─第二章─約束をしよう

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* * *  ……あぁ、不機嫌だ。  ギルバートは思わず苦笑を漏らした。 「遅かったな」  タシン、タシン、と断続的に出窓付近の壁へ打ち付けられる青みがかった白銀色の尻尾は酷く不機嫌そうだ。光の加減で青にも紫にも煌めくタンザナイトのような瞳は大きく、形はネコ科の聖獣らしくややつり上がっている。ただ、心做しかいつもより目尻も眉尻も釣り上げられているように見える。  縦に割れた瞳孔、不満を訴える視線。現在の少年の姿は帰りの遅い主人に腹を立てる飼い猫そのものだろう。しかしその不機嫌も、この時間までずっと自分の帰りを待っていたが故だと正しく理解しているギルバートには、それが可愛らしく見えて仕方がない。 「すみません」  謝罪は本心だ。しかし、どうにも嬉しさが勝る。  おそらく少年はそれが分かったのだろう。尻尾を打付ける寸前でぴたりと止め、仕方がなさそうに溜息をつくとぶんっと横へ大きく揺らして紛らわせたようだ。 「また断ったそうですね」 「…………」  少年は数秒ギルバートを見詰めるが、すぐにぷいっとそっぽを向いてしまう。が、尻尾はくるりん、くるりん、と上下に動いているし、耳は時折ぴくぴくと震えている。聞いてはいるようだ。  ギルバートはここ暫く、元々使っていた自室を放置し、この部屋で少年と生活している。  朝日とともに少年と起き、食事を摂って出掛ける。そして帰ったらまた一緒に食事を取って、2人で同じベッドに並んで寝る。ギルバートは新しく始まったこの生活を気に入っていた。  ギルバートの朝の習慣から減る事といえば、起床時間を知らせる侍従の訪問と必要も無いのにされていた着替えの手伝い、それから部屋に準備される朝食くらいのものだ。元々ギルバートは起床も着替えも一人で出来たし、むしろ手伝いの必要性に疑問を感じていたくらいで、無くなったところで何の問題にもならなかった。  ただ、朝食の準備だけは部屋の外に持ってくるよう頼み、それをギルバートが毎朝直接受け取って部屋へ戻っては少年と2人で腹に入れている。護衛は一人扉横に待機させるが、給仕は付けない。護衛だって仕方無くだ。  少年はギルバート以外の人間を嫌っていた。  ギルバートは当初、給仕を必要とするようなちゃんとした食事を用意した事があった。少年は人が近くに来るのを嫌がったが、首輪を外された際と同様途中までは我慢できているようだった。  ギルバートはその様子だけでも、これでは落ち着いて食事も出来そうにないと、次回からは一先ずいつも通りに戻す事を決めていた。  しかし、そこで給仕をしていた男が警戒をあらわにする聖獣を前に、緊張からか手を滑らせて真っ赤なベリージュースの瓶を割ってしまった。弾かれたように牙を剥いて取り乱した少年をギルバートが取り押さえて宥め、やらかしてしまった給仕の男は護衛が半ば引き摺りながら避難させる事になったのだ。  傍に控えられない給仕など、ほぼそこに居る意味は無いだろう。かわりに、給仕が無くても簡単に食べられるメニューを頼んで今に至る。  今でこそ、些細な事で誰彼構わず攻撃することは無くなったが、決して少年の人間に対する警戒心が無くなった訳では無い。  護衛中、目が合っただけで威圧を食らったと震えた声で宣っていたのは誰だったか。曰く、睨まれる訳でもなく、しかし確かに威圧を向けられながら真顔でじっと見詰められたのが余計に怖かったのだとか。  ただ、そんな中で少年が自分にだけ気を許してくれている現状は、ギルバートに多大な幸福感を与えてくれたのも確かだった。
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