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静けさが染み込む図書室にて
「カホ、今日は来てくれてありがとう」
誰もいない図書室で、アミはひっそりと話す。まるで兎が鎮魂歌を口ずさむように。
「いつもはあんなに騒がしい学校も、夏休みの夕方になると一気に静かになるんだね。不思議」
エアコンもなく、汗ばむ二人。小さな声だけが音になる。
「なんだか、小鳥のさえずりだって聞こえそうね」
「そうだね」
誰もいない図書室だから、数多ある本は一冊も開かれていない。物語は全て閉じられている。
「カホ、私は静かな空間が好きよ。だって、人間であることを忘れられるから」
「アミは煩わしさが嫌いだって言っていたもんね。うるさい生徒も、文句ばかりの先生も、悪口しか言わない事務員も」
「みんな小鳥だったら許せるのに」
アミは輪郭のぼやけた灰色の校庭に視線を移し、ただの景色となっているそれを眺める。普段なら踏みしめられている校庭の砂は誰のものでもなく、文明が築かれる前の大地を想像させる。カホはアミの横に立つ。アミは嬉しそうにして、そっと温もりを共有する。
「それにしても、静かだね」
「静かよ。だってここには二人きりしかいないんだから。ねえ、カホ。もし私たちしかいない世界になったら、誰にも邪魔されず交われると思わない?」
唐突なアミの提案は、カホの心臓をがつりと握りしめる。迸る熱さと込み上げてくる迷いが、カホを困惑させる。
「私は、その世界に入ることができない。アミみたく、女性を愛することはできないから」
「でも、静寂よ。もはや恥ずかしがることはないのよ。社会に適応する必要もない。それに、私とカホ、二人しかいないのよ。二人しかいないのなら、必然的に抱きしめあえるって思う」
閉じられているはずの物語は、カホのページを一枚めくって、展開を生み出す。
「アミは、私のことが好きなんでしょう?」
思わず確認してしまう愚かさを、カホは自責する。
「もちろん。友情も愛情もあるわ。友愛と性愛って言い換えてもいいわ」
カホはぼんやりした意識をそのままにしたいと願う。可能なら、彼女と一心同体になりたい。その方が、彼女は幸福を得ることができるから。
しかし、それはできないと心は素直に告げる。ねっとりとした空気が図書室を優しく包む。僅かに風の音がする。それ以外は、樹海に似た深々さに満たされている。そんな状況が、余計にカホを正直にさせるのだった。
「ごめんね、アミ。この世界は二人だけじゃないの」
「二人だけじゃない?」
「うん。私たち以外にも、もう一人いる。それは、私が好きな人」
ガラガラと扉を開く音は、一瞬静けさを破壊したが、再び何も無い世界になった。小鳥のさえずりさえ響く世界には、三人いる。
「ごめん。迎えが来たみたい」
カホはアミの温もりから分離し、渡り鳥のように別の温かい場所へ飛び立っていく。アミはただ、自分以外の二人を眺めることしかできない。
「夕方なのに、夕陽が見えない」
アミの呟きに、カホもカホが大切に想う存在も返答しなかった。二人は手を繋ぎ、図書室を出た。そして静けさに覆われた図書室で一人、アミは嘆く。
「みんな、小鳥になっちゃえばいいのよ」
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