が降って嬉しいのは、ソリや竹スキーで遊んだり、雪だるまや雪合戦をすることばかりじゃなかった。あまりにも雪が積もると、学校が休みになる。元気だけど学校を休むことを怒られないというのもあって、台風や大雪で休校になる日はいつもはしゃいだものだ。  私は外で遊ぶ方が好きだったけれど、同じくらい絵本を読み聞かせてもらう事や祖父母に言い聞かされていたこわいおばけや神様というものを信じていた。――学校を休むということは、それほどまでに私にとって非日常の筆頭だったのだ。  さて、小学校二年生の頃だろうか。その日も雪がたくさん降り積もり、学校は休みとなった。私は嬉しかったけれど、友達と遊ぶには家が遠く、私は一人で外に出て雪の中に顔を突っ込んだり、手ですくって齧ったり、一人でソリを持ち出して遊んでいた。  山と田んぼばかり広がる田舎では学校の友達と遊ぶのにも距離が遠く、積雪で自転車にも乗れず、自然と遊ぶのも一人になる。そんな中、ゲーム機も放り出して滅多に遊べない雪を楽しんでいた時、『彼』を見た。  降りしきる雪の中、雪を踏みしめる私の前に現れた彼は、白に近い髪を持っていた。黒髪ばかりの中で育った私は、彼を見た時思ったのだ。雪の神様が出た、と。  驚いて目を瞬かせた私はその時、だれ、と訊ねた。彼は面白そうに目を細めて、にっこりと笑って言ったのだ。 「ひみつ。……ねえ、僕も一緒に遊んでいい?」  私よりも少し背丈の高い彼に、私は夢中になった。彼は優しく、今にして思えば一人で遊ぶ私を心配して見守ってくれていたのだろう。私が雪玉をぶつけることはあっても、彼が私に雪玉を当てることはなかった。ノーコン、と囃し立てていた自分を叱りつけてやりたい。  彼は私が遊び疲れてもう家に帰るというと、みんなにはナイショだよ、と人差し指を立てて、私にあげる、と、可愛い雪兎をくれた。直ぐに私は自分でも作りたいとねだったが、明日、まだたくさん雪が残っていたらねという彼は引かず、その日は渋々と家に帰った。  帰った先で、私はもらった雪兎を冷凍庫に入れてくれとせがんだ。親は困っていたものの、その雪兎は三日ほど、我が家の冷凍庫に居座っていた。その三日間、私と彼は二人で遊んだのだけれど、彼は三日目の帰り際、もう遊べないと言い出した。  理由を尋ねると、明日には雪は溶けてしまうだろうからということだった。彼は少し寂しそうで、私はとても寂しかった。 「もう遊べない?」  尋ねると悲しくなって泣き出してしまった私を、彼は優しくあやした。ぽんぽんと頭を撫で、悲しくないよと言ってくれたけれど、私の問いに返事はしてくれなかった。  だから、彼はきっと雪の神様だったのだと思っていた。 「そんなこともあったわねえ。あんた、急に変なこと言うもんだから」 「大慌てで熱計ったよな」  久しぶりの大雪に、母と兄がふと昔のことを持ち出して笑った。子ども特有のイマジナリーフレンド的なものだと思ってくれているのが救いだと思う。 「うるさいな。私にとっては本当のことなの」  むすっと言うけど、実際すわ不審者案件かと心配されるところだったのは確かだ。とはいえ、あれは空想などではなかったと思う。お兄さんは私の知らないことを沢山話してくれた。天気のこと、山にいる動物たちのこと、春の雪解けのこと……。  彼が髪も肌も殆ど白でなければ、そして祖父母が「きっと山神さまだろう」と取りなしてくれなければ、私は態度を硬化させるばかりだっただろう。けど、祖父は「お前は優しくしてもらったんだなあ。でも、自分だけの秘密にしておきなさい。山神さまもきっと静かに暮らしたいだろうから」と更に言葉を重ねて、私を慮ってくれた。  そうじゃなきゃ、わんぱくだった私は知っている人間全てに彼のことを言いふらして、そしてきっと白い目で見られていただろうから。 「……久しぶりの雪だし、散歩でも行こうかな」  あの日も、こんな風にしんしんと雪が降り積もっていた。落ちてくる雪の一つ一つが全ての音を奪うほど静かな景色を思い出し、私は兄のウィンドブレーカーを拝借して外へ出る準備をする。 「マジかよ。元気だなあ」 「お、外に行くのか? 気をつけていけよ」 「そんな遠くに行くわけないでしょ……」 「携帯は持って行きなさいね」 「はいはい」  心配の声かけはするものの、特に引き留められることもなく家を出る。既に辺りは真っ白で、屋根の下から一歩でも出れば、長靴の下でぎゅむ、と雪が圧縮される音がした。  風邪は引きたくないから、傘を差して歩き出した。  傘の上に落ちる雪がさらさらと落ちる音を聞きながら、記憶をたぐる。  あの日、彼と雪だるまを作った。  幼かった私は、顔を持ち上げてのせることができないほど雪だるまの身体部分を大きくしてしまって、一緒に遊んでくれていた彼が見かねてやってくれた。石ころを見繕うのも、木の枝も、全部彼が教えてくれた。  あれ? 私でかい雪玉しか作ってなくない?  ……。とにかく、あれが雪の神様じゃないっていうなら、彼は一体誰だったんだろう。  一回きりの出会いだった。  昔はもっと積雪量がすごかったと聞くし、小さい頃は確かにかまくらなんて屋根から落ちた雪の山を掘るだけでできそうな程積もっていた覚えがある。でも、それでも毎年のことじゃなかった。  年を経る毎に『積もるかな』程度になり、そのうち『道は凍るだろうけど積もるほどじゃないだろう』になった。朝に積もったとしても、昼には溶けていた。  だから、連日の雪と降雪量で警報が出たり、流通が殆ど止まるほどになったのはあれ以来のことだ。  昔の記憶をなぞりながら、ぎゅっぎゅっと雪を踏みながら歩く。こんな田舎のこんな雪の日に車を走らせるのは長距離トラックか地元の人くらいだろう。  さむ……。  ひゅう、と前から風がふいて、傘を傾けるも雪が入り込む。唇に触れた雪の冷たさにぷるぷると身体を震わせた。  もう一回会ってみたいとは思っている。でも、会ってどうしたいのかは分からない。ただ、嘘じゃなかったんだと思いたいだけなのかもしれない。  もし雪の神様だったとして、こんな私欲に塗れていたらきっと会えないだろうとも思うのに、足は止まらない。  風が止んで、ふと傘を差す角度を戻した瞬間、彼はそこに立っていた。 「あ」 「やあ、久しぶり」  田んぼの真ん中を流れる川の上。というか、橋の上。  記憶と変わらないままの顔で、彼が立っていた。 「え、え?! ほんとに?!」  白い髪、白い肌。目はそんなにしっかり見えるわけじゃないけど白じゃないみたいだ。  そうそう、着ているのは着物だった。着物は白くなくて、紺の着物にオリーブ色? っぽい羽織を着ていて、黒い帯をきっちり締めている。小さい頃は何も思わなかったけど、今見るとなんて寒そうなんだ。  彼は寒さで縮こまる様子もなく、それぞれの着物の袖に手を突っ込んで腕組みするようにしていて、私を優しい顔で見ていた。  やっぱり、全然怖くない。  でも、寒がることもないばかりか、着物という装いにもかかわらず足下が普通に雪駄? なのが違和感がある。おしゃれは我慢ってレベルじゃない。  それに、今はちゃんと雪を踏みしめてるけど、歩いてきたはずの足跡もない。  大体、傘を傾けるまでは誰もいなかった……はずだ。 「……やっぱり雪の神様じゃない???」  私が歩いて近寄り、車一台が通るのがやっとなほどの橋の上で無遠慮にじろじろと見た挙句にそう言うと、彼はふは、と笑った。 「なるほど、それは面白いね」 「んで、やっぱり答えてくれないんだ」 「そもそも本来は聞いちゃいけないんだよ。おじいさんに聞かなかった?」 「……?」  はて。 「まあいいや。それで、こんな日に外に出てどうしたの。危ないよ」  記憶を辿ろうとした矢先新しい問いを寄越されて、私は面食らった。 「だってあなたにはこういう日じゃないと会えないんじゃないの?」 「そうなの?」 「聞いてるのはこっちなんですけど。……だって、前もこんな日だったし……」 「子ども一人で雪の中は危ないから」  それはそう。 「僕に会いたかったの?」 「う……そう言われるとそうでもないような、会いたかったような……ちょっと分かんない……」  楽しげな彼に、私は素直に言葉に詰まった。それでも、彼はにこにこと笑んでいる。 「ふふ。……流石にもう雪遊びはいいようだ」 「あ、うん。ってか! 傘入って」  ふと彼の肩に雪が積もり始めているのに気づいて、私は傘をひょいと持ち上げて彼の頭が傘に入るように動かした。  周囲に家はない。田んぼしかない。足跡はない。今現れたかのように雪に濡れることも、塗れることもない彼に、やっぱそういうことだよね、と納得する。  でも、彼は目を丸く見開いて、きょとんとして、酷く人間らしい仕草をした。 「おやおや」 「え、こういうのもダメだったり?」 「いいや。笠地蔵の気持ちが分かったよ」 「なにそれ」 「お礼に君を極楽浄土へ連れて行こうかな」 「は? 『死ぞ』ってこと?!」  どゆこと?! 怒ってんの?!  ぎょっとする私に、彼が笑う。 「あはは! 昔話の冗談は通じないか」  ちょっと分からなかったけど、どうやらからかわれたらしい。  納得いかないなと思っていると、穏やかに笑みをたたえて私を見下ろす彼と目が合った。  あ、目は金色だ。  いよいよもってコスプレでもない限り見ることのない目の色だった。私が知らないだけで、もしかしたら世界のどこかにはいるんじゃないかっていう、茶色をすごく明るくしたような色だった。 「次に君が僕のことを思い出したとき、挨拶に行くよ」 「う、うん?」 「その時が来ても、来なくても。健やかでいてね」 「ど、努力します」 「あはは。良い返事だ」  じゃあね。  そう言われた瞬間、ふっと意識が切り替わる感覚があった。 「んぇ?」  やべ、よだれが垂れる!  そう思って反射的にすすったとき、兄の声がした。 「起きたか? ったく、耀雪(あきゆき)の服べちょべちょにすんなよ」 「いいよ別に。よく眠れた? 彩(いろは)ちゃん」  そこでがばっと身体を起こす。あったかいなと思っていたら、どうやら私は耀雪くんにぴったりとくっついていたらしい。 「ご、ごめん! 耀雪くん」  耀雪くんは近所の人のお孫さんで、いつも夏休みのお盆の時期か、年末年始に里帰りするご両親と一緒に帰ってくる男の子だ。二歳差の私たち兄妹の、丁度間の年齢。普段は都会にいるからなのか、単に彼のセンスがいいからなのか、ちょっとした髪型だの服装だのが洒落ているので私の憧れの存在だ。  どうやらこたつで寝落ちていたらしい。 「い、いつ来たの?」 「ちょっと前だよ。寒かったからおばさんにお茶とお菓子もらって食べてた」 「もっと空いてるところに入れば良かったのに」 「耀雪が来たときには皆こたつに入ってて場所がお前の横しか空いてなかったんだよ。そこが一番足も伸ばせるし」 「申し訳ございません!!!!!」 「あはは。寝言言ってたけどどんな夢見てたの?」 「え!」  耀雪くんに笑われて、私は兄が持ってきてくれたお菓子とお茶に手をつけようとしたのを「これは俺の」とはたかれつつ動きを止めた。  夢。夢か。見てたなそういえば。  すごく懐かしい夢だった。昔の。雪の神様の。  でも、おかしくないか? だって、 「……耀雪くんにそっくりな、雪の神様の夢……?」  穏やかな表情の耀雪くんと、さっきまで見ていたはずの彼はすごく似ていた。 「僕に?」 「……雪の神様は真っ白だったけど」 「お前またかよ。なんか前もそんなこと言ってたことあったな」 「あんたは本当に耀雪くん好きねえ」  母がお茶とお菓子を持ってきてくれた。私はちゃっかり手をつけながら、余計なことを言うなよと母に切に願った。そりゃあ憧れてるんだから好きだよ。 「へー、じゃあ両想いだね」 「へ、」 「お前マジか」  くすっと笑った耀雪くんが、ぎょっとする兄を尻目に嬉しそうに私を見る。  ただでさえ寝顔を見られていた可能性が高いのに、寝起きの顔まで見られている。それを恥ずかしがる余裕はなかった。  どん、と心臓が跳ねた。 「あ、あれ? そういえば耀雪くん、ウチに来るの久しぶりじゃない?」 「いつも彩ちゃんたちが遊びに誘いに来てくれてたからね」 「えっえっ」  雪の神様が言ってた。思い出したら挨拶に行くよって。  あれ? 雪の神様って本当に耀雪くんみたいな顔だったっけ? 耀雪くんが雪の神様の顔に似てるんだっけ? 「まだ寝ぼけてんのか」 「ちょっとお兄ちゃん黙って今いいところだから」 「なんの???」  雪の神様の顔は昔見たのと同じだった。姿が変わってないままだった。  ……耀雪くんは昔から知ってる。じゃあ、耀雪くんが雪の神様に似てるってことになる。 「え……?! もしかして耀雪くんの『存在』を『入れ替えた』の?!」 「悪ィな耀雪。コイツ寝ぼけてるわ」  私が叫んだ瞬間、兄が私の頭をはたいた。中々に容赦のない鋭さがあったものの、私は大真面目だ。 「昔もこんな感じで寝ぼけてたんだよな多分」 「私が大雪の最中に外で急に寝こけていたと申すか」 「普通、寝言は寝てるときにしか言わないもんだけどな」 「あはは。彩ちゃんは相変わらずだね」 「耀雪くん?! なんでもいいけど否定して!! 最悪私が寝ぼけてても良いから!」  兄の手を押しのけて耀雪くんを見る。彼は相変わらず優しげに微笑んでいるばかりで、ちっとも返事をくれなかった。 「ええ? うーん……じゃあ、『入れ替え』てはないよ」 「じゃあ?! 『てはない』?!」  気になる言い方をする耀雪くんに、私は彼の肩を掴んで叫んだ。 「これでも真面目なんだよ! お願いだから意地悪しないで!」 「どう見てもお前の暴走に被害を被ってるのは耀雪なんだよ」  直後飛んできた兄の手をまともに食らい、痛がる私を耀雪くんが撫でてくれる。そして、「大丈夫?」と心配しながらこっそりと囁いた。 「気になるなら、彩ちゃんのおじいちゃんに聞いてみる?」 「それってつまり『確定』じゃないですかー!!!!」 「うるせえ!」  パン! と小気味よい音が三度鳴ったのは言うまでもなかった。  ……その後おじいちゃんから「耀雪くんを困らせちゃいけないよ」とド正論で窘められたけど、どう考えても困らせているのは耀雪くんで、困っているのは私だと声を大にして言いたかった。堪えた私は偉いと思う。 「『耀雪』は元々存在してなかったから、別に『このこと』で誰かが代わりに消えたとかじゃないよ。だから思い詰めないで」 「耀雪くんこそさっと否定してくれればいいのにそうやって私の記憶に沿った物言いするから、私が頭の心配されるし自分でも心配するんだよ???」 「まあ、なかったことにされるのはそれはそれで寂しいから……」 「思ったより我儘な理由だった!」  数日後、耀雪くんが帰る日にこっそりとそう教えて貰ったけど、それが私に寄り添ってくれる言葉なのか、本当のことなのか、私が知ることは終ぞなかった。
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