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第七夜∶栃尾の油揚げ
年齢による食の嗜好の変化はよくある事だ。
現に、私も子どもの頃は苦手だったが、大人になってから(或いは酒を飲むようになってから)好きになったものがいくつかある。その内の1つが、「油揚げ」だった。
会社の飲み会で、昨日は焼肉を食べた。
久しぶりの焼肉でペースが分からず少々食べすぎたのか、今朝は胃が重たかった。昼になると少しマシになったが、それでもいつもより社食は控え目にした。夕方、スーパーに着く頃にはようやく落ち着き、小腹が減っていた。
(歳かなぁ…)
苦笑いしながらカゴを持ち店内に足を運ぶ。
とにかく、暫くは肉を食べる気にはならなさそうだ。肉はともかく、今日は軽めにしておこう。
野菜コーナーを見ると大根が特売のようで、1本のみならずハーフカットも通常より安い。
(大根おろし…身体に良さそうだな)
料理も栄養も、大した知識はない。その気になればスマホで色々調べられるのだろうが、仕事で疲れているためそんな気力も無かった。いつも身体の為にと食べている野菜も根拠などなく、「何となく」選んでいるものばかりだ。それでも自炊を始めてからというもの、会社を休まなければならない程体調を崩した事は一度もない。
とりあえず大根をカゴに入れた。じゃこおろしにでもしようか。そう思い、鮮魚コーナーに向かって歩き出した時だった。野菜コーナーの対面にある豆腐や日売品のコーナーが目に留まった。
(お。栃尾の油揚げが半額じゃないか)
前に居酒屋ので食べた事があり、油揚げなんてどれも同じだろうと思っていた私はその美味さに衝撃を受けたものだ。
売り場で一際存在感を放つ大きさと分厚さ、そして値段も通常の味噌汁に入れるような油揚げの2倍(下手したらそれ以上)する。なかなかの高級品だ。思わず手に取り、食べ方のイメージを思い起こす。
(居酒屋で食べた時は確か焼いてあって…大根おろしとネギと生姜と…あ、あれだ、鰹節が乗ってたんだ。それに、醤油)
大根も安かったし、大根以外の材料は全て家にある。大きな栃尾の油揚げは1つでボリューム満点で腹に貯まる。それでいて肉のようにもたれないし、魚のように面倒な下処理もない。
よし、今夜は油揚げに決定。
どん、とカゴに入れるとレジに向かった。
(今日は会わなかったな…)
レジを済ませ、荷詰め台で買ったものをエコバッグに入れながら加藤くんが居なかったのを少しだけ残念に思った。昨日は飲み会があってスーパーに来られなかったし…いつの間にか、加藤くんとちょっとした会話をするのが毎日のささやかな楽しみになっていた。女性ばかりのスーパー(アウェイ)において生まれた親近感とでも言うべきだろうか。
エコバッグをぶら下げ、店を出た時だった。
「永井さん!」
「あ、加藤くんお疲れ様」
「お疲れ様です」
恐らく従業員用出入口から出てきたと思われる加藤くんが、息を弾ませながらこちらに駆け寄ってきた。思わず口元が緩む。
「今日は早いんだね」
「はい、シフトの調整があって」
「そうか、お疲れ様」
「今日は何買ったんですか?」と彼はニコニコしながらエコバッグを見た。
「ん?大根と油揚げだよ」
「煮物とか作るんですか?」
成る程、煮物ね。確かによくある組み合わせだ。
「油揚げを焼いて、その上に大根おろしを乗せてたべるんだ」
「え?!油揚げ、焼いてそのまま食べるんですか?!」
「うん。栃尾の油揚げっていってね」
目を丸くして驚く彼に「これ」とエコバッグを開いて中に入っている油揚げを見せる。
「わぁ、でっかい!これ、油揚げなんですね!」
「そうそう。いなり寿司やきつねうどんの揚げと違って、中がフワフワジューシーで美味しいんだ」
「へぇー、そうなんですね…美味しそう」
グゥ。
タイミング良く加藤くんの腹が鳴り、彼は恥ずかしそうに苦笑いした。
「せっかく早く帰れるのに、引き留めちゃってごめんね」
そう声をかけると、彼は頭を横に振った。
「先に話しかけたの僕ですし、こちらこそすみません」
「いやいや。加藤くんと話すの楽しいし、気にしないで。いつもオジサンの話相手してくれてありがとう」
しまった…
打ち解けた所でうっかり本心が出てしまった。こんな風に言われて、引いてしまわないだろうか。気まずくなったらこのスーパーにも来れなくなってしまう…いいスーパーなのに…。
恐る恐る彼の顔色を伺うと、彼の表情は意外にも明るいものだった。
「本当ですか!嬉しいです…僕の周り女の人ばっかりで」
だろうね、と内心少しだけ同情した。
「店長は男の人なんですけど、父親くらいの年齢で気軽には話しかけれなくて…。だから、永井さんと話すの、僕も楽しいです」
「そう?ありがとう」
良かった。
これでまたこのスーパーに来る事が出来る。ホッと安堵し、「じゃぁまた」と踵を返した時だった。
「あのっ」
「ん?」
再び加藤くんに呼び止められ、振り返る。
「えっと…」
どうしたのだろうか。呼び止めた当の本人は私の視線を受け少し動揺しているように見えた。
「どうしたの?」
「えっと…もう少し、話、してみたいなー…と…」
「え」
意外過ぎる一言にどんな顔をしていいか分からず、表情が固まった。彼は微妙に視線を逸しながら困ったように笑う。
「いつも会うときは仕事中なんで、なかなかゆっくり話せなくて」
私とゆっくり話したい内容が、あるのだろうか。
彼と私は別に友人などではなく、スーパーの店員と、
一常連客に過ぎないが…。
「……」
「…迷惑でしたよね、すみません!」
「あっ、待って!」
気まずくなったのか、慌ててその場を去ろうとする加藤くんを気付けば呼び止めていた。
「迷惑じゃないよ…うーん、ここじゃ何だし、お腹も空いただろう?家に来る?」
「え…いいんですか?」
仕事終わりとは言え、店先で店員と客が長話をするのは差し障りがあるだろうし、今から何処か店に入ると先程買った今日消費期限の油揚げが無駄になってしまうし…。歩きながら話すには距離が近くて時間が短すぎる。(彼がどの程度の内容を話したかったのかは分からないが)
いいかどうかというより、それが一番都合が良かったのだ。見ず知らずの人を家に上げる訳では無いし。
「うん…あ、でも油揚げだけじゃ足りないよね?スーパーに戻って何か買い足す?」
「あ、それは大丈夫です!」
と、彼は手にしたエコバッグを見せた。
「今日早かったんで自炊しようと思って、材料買ったんです。迷惑でなければ、台所お借りしても…」
「うん、大丈夫」
こちらから家に誘ってしまった以上、NOとは言えないだろう。
「何作るの?」
「豚平焼きと、ジャーマンポテトです」
どちらも居酒屋で食べた事があるような気がしたが、作った事はない。料理名を言われても、パッとビジュアルが浮かんでこなかった。
「へぇー、私は作った事が無いな」
「簡単ですぐできますよ。一緒に食べましょう」
「ありがとう。じゃぁ、行こうか」
「はい!」
寒い中ずっと外で話す必要はない。
彼を促し自宅アパートへと向かった。
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