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II.人間のあたたかさ
『人間は弱くとも狡猾だ。出来るなら関わらないほうがいい』
*
「僕は名前以外自分のことが一切わからないんだ」
数日過ごしてみると、パーヴは記憶喪失、というものに罹患しているようでした。
「いや、病気ではないのだけれどね? ここに来る以前のことが何も思い出せないんだ」
パーヴに話を聞くと、人間というものもわたくし達と同じように家族を作り、どこかの家に住んで暮らすようでした。彼は12歳かそこらの年齢でまだ子供です。
「わたくしはパーヴを人間の郷に帰したいです。しかし、この幻霧の湖と人間の郷の間は冬の間は大きな氷に覆われて行き来することは出来ません」
パーヴの怪我は幸いにも早くに治りそうです。多くの血が出ているように見えましたが、見かけよりも酷くはないようでした。
しかし、この冬の間はパーヴと共に暮らす他ないのです。この小屋から追い出せば、寒さに弱い人間はたちまち死んでしまうのですから。
(折角助けた命を放り出すのは勿体無いと思います)
「ねぇ、リアトリリアさん。お願いがあるんだ」
「はい」
パーヴは男の子にしては少し長めの肩まである髪を、後ろで一つに結んで欲しいといいました。思えば、彼の身を清めることも、小屋まで運ぶことも、湖の動物達が手伝ってくれたので、彼に触れるのはこれが初めてでした。黒水晶の髪は夜の闇のように暗く、神秘的な色をしています。
(温かい)
湖の動物達はわたくしと共には居てくれるけれど、言葉を交わして寄り添うことはできません。
特に冬の間は小屋を温めるために置いている火を怖がってわたくしに近づくのはごくごく稀なのでした。
「出来ました」
「ありがとう」
他者と共に暮らすのは、おじいさま以来でした。
わたくしは、ずっと酷く寂しかったことを思い出します。
(関わってはいけないのに)
言葉を放つと、返ってくる。そんな単純なことが、わたくしにはどうしようもなく沁みたのです。
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