第1部 美しき日々 1

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第1部 美しき日々 1

 その時―――  松岡は成瀬が申し出た休暇願を気にも留めなかった。「Y町まで人に会いに行く」と言われた時は『誰だろう?』と思ったが一日だけだし、近々実兄の長男――― すなわち実家の旅館の跡継ぎが古民家の視察に訪れる準備に追われていた為、深く追求せずに快諾した。 「その日は町田さんに来ていただくよう頼んでおきます」そう言われた時には『また、あの おばさんと仕事をするのか』とガックリきたが、その時見せた成瀬の顔――― 申し訳なさそうな不安そうな表情は、それに対するものだけではなかったんだと、後日後悔するのであった。  成瀬不在の日―――  身構えていた松岡だったが、二度目の町田とは そのうち気心が知れ、仕事がやり易かった。そして、午後には村長が視察の打ち合わせにやって来て、自分の企画が実現の方向へ動き出したことを喜び、仕事以外のやりがいや己の存在価値を見い出して充実感を得た。 「またいつでも呼んでくださいな」そう言い残して帰って行った町田を診療所の出入り口まで見送った松岡は、西の空に傾く太陽に向かって大きく伸びをした。成瀬不在の一日も無事終了。もうじき彼も帰って来る――― とニヤついていたら、帰宅の途につく町田が電動自転車から降りて誰かと話している。目を凝らせば相手は成瀬で、手を振って別れると こちらへ向かって来るではないか。  帰宅途中に立ち寄ってくれたんだと嬉しくなった松岡は、彼を迎えに歩み寄る。そして、顔が見える距離まで近づくと「お疲れさん」と声を掛けた。成瀬はと言えば、少し疲れた様な、しかし安堵するような表情を見せたあとで「今日はすみませんでした。変わりなかったですか?」と尋ねた。 「患者さんが少なくてね。町田さんがいろんなところを掃除してくれたよ」 「あの人、目が行き届きますもんね」 「それを【お節介】とも言うけど」 「あ、ひどい」 「だって、これ見よがしに掃除するんだもん」 「そんなことより、ちょっとお茶に付き合ってくれませんか?」 「君から誘ってくれるなんてめずらしい。じゃあ、飛び切り美味しいコーヒーを淹れてあげよう」  そう言うと、松岡はエスコートするように成瀬を休憩室へ招き入れたのだった。  豆を挽き、お湯を沸かしている間、成瀬は休憩室のソファーに座って松岡の所作を眺めていた。彼と再会して1年経つが このように見つめられたことがなかった松岡は嬉しさ以上に心配になってきた。もしかして心配事でもあるのか? と、不安感が増してきた彼は淹れたてのコーヒーをテーブルに置くと元恋人が話すのを待った。  成瀬は「いい香りがする」と うっとりしてカップに唇をつけた。そして「美味しい」と2~3口含んだ後、おもむろに話し始めた。 「今日、『人に会う』なんて言いましたが、実は病院へ行ってきたんです」 「病院?それって誰かのお見舞い?」  その問いに、成瀬はカップの中の漆黒の液体を見つめながら 「見舞いではなく受診したんです」 「受診っ! どこが悪いの? どこの病院へ行ってきたの?」  思ってもみなかった告白に松岡は声を上げ、波打つコーヒーを危うく零しかける。 「この前、検診があったでしょう? あの時の胃透視で異常を指摘されて、町立総合病院へ胃カメラを受けにいったんです。そうしたら『胃がんの疑い』があると言われて……」
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