そのVは時に静かでやかましい

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 大学近くにあるカフェは昼時を過ぎたせいか客もまばらで、静かだった。  しかし、そんな静けさを打ち消すのが目の前にいる彼だ。 「やかましい……」  私のその言葉に恋人である望(のぞむ)は、いつも嬉しそうに笑う。  そもそも私はうるさい場所も、うるさい人も、得意ではない。  むしろ嫌いと言ってもいい。  関西特有の笑いもノリも嫌いな、珍しい関西人なのかもしれない。  嫌いにもかからず、私がこうして関西弁なのは生粋の関西人である両親から受け継いだ血がなせるものなのだろう。  元々このカフェは私が珍しく静かにゆっくりと、誰にも気を遣うことなく過ごせるお気に入りの場所だった。  それなのに気づけば望が当然のように私の向かいに座るようになっていた。  私のため息に気づいた望はテーブルから少し身を乗り出すようにして、心配そうに私の顔をのぞきこんでくる。 「大丈夫やって。心配し過ぎやろ」  望はムッとした顔になったかと思うと、握りこぶしを自分の胸元にあてた。正確には握りこぶしではないのだが、力が入りすぎているせいでこぶしになってしまっている。 「もう、おにぎりみたいやん。それ」  私に指摘に望は握っていた手のひらをゆるめて嬉しそうに笑ってみせた。 その様子がうまく握れたおにぎりを見せようとしている子どものようで。 「可愛いなあ」  私は笑いながら、望の手の甲を子どもの頭を撫でるようにグルグルと円を描くように撫でた。  すると望は顔を真っ赤にして、あわてた様子で手を動かし始めた。  ――香織の方が可愛い!  ――急にあんなことするからびっくりした!  ――とにかく俺よりも方がずっと可愛い!  ――もう本当好き! 可愛いすぎる!  懸命に動かされる両手はぐちゃぐちゃで。  何が言いたいのかわからないが、希の表情から十分すぎるほどに伝わってくる言葉の数々に、今度は私が顔を赤くする番だった。  手を動かしながらひとりで必死に話す望と手話で話す私。  そんなふうに見えているだろう。  実際、私は耳が聞こえない。  けれど望がうるさいこともまた事実だ。  あの日いきなり私の向かいの席に座って、親指と人さし指でつくったVの字を必死に開けたり閉じたりしながら、不器用な「話したい」を伝えてきたあの日から、ずっと……。 「やかましいねん。望は」  そう伝えるかわりに私はあの時の望と同じように喉の前で親指と人さし指でVの字をつくって、ゆっくりと前に出しながら指先を合わせてみる。  生まれて初めて「好き」と言われたのかと。  ほんの少しだけときめいたことは、望にはまだ内緒だ。  けれど私の言葉を見るなり、顔を真っ赤にしてテーブルに突っ伏してしまった望を見ると、そのことを知られる日もそう遠くはなさそうだ。
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