271人が本棚に入れています
本棚に追加
休肝日?∶貴文さんのおもてなし料理
―ピーンポーン
「はーい」
「こんばんは」
「こんばんは、どうぞ上がって」
「お邪魔します」
何度目かの、貴文さんの家。
僕の家からここに来るまでの近道とか、貴文さんの家の中のどこに何があるとか、少しずつ分かってきた。
先日風邪の看病をしに押しかけた後、風邪がうつるどころか僕は元気そのものだった。翌日、スーパーに来た時貴文さんはお礼を言いながらも、少し悔しそうな顔で「若いっていいなぁ」と呟いた時には笑ってしまった。
そして、看病のお礼がてら貴文さんの家で飲まないかというお誘いを受けたのだ。僕が好きでやったことだしお礼なんかいらなかったけど、一緒にご飯を食べられるのが嬉しくて、僕はすぐ「行きます!」と返事をし、今に至る。
「適当に座ってて。もうすぐできるから」
「はい!ありがとうございます。あの、これ…」
おずおずと差し出したのは、珈琲ゼリー。
貴文さんはニコニコと笑顔で受け取ってくれたけれど…
「ん?今日はお礼だから手ぶらでおいでって言ったはずだけど…?」
目が笑ってないです、貴文さん。
珈琲ゼリーくらいでそんな。
「えっ!あの!その…一緒に、食べたいなと思って…」
「ははっ!冗談だよ、ありがとう」
「もー!心臓に悪いですって」
「ごめんごめん」と言いながら冷蔵庫に珈琲ゼリーをしまう。僕は手洗いをすると、ローテーブルの前に座った。
部屋中にいい香りが漂っている。ローテーブルには既に何種類かのおかずと、箸と取り皿が置かれている。ニラ玉に、レタスと海苔のサラダ、ネギのチヂミ、トマトとタコのキムチ和え、焼き枝豆、そして
「お待たせ」
「あっ!餃子!」
「雄介くんみたいには出来なかったけど」
「前に好物だって言ってたから」と苦笑いしながら大皿に乗った餃子を貴文さんが運んできてくれた。
(どうしよう、めちゃくちゃ嬉しい…)
ニヤける口元をどうしようもできず、思わず片手で口元を覆い隠した。
こんもりと盛られた餃子は確かにちょっと不格好だったけれど、それでも前回一緒に作った時よりは整った形をしている。そして何より、自分の好物を覚えていてくれて一生懸命作ってくれた事が何よりも嬉しかった。
「ありがとうございます、こんなに沢山…」
「いやいや、前に雄介くんが作ってくれた物と比べたら全然大したこと無いよ」
「大したことあります!嬉しいです…」
「ありがとう。さ、食べよう」
そう言って、貴文さんは冷蔵庫からビールを2本出してきてくれた。
「ありがとうございます」
「「乾杯」」
仕事終わりだった僕はグッと一息で半分近く飲みきった。仕事終わりの一杯は格別だ。
「餃子、いただきます」
「口に合うといいんだけど…」
少し不安げな顔で僕の様子を見る貴文さんを目前に、パクリと一口。
「んー!美味しいです!」
「良かった」
ホッとしたように、貴文さんも餃子を口に運んだ。手作りしてくれた餃子は、キャベツの食感がシャキシャキとしていて下味もしっかりついており、ニンニクと生姜が効いていて美味しい。
すかさずビールを流し込む。抜群に相性が良かった。
餃子、ビール、餃子、ビール…ひとしきりそのループを楽しむと、他の皿に目を移す。
「これ、焼いてあるんですよね…?」
「そうだよ。焼き枝豆。茹でるより味が濃くて美味しいよ」
「へぇ」と言いながらプチプチと枝豆を口の中に放り込む。
「えっ!?何これ!」
目を丸くする僕に、貴文さんは満足そうに微笑んだ。
口にした枝豆は、本当に味が濃かった。それだけではない。しっかりつけられた焦げ目が何とも香ばしく、塩加減も丁度良くて手が止まらぬ美味しさだった。僕はついつい、勢いよく何個か食べてしまった。
「気に入ったみたいだね」
「びっくりしました。焼くだけでこんなに味が変わるんですね…!僕も次から焼きます」
自分で作っているとワンパターンになりがちになるため、他の人が作ってくれた料理はいい刺激になる。
「これはこの前作ってくれたトマトのキムチ和えにタコが入ってるんですよね」
「そうだよ。この前作ったやつよく覚えてたね」
「ふふっ、美味しかったですから」
そこにタコを入れたら旨味がプラスされて、美味しいに決まっている。僕はタコとトマトのキムチ和えを口にした。
「うん!間違いなく美味しいです」
「何でも美味しそうに食べてくれるから、嬉しくなっちゃうな」
ニコニコとビールを片手に微笑む貴文さんを見ていると、僕まで幸せな気分になってくる。
「そう言えばさ、余計なお世話かも知れないんだけど…」
「何ですか?」
少し躊躇った後、貴文さんは口を開いた。
「あの、夜のレジに居た若いアルバイトの女の子、雄介くんの事が気になってるんじゃないかな?」
「……へ」
予想だにしなかった言葉に、素っ頓狂な声が出る。貴文さんは苦笑いしながら「僕の勘だけど、」と続けた。
「雄介くんと話してる時の表情とかで何と無く、ね。僕と仲良さげにしている所を見て…何だろう、牽制するような視線を感じたし」
「えーっ、有り得ないですよ!だって彼女10以上年下だし。僕が手出したら犯罪じゃないですか」
思わず笑ってしまった。
僕からしたら、あのアルバイトの女の子は妹みたいなものだったからだ。「そういう相手」として意識した事は一度も無い。
まぁ、やたら話かけられるなぁ、とは思っていたけれど、従業員の中で一番歳が近いから話しやすいのだとずっと思っていた。それはつまり、そういう事なのだろうか…?
「えーっとね、男女の違いや関係の違いはあるけれど、僕と雄介くんだって10 以上歳が離れてるだろう?」
「あ……」
「歳が離れていても、十分に可能性がある」と暗に言われている。僕はハッとした。…そして同時に、その可能性を否定してしまうことは、僕と貴文さんの関係をも否定しかねないという事も。
酷く、困惑した。
確かに前に彼女ができないと話した事はある。しかし、今は彼女を作るより貴文さんと過ごす時間
を作る方が僕にとって大事な事だったからだ。
「ごめんね、困らせたかった訳じゃないんだ。前に彼女がなかなか出来ないって言ってたからさ。もしかしたら、って」
「余計なお世話だよね」と言いながら、ビールを口にする貴文さんを見て、何とも言えない気持ちが込み上げてきた。
「…有り得ないです」
「え?」
「もし、彼女が僕の事を好きでも、僕と彼女がどうこうなる事はありません」
「…そ?そんなムキにならなくても」
ついつい強い語調になってしまい、今度は貴文さんが困惑した表情になる。
貴文さんは、僕に彼女が出来て一緒に過ごせなくなっても平気なのだろうか…
そう思うと胸の辺りがギュっと苦しくなって、とても悲しい気持ちになる。
「……ごめんなさい」
「ん?大丈夫だよ。僕の方こそ、気に障るような事言ってごめんね。さ、食べよ?」
「はい」
その場の雰囲気を持ち直すように貴文さんは殊更明るく振る舞ってくれたが、先程浮かんだ不安や寂しさはずっと消える事が無かった。
最初のコメントを投稿しよう!