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『────人間なんかきらいだ』
『欲深くて気持ち悪い。いつもおれを傷付ける』
『おれは聖獣なのに、あいつらのせいでこんなにも無様だ』
『逃げないと。人間に、これ以上を許しちゃいけない』
今の俺と同じ、二度目の俺の幼い声が脳裏に蘇る。
『だっておれは、聖獣だから────“約束”が、まだだから』
唇を噛み締めて咳を堪えると、合わさった唇同士が吐き出した自分の血でぬるりと滑ったかと思えば、今度は突っ張る様な感触が気持ち悪くてまたすぐに口を開ける。
浅い呼吸が吐き出される薄く開けた唇の隙間。痛くて苦しくて、辛うじて流れずに目の中で留まっている涙のせいで目の前が霞む。
「だ、大丈夫ですか?」
「っ、────さわるな!!」
突如、目の前から伸ばされた手。俺に後ろから捕まった状態の子供が振り返りながら、左手をこちらへ伸ばしてきたのだ。
目前に迫った人間の手に驚いた俺は、咄嗟に拘束を解いて子供ごと振り払った。
振り払ってしまった。
────爪が出しっぱなしな事など、すっかり忘れて。
「殿下……!」
顔の右半分に大きく走った爪痕からは、一瞬遅れてじわり、直ぐにトクトクと赤色が流れ出す。
「ぁ………、っ」
子供を脅しではなく本当に傷付けてしまってから、ようやく聖獣としての本能が少しだけ薄まり、サッと子供から距離をとって俺は窓際へ背を張り付いた。
確か二度目の人生では、この後窓を割って逃げ出した。
子供の顔から血が出ても、とにかく人間が多いこの場所が怖くて、苦しくて、ろくに罪悪感を感じることも無くその場を後にしたのだ。
だけど、今の俺は人間だった頃の記憶がある。それも平和な日本という国の、安全な都会での。紛争に巻き込まれることも、野生動物に脅かされることも無く、本当に平和に暮らしていた頃の。
無理だった。子供の顔を傷付けておいて、この場から逃げ出すなんて。いっそ、このまま人間相手に罪悪感なんて感じずに放っておけたらどれだけ楽だったのか。
けど、人間としての記憶を取り戻した今の俺がそれをしたなら、それはもう俺じゃない。
十八年積み重ねてきた俺という人間は、嘘ばっかり吐いてたし性格だって良くなかった。……だけど少なくとも、こんな風に誰かを傷付けて、無責任にその場を逃げ出したりできるような奴じゃ無かった。
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