第2部 四月の魚はワルツを刻む 2

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第2部 四月の魚はワルツを刻む 2

 松岡の迎えを待つ間、成瀬はテーブルの上で腕を組んで悶々としていた。  彼は絵里名嬢からの呼び出しを どう感じたことだろう? 夜分に飲んだくれた部下(一応、恋人)を『連れて帰ってくれ』と無茶ぶりされたにもかかわらず快諾するところが彼の懐の深さを物語っているが、十中八九不審に感じているはず。『二人の関係を暴露したのか?』と憤慨した挙げ句、付き合って早々別れを切り出されたんじゃシャレにならない。しかも、いま往診の帰りというではないか! なのに、自分はお気楽に酒なんか飲んで。もう駄目だ、また愛想を尽かされる――― そんな不安に駆られていたら急速に酔いが回り始め そのまま打ち臥してしまった。そして、時間が流れていって……  しばらくするとガラガラと引き戸を開ける音がして、人が入ってくる気配を感じた。そして、出迎えた大将と和やかに会話する声が聞こえて、最後に「成瀬君は?」と自分の名を呼ばれた。ああ、先生が迎えに来た。開口一番謝らなければ…… そう思って顔をあげると、丁度松岡がこちらへやって来るところで、目が合うや否や「大丈夫?」と心配される。が、目の奥で酔いつぶれている姿を笑っているように見えて、情けなくなってきた成瀬は平謝りした。 「すみません、わざわざ呼び立てたりして」 「いやいや。丁度往診の帰りだから送って行くよ」 「久しぶりに飲んだら思いのほか酔いが回って。それを心配した絵里名さんが先生を……」 「ほんと、顔が赤いし目つきもぼんやりしている。気分悪くない? 歩けそう?」 「はい、大丈夫です」そう言いながら席を立とうとした成瀬だったが、体が大きく傾いて松岡から支えられる羽目に。 「一体どんだけ飲んだの?」 「えっと…… お猪口4杯くらい」と、若干少なめに申告したら 「昔はもっと強かったよね。いつだったかな、居酒屋でビールや焼酎を飲んだ後、次に向かったバーでカクテルを何杯か飲んだことがあったけど全然正体をなくさなかった。やっぱり胃切したら酔い易くなるんだな」  突然、松岡が付き合っていた頃の話を披露したので、成瀬は口をあんぐりさせた。そんな大昔のことを鮮明に覚えていることが大将やおかみに耳に届いたら二人の関係を怪しまれる――― そう心配になって松岡の肩越しに二人の様子をうかがえば、案の定大将の瞳が大きく見開かれているではないか! 「お二人は昔同僚だったって聞いたけど、記憶力が凄いなぁ」 「僕が赴任した1年後に成瀬君が就職してきて、あの当時男性看護師が珍しかったんで彼を誘ってよく飲みに行ったんです。まだ若かったせいか結構な酒豪でしてね、いまだに記憶に残っています。僕の転勤で音信不通になってしまったけど、20数年ぶりに再会を果たして嬉しいし心強い限りですよ」 「なるほど、昔の飲み友達だったってわけですか」そう言って納得する大将に「じゃあ、送り届けてきます」と挨拶した松岡は成瀬の肩を抱き、その様子を女将と並んで見ていた絵里名嬢に「連絡してくれてありがとう」と会釈したのだった。
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